新春逆瀬川アタック2014

 今年も恒例新春逆瀬川アタックに有志8名と共に行ってきた。今年は例年になく気温が高くて積雪も凍結もなく、何年かぶりに一軒茶屋まで登り切ることができたわけだが、毎年「凍結で登れるわけがない」と決めつけていたココロにはとってもしんどかった。
 
 新森ロータリーに6時半に集合。上はヒートテック2枚重ねと木馬冬ジャージ。下はヒートテックタイツに裏起毛長レーパン。シューズカバーにネックウォーマーと耳バンドを装備したが、少し重ねすぎた。8時過ぎから登り始めて盤滝トンネル分岐でシューズカバーとネックウォーマー、耳カバーを外す。この場所で気温5℃。暑い。普段の自転車通勤よりも暑い。相変わらず六甲は天気が読めない。
 
 ガーミン先生によればストップ時間も含めて68分という情けない数字ではあるが、自分なりには最後までヘタらずに登れたのではないだろうかと思う。ギヤは終始39X23。ラストの25Tを使うことはなかった。激坂対策のためにコンパクトドライブ導入を考えていたが、脚の無い状態でギヤだけを軽くしても遅くなるだけなので、しばらくはこのままでいこうと思う。
 
 若干1名が原因不明のデキモノのために登頂不可能ではあったが(笑)、なんとか全員トラブルなくこの新春逆瀬川アタックを攻略することができて良かった。今年も良い1年になりそうである。
 
 
 12月28日(土)…仕事納め。そのまま会社の忘年会。奈良泊。
 
 12月29日(日)…午前中は二日酔いと闘い、午後から勝尾寺アタック。
 
 12月30日(月)…朝から回転木馬の餅つき大会にお呼ばれ。午後からはダラダラ。
 
 12月31日(火)…大掃除。
 
 1月1日(水)…嫁実家へ挨拶。
 
 1月2日(木)…自分実家で新年会。
 
 1月3日(金)…自分親戚へ挨拶。
 
 1月4日(土)…仕事始め。

哀愁の旧道

 大阪と生駒を通るR163の清滝トンネルは数ヶ月前から大規模な工事が行われており、従来のトンネルの横にもう1本トンネルが掘られ、おそらく片側2車線のトンネルが2本開通することになっている。平日の朝晩など慢性化していた渋滞が解消されればいいなと思うが、私は通勤にはR163のトンネルを使うことはなく、その上をクネクネと通る清滝峠を走るので、その恩恵に与ることができるかどうかは不明である。
 
 ずいぶん昔、それこそ私がまだ運転免許など持っていなかったころは、R163と言えば清滝峠のことを指し、その後トンネルが掘られて現在のR163となった。それ以来清滝峠は「旧163」と呼ばれ、その旧163をメインの通勤ルートとして利用している私にとって、地面の下にどれほどの「新163」が完成しようがあまり関係のない話だが、ここのところトンネル工事が進むに連れて何故か旧163が渋滞するようになってきて辟易している。
 
 私は勝手に、「トンネルがもう1本掘られ、交通量が2倍になる」と思っていたのだが、先日ちょっと工事の途中経過を見たくなって遠回り通勤になることを承知でわざとトンネルをくぐってみた。すると単純な「トンネル増設」ではなくて、トンネルを抜けたところに新たな大きな道路が建設され、おそらく全ての工事が完了すると、ボーっと走ってると一気に枚方の方まで行っちゃって、なんやったら第2京阪にまで繋がるのではなかろうかというぐらいの大きな規模の工事であることがわかった。つまり現在のR163はすでに旧道化し、現在旧道である清滝峠は「旧旧道」になるわけだ。
 
 「新163」が工事中で中途半端なところまでしか開通していなく、今まで通りの「旧163」に合流するためには、「旧旧163」を通らなければいけないという、一時的に“変な”ことになっているわけである。それで旧旧163である清滝峠が渋滞するのだ。まあそれも新163が完成するまでの我慢である。これで国道163号線は3世代に渡って大阪と生駒を結ぶ立派な国道に生まれ変わる。積雪や大雨ですぐに通行止めになってしまうお隣の阪奈道路など走り屋ぐらいしか利用しないのではないだろうか。
 
