久しぶりに自転車通勤

 なんと2月に入ってから始めての自転車通勤である。これだけ間が空くと前夜から緊張してる自分がいる。そこそこ距離があるのでしっかりと気持ちを作ってないとすぐに心が折れるのだ。
 
 昨日は昼間にローラーを30分回したが、なんだか消化不良で夕方にも30分。インターバル的なことはせずにグルグルと。40km/h以上になってくるとローラーの振動が大きくなってくる。そろそろホイールバランス調整しなおしかな。
 
 久しぶりのBOMAホイールでの実走となったわけだが、ブレーキのトー調整がうまいことできてなくてブレーキ鳴きがひどい。元々うるさいリムではあったが今朝は気がひけるぐらいに鳴きまくる。昨日の夕食(たこ焼き)を食べ過ぎてカラダが重い。八ヶ岳までに減量しようそうしよう。
 
 2月15日(水)3本ローラー30分。20kmほど。
 2月16日(木)曇り。通勤往復。阪奈頂上-1℃。

BOMA見直す

 

 雨だ。休日なのに。200kmぐらい走ったろかと思ってたのに(うそ。

 スポークが緩んでフレフレだったBOMAホイールを修理に出した。自分でやっても良かったのだが、もうなんちゅうてもめんどくさい。金がかかってもええわということで木馬を通してBOMAに修理依頼していたのだ。それが帰ってきた。

 内部破断していたカーボンスポーク2本の交換、全体的に低かったスポークテンションの調整、リムの振れ取り、送料のすべて込みで“タダ”。えー!っとびっくりした。実は修理に出すのは2回目で、以前もすべてタダでやってくれたのだ。BOMAってどんだけ景気ええねん。と同時にこの製品に賭けるBOMAの根性を見た。散々サードパーティをけなし続けてきた私だが、これからは心を入れ替えて使い倒すことにする(褒め倒すかどうかは今後しだい)。それが私にできるBOMAへの恩返しである。欲を言えばリムテープの除去もしといて欲しかったのだが(笑)。

 で、さっそくタイヤを張り替えてローラー活動。うんうん、よう回るわい。30分で終了の予定が31分も回してしまったではないか。

 

 2月15日(水)3本ローラー31分。20kmほど。

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少し気になったことなど

 回転木馬が移転準備のため閉店になった。3月1日から新店舗での営業となる。20代後半からの私の人生は、回転木馬があったかなかったかでは大きく異なっていたに違いない。ここで出会った人々や、ここで経験したことは間違いなく私の大切な財産であり、これからも私の人生に大きなメリットを与えてくれるだろう。
 
 で、先日の最終営業日に、店の前でみんなで記念撮影をしようということで集まったのだが、なんやかんやで家を出るのが遅くなってしまい間に合わなかった。財産だのメリットだの言うといてコレである(笑)。まあ記念撮影に間に合ったか間に合わなかったか、そもそも撮影に参加したか参加しなかったかということだけで、回転木馬への貢献度が決められるというわけでもないのでそれはヨシとしようではないか。
 
 正直言って私は写真(動画含む)を撮られるのがあんまり好きではない。というより嫌いなぐらいだ。家にあるアルバムを見てもヨメコドモの写真はたくさんあるが、私のものは数えるほどしかない。いつも鏡で見ている自分の姿と、写真に写った自分との姿とのギャップに強く違和感を感じるからである。その時のテンションはその場だけのものである。それを写真というものに記録され、後日ぜんぜん違うテンションの時に見るとサブイボが立つぐらいである。酔っ払ってる写真を後日見せられて赤面することがよくあるがそれに似ている。とにかく嫌いだ。
 
 自転車乗りの皆さんの中にはカメラ好きな人がたくさんいて、木馬メンバーにもたくさんいるのだけど、その中に、「撮りますよ~」などの声かけも無しにいきなり顔の前でパシャパシャと連写していく人がいる。撮られるのが好きな人ばかりではないと思うのだが、そんなものはお構いなしという感じである。撮った写真をウェブにアップするかしないかという問題ではなく、レンズを向けられること自体に抵抗がある人間だっているのだ。
 
 自然な表情を撮りたいがための行動なのだろうか。いきなり撮られることを相手が不快に思っているかどうかを考えないで自然な表情もくそもないと思うのだが。私はカメラという趣味を否定するつもりは毛頭無い。タレントでも有名人でもないので肖像権がどうのこうの言うつもりも全く無い。ただ、自然な笑顔を撮りたいのなら、自然に笑える状況を作ってこそカメラマンというものではないだろうかと思うだけである。
 