 どんな道路工事もそうだが、新道が開通すると今まで利用していた旧道がやたらと過疎化し、一気に古びた印象になってしまう現象が起こる。しかし国道163号線に関しては、旧道も、旧旧道も、未だに現役で我々の通勤ルートとして頑張ってくれている。

木馬忘年会に学ぶ商売の基本

 気づけば忘年会のシーズンである。自転車イベントには参加しないのに、酒飲みイベントだけは欠かさず参加しているような気がしないでもないが、今年も回転木馬大忘年会に参加させて頂いた。総勢40~50人ほどの人数で、毎年毎年ご存じない方が増えつつあって寂しさのようなものも感じるが、私のように忘年会だけしか参加できない面々とも久しぶりにお会いできて楽しい会であった。
 
 正直言って自転車競技に対する“熱さ”みたいなものは少なくなってしまった。それでも自転車はこれからも続けていくと思うし、回転木馬の仲間たちとも離れずにやって行きたいと思っている。嬉しいのは、こうやって自分の熱さがなくなってしまった人間でも受け止めてくれる器の大きさである。レースに興味がなくなったら居辛くなるような雰囲気でもなく、機材にお金をかけられなくなったら愛想を尽かさせるようなこともなく、合同練習に出なければ話題についていけないというわけでもない(実際忘年会の席で話した内容は、文房具と本とノロウイルスの話であった)。
 
 いつだったか、自転車屋さんでありながら、「自転車販売は、目的ではなく手段である」と言い切った店長の赤ら顔は印象的だった。年がら年中イベントプランナーみたいな仕事ばっかりで大変ですねえと言った私にそう応えてくれた。むしろイベントがメインであると。
 
 私もクルマ屋で働いていて、当然の事ながら自動車を販売・修理して利益を上げるわけだが、そこに「自分さえ良ければ…!」の考えが過るとどうしてもお客さんとトラブルになってしまう。クサイことを言うようだが、やはりお客さんにとって何が一番メリットがあるのかを考えてあげることが、結局最終的に利益に繋がっていく。そんなこと頭ではわかっているつもりであったが、自分自身が回転木馬のそういう商売理念に触れていたことに気付かなかった。
 
 自転車競技と自分自身を照らし合わせ、「適当な落とし所」を探して自分を納得させる作業にしんどくなっていた時期もあったが、もうこれからは自然に任せて回転木馬の商売理念に身を任せたいと思う。

慌てて冬装備

 久しぶりに自転車通勤しようと先週まで着ていたウェアで表に出たら寒すぎる。慌てて冬衣装を引っ張り出して装着。ここまで季節が進んでいるとは思わなかった。やはりクルマばかりだと季節感がない。
 
 私が自宅を出発する時間はまだ日の出前である。冷たい空気が鋭利な刃物のように肌を刺してくる。もうすぐしたらフェイスマスクとかシューズカバーも必要だろうなと思う。
 
 山を登っている辺りで太陽が顔を出し、それと同時に少し空気の刃が丸くなったように感じられ、木々の匂いがしてくる。小川の流れる音や鳥のさえずりなども聞こえ始め、ここでようやく自転車との人馬一体感が出てくる。生命の目覚めと共に自分のカラダも目覚めたような感覚である。
 
 そのまましばらく自転車の気持ち良さを味わいながら進んでいると、血液が脳みその隅々まで行き渡るのか、仕事のことや家庭のことなどを考えだすようになる。今日の仕事の段取りや、家庭でのあれやこれや。ちょっとブルーな気分になったりするときもあるけど、ここまで内省的になれるのは自転車に乗っているときぐらいしかない。
 
 

『疾風ロンド』 東野圭吾 実業之日本社

 超危険な生物兵器が研究所から盗み出され、それをスキー場に隠したと犯人からメールが。場所を教えて欲しければ3億円用意しろという話になるが、その犯人が交通事故で死んでしまう。数少ない手がかりから無事に生物兵器を探し出し、スキー場を守ることができるのか!?というストーリー。
 
 以前読んだ『白銀ジャック』と同じような内容である。スキー場まるごと人質に取られた格好となったり、脅迫される側も警察に届けられない事情があったりなど。さらに登場人物までかぶっていたりして、記憶力が定かで無い私のような人間が読んだら、どちらが『白銀ジャック』でどちらが『疾風ロンド』なのか混乱するのではないだろうか。
 
 ただ、私は“スキーもの”がキライではないので、『白銀ジャック』にしろ『疾風ロンド』にしろ、そしてその前に読んだ『鳥人計画』にしろ、楽しく読ませてもらっている。特に最近は子供が小さいということもあり自由にスキーに遊びに行けないので、スキー気分が味わいたくなったら何度も読み返す。ストーリーや謎解きや登場人物などどうでもよい。ただ単純に白銀の上を滑るスキーの疾風感を感じられるだけで十分である。
 
 東野圭吾の趣味はスノボーであるということは有名だが、文中にもスキー場の経営難に伴う周辺地域の過疎化を憂う場面があったり、スノーボーダーやスキーヤーのマナーに関して言及したり、本当に彼はスキーやスノボーを愛しているんだなと思う。
 
 根津という名のパトロール隊員と、千晶という名の女性アマチュアボーダーが『白銀ジャック』と『疾風ロンド』に登場した人物である。これからも東野圭吾の“スキーもの”があるとすれば、スキーものの定番キャラとしてぜひこの2人を再登場させて頂きたい。

葛藤の日々

 昨日は研修だったので速く帰宅出来た。夕方から呑んでもアレなのでランに出掛ける。閉鎖になった赤川鉄橋がどんな感じなのか見に行ったけど、鉄柵があって中に入れないようになっており、作業員が数人いて周りの草を刈ったりしていただけであった。まあ当たり前の光景である。個人的には赤川鉄橋の閉鎖を惜しむ地元住民がプラカードなどを持ち、
 
 「赤川鉄橋閉鎖はんた~い!」
 
 なんてやっていたら面白いなと妄想していたのだが。途中で「診察券を出しに行く」という任務を忘れていたことに気付きショートカットして帰宅。4kmちょっとしか走っていないがまあ今の私には十分である。こんな感じで距離を伸ばしていこう。
 
 で、今朝は自転車通勤。こちらのほうもまだまだリハビリ段階といったところだが、徐々に乗れてきている気はする。平坦での巡航速度が少し上がった。登りはダメだ。やはり体重が重いのか、体幹が弱ったのか、リズミカルな感じが全くない。ま、焦らずにいこうと思う。
 
 色づき始めた木々を眺めながらのんびり登っていると、シーポかな?赤と白の可愛らしいカラーリングのTTバイクに乗った女性がいた(R163でも時々見かける)。アウターしばりで登っておられるのかペースがゆっくりだったので序盤に追い抜いた。追いかけてくる様子がなかったので安心して(笑)自分のペースで登っていたら、終盤のつづら折れでズバッと抜かれてしまった。
 
 まあ朝からそんなことがあったのだ。
 
 そして今フト思ったことなのだが、私はこの記事を書く上で、「体調を崩していた」、「まだまだ本調子ではない」、「のんびりと」など、「オレが本気出したら女になんか負けへんねんどー」というしょぼいアピールが見え見えなのに気付いた次第である。
 
 私はまだこの期に及んで、「速くなりたい」とか「清滝では負けへん」などと意識の内側の場所で考えているのだ。それが男の子の本能であると言われればそれまでだが、もうええかげんええやろと言う自分もいる。年齢的なものや仕事や家庭事情なども含めて、自分が「速くなっていく」ことには諦めているフシは正直ある。そんな中で夏のチームTT挑戦や、未だ衰えることを知らないレース機材に対する物欲や、他人のレース結果の検索など、自分でもその矛盾に「どやねん!」と思うことが良くある。
 
 だから、「のんびり走る」ことを本気で楽しめていない部分もあるのだ。燃え尽きるまでレースに没頭すればある日突然、のんびりが楽しい時が来るのだろうか。いやいや自分はレース畑で頑張れる人間ではないだろう。C59などに乗らせてもらっていながら、そんな葛藤を繰り返す日々である。

スカウト

 少し前の話題だが、プロ野球のドラフト会議が行われた。高校や大学を卒業した選手が私の年齢よりも息子の年齢に近付いてくるにつれて、プロ野球選手を目指して長年頑張ってきた若者の夢が叶う瞬間というものに感動を覚えるようになり、機会があればドラフト中継なんかもよく観るようになった。
 
 そんな中、阪神・ヤクルト・広島の3球団が1位指名した大瀬良大地という投手の抽選で、広島カープの田村スカウトが引き当て、元々広島に入りたかった大瀬良投手共々大喜び・・・・、というニュースが流れた。
 
 あとで知ったことなのだが、広島カープの田村スカウトは、大瀬良投手が高校生の頃からずっと注目しており、大学時代もずっと追いかけて、絶対に自分のチームに入れるんだと何年も思い続けてきたそうだ。そんな熱意にほだされたか、大瀬良投手も広島以外でプレーすることは考えてはおらず、見事当たりくじを引いた田村スカウトは記者会見で涙ぐむというシーンもあった。
 
 私は野球は好きだけど経験がないので、若い選手がプレーしている姿のどこを見て、「この選手はすごい選手になる!」と見抜くのだろうかと不思議に思うのだが、それもプロにしかわからない眼力ということなのだろう。その眼力が本当にすごいのかそうでないのかは、これからの大瀬良投手の活躍によるところでもあるので、個人的に注目してきたいと思う。 
 
 さて、私も自動車整備というステージで20年もプロとしてやって来たので、知らず知らずのうちに自分にも「プロの眼力」というものが身についているかもしれない(いわば「プロにしかわからないホニャララ」とか「プロだからこそ見えるホニャララ」に憧れているのである)。
 
 昨今は若いサービスマンの成り手が少なく、どこの会社もサービスマンが高齢化、定年退職に伴って人数が減り、仕事が回らない・・・・という状況が増えてきた。自動車業界だけではなく、建設業界などにもその傾向があると聞く。当然我が社もその例に漏れない。最近では企業側が整備専門学校に打診し、サービスマンの卵をどんどん呼んで企業見学会や工場体験会などを積極的に行うということもあるそうだ。
 
 となれば、私も整備士歴20年の眼力を引っ提げてホンダ学園なんかに乗り込み、工具の扱いや作業の段取りなどがスムーズな“選手”何人かに眼を付け、昼飯など奢りながら、「将来はウチでやらへんか」的なスカウト活動をやってみたいなと思う今日このごろなのである。
 
 ま、私にそんな眼力があるかどうかが問題なのだが。
 

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久しぶりのラン

 体調はほぼ回復。しかし長かった。大人になってからあれだけ体調不良が長引いたのは数年前のノロウイルス以来である。あれも三日三晩下痢と発熱が続いたが、今回は1週間続いた。しかも未だに両肩辺りに少し関節痛が残っている。改めて健康のありがたさに気が付いた次第である。
 
 というわけで休みとは言え、自転車で遠出することが出来ない。C59ではペダルを踏み込む側とは反対の腕を引く動作を繰り返すことで推進力を得るので、肩の痛みをかばいながらではどうしても楽しくない。軽いギヤでクルクル走るのもいいけど、C59はやっぱりフレームの剛性をフルに活かしてペダリングするほうが楽しいのだ。
 
 CXバイクではついつい未舗装路に入りたくなるし、TTバイクに乗るようなテンションでもないし、あーだこーだとノロノロしていると時間がなくなってしまい、ヨシそんなことなら久しぶりにランニングでもしようかと思い立った。赤川鉄橋がいよいよ今日と明日で通行止めになるので、最後にランで渡っておこう。自宅から毛馬に回って桜宮高校を過ぎて赤川鉄橋まで。
 
 赤川鉄橋の鉄板の上は独特のバウンド感があり、ランのペースが上がる。
 
 この赤川鉄橋を軸にして、様々な距離のランニングコースを構築することができた。豊里大橋、100円橋との距離がほぼ等間隔で、どの橋を渡って周回すれば望みどおりの走行距離になるかということが容易に計算できたし、何と言っても渡っている最中に貨物列車が走って行った時のあのド迫力は、大人になった今でもドキドキする。
 
 高校時代は豊里大橋と赤川鉄橋を利用したぐるり1周約6kmのコースを「巡り」と名づけて何度も走らされた。当時は鉄板敷きではなく木の板だった。あのギシギシ感と浮遊感のスリルは今でも忘れることができない。足元の板の隙間から、夕日を照らす淀川の流れが見えた。川の中州にはホームレスの家が点在し、どうやってこんなとこに家を建てたんやと思ったものである(ちなみに今もある)。
 
 赤川鉄橋の貨物線はJRおおさか東線となって復活するようである。完成すればまた歩道橋が整備されて渡れるようになるかもしれない。何年後かわからないけど、またここを渡れるようになったら、ランニングの練習に利用させてもらおうと思う。
 
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仲間意識

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 急に安全靴が必要になったので、通勤途中にある鳶職人や土木作業員などの衣類などを扱う某大手チェーン店へ行ってきた。
 
 この手のお店に入るのは実は初めてである。安全靴の一件があってから気を付けて見ていると意外とそこら中にあって、通勤路のR163には、私が通る区間だけでも4件もある。ユニクロや西松屋よりもはるかに多い。コンビニ、ガソリンスタンド、ラーメン屋に次ぐ多さである。それだけ需要があるということか。昨今はIT関連の企業が幅を利かせているかのように思っていたが、まだまだ日本には汗水流して働く人々が大勢いるということである。なんか嬉しい。
 
 朝早くから開いているのも嬉しい。7時前には開店している。私も7時過ぎに入店し豊富な品ぞろえから安全靴を物色していると、次々とお客さんが入ってくる。その全員がもれなくニッカポッカを履いているヤンキー風の職人である。
 
 正直言ってこういうファッションの輩と同じ場所にいたくないというのが本音であったが、早朝から仕事に向かう前にニッカポッカや軍手を購入し、今日も汗水流して労働し、仕事が終わってからはビールで一杯!という、なんか共通点みたいなものを勝手に感じ、居心地が悪いどころか安全靴以外の売り場もウロウロし、特に今必要でもない作業用すべり止め手袋を購入してしまった。
 
 生活雑貨や食品などでその本来の意義を外れ迷走しつつある最近のホームセンターよりも、品揃えがピンポイントで必要以上に店内が広すぎないというのもGOODである。そして何よりも安い。消耗品として割り切って使えるのでガンガン仕事ができそうである。これからはどんどん利用しようと思う。

リハビリライド(ただし平坦のみ)

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 先日水曜日。謎の体調不良により関節痛が続いていて運動は避けていたのだが、逆に適度に動かしたほうが良いのではないかと久しぶりにコルナゴに跨る。まだまだ踏み込んだり立ち漕ぎしたりすると膝や肩が痛いのでゆっくりと平坦を走る。
 
 自宅から淀川河川敷を枚方大橋まで走り、橋を渡り対岸を戻ってくるという、昔々に回転木馬でやっていた朝練のコース。あの頃はまだ私も独身で、朝練はもちろんのこと、移動手段はほとんどピストだった。今思えばあの頃が自分史上最速だったかも(笑)。
 
 風も強くて雨もパラパラと降ってきて、のんびり走りたいリハビリとしては思わぬ事態となってしまったけど、まあ久しぶりの自転車でストレス解消にはなったかな。100円橋と堤防を結ぶ連絡橋が新設されており、今までは堤防から100円橋に乗るには一度堤防を降りてから再度急斜面を登らないといけなかったので随分と便利になった。これもおそらく、お隣の赤川鉄橋が歩行者通行止めになることによる対応策なのだろう。タマにしか利用しない私にとっては便利だが、毎日赤川鉄橋を利用していた人たちにとっては焼け石に水みたいなものだろうか。
 
 その赤川鉄橋は今月末で閉鎖となるそうだ。この日も閉鎖を惜しむファン(?)が写真を撮ったりして結構な人数の方々がいらっしゃった。明日26日土曜にはイベントも行われるらしい。イベントに参加して涙ぐむほどの思い入れも無いが、高校時代の部活やマラソンの練習では何度もお世話になったし、何度も色を塗り替えられたり、板敷きが鉄板に変更になったりと、時代と共にいろんな変貌をこの目で見てきた者としてはそこそこ感慨深いものもある。
 
 そんなことを思いながら自転車を漕いでいると、関節痛が少しマシになった。