 

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ローラー部

 仕事とか研修とかで自転車乗ってない日々。2月は月間1000kmはムリやろな。とはいえボーっとしててもあれなんで、時間が無いなりにしっかりローラーを回す。
 
 2月10日(金)3本ローラー30分。20kmほど。
 2月13日(日)3本ローラー30分。20kmほど。
 
 それぞれの時間は短いけど、自分なりに集中できたと思う。DVD観たり音楽聴きながらやるとどうも気が散って集中できないタイプ。ただひたすらチェーンとローラーの音に没頭するほうがええみたい。
 
 回し始めは心拍も110bpmぐらい。しばらくするとちょっとづつ上がってきてケイデンスも上がってくる。そんな感じで15分ほどアップして、カラダが温もったら30秒のインターバルでモガキ⇔流しの10回繰り返し。これで170bpmぐらいまで上がる。ケイデンスが120rpmを越えるとお尻が跳ねるので、サドルに押さえつけるべく引き脚を重視してたら、お尻と太ももの付け根辺りにじんわりと効いてくる。残り5分はダウンで終了。
 
 3本ローラーって実走感があるのはいいけれど、立ち漕ぎができない(できる人もおるやろうけど)ので、すぐにお尻とか手とかが痺れてくる。立ち漕ぎできる3本ローラーもあるけど高級品だから手が出ない。自転車って左右にフラフラしてるだけのように見えるけど、意外と前後にもフラフラしてる。フラフラしてるというかペダルの踏み込みに合わせた細かな加減速をずっとしてるので、あんまり乱暴なペダリングでは後輪がローラーから落ちてしまうのだ。
 
 ケイデンスが上がってきてお尻が跳ねてくると前後左右だけではなくて上下にもフラフラする。タイヤへの荷重がかかったりかからなかったり。で、必要以上に抜重してしまうとタイヤが浮いてこれもまたローラーから落ちてしまう。普段実走してるときはあんまり意識しない自転車の動きも3本ローラー上ではいろいろと考えさせられる。
 
 

『午前0時の忘れもの』 赤川次郎 集英社

 本屋に平積みで展示してあったので手に取った。新作というわけではないし、改めてなんかの賞を獲ったというわけでもなさそうだけど、本屋が勧めるなら読んでみよかと。
 
 高速バスが湖に転落して多くの乗客が死亡。残された遺族や恋人たちは心にポッカリと穴の開いたような日々を過ごしていたが、事故から1ヶ月後、死者からのメッセージが遺族や恋人たちに送られ、深夜のバスターミナルに集合。そこで繰り広げられる不思議な出来事を描くファンタジー小説。
 
 素敵なお話だった。もちろんありえないことなんだが、生きることの切なさとか人を愛することの素晴らしさなんかが描かれていて心が暖かくなる。
 
 ……な~んて背表紙のあらすじみたいなこと書いてちょっと赤面するわ。自分なりに感じたことを書く。赤川次郎は他にも何作か読んだけど、この人の作品には若い女性がメインになることが多いのかな。若い女性が好きなエロオヤジなんかなと思ったけど、セリフの短さとかテンポとかがほんとに若い女性が会話してるかのようなリアルさがあって、もしかしたら赤川次郎がオネエじゃないのかとさえ思う。ファンの方すいません(笑)。
 
 ちょっと前に小説に登場する若者って言うことが理路整然としてて語彙が豊富なんてことを書いたけど、それはやっぱり作者によって違うんやなと思った。赤川次郎はとてもシンプルなセリフばかりで小気味良い。セリフの後に「と、法子は言った。」とか「と、恵は言った。」という書き方が多くて、そこだけを意識して読んでると小学生の作文みたいに思えるのだが、それがまったく違和感なくて、文章を文章として読んでいるのではなくて、文章をまるで映像のように眺めていくような感じ。
 
 だからページにも余白の部分が多く、とても早いペースでページが進んでいく。登場人物の数もちょうど良くて、舞台もほとんどが実ケ原バスターミナルで終始するのでとても読みやすい。中学生とかが読んだらええんちゃうかな(笑)。★★★☆☆でした。

『歪笑小説』 東野圭吾 集英社

 読書感想文が続きますよ~(笑)。
 
 さて、今年の1月25日に第1刷が出たばっかりの「◯笑小説シリーズ」の最新版。怪笑小説とか毒笑小説とかがあって、これは「わいしょうしょうせつ」と読む。「歪笑」なんて言葉はないと思うけど、読んでみるとほんとに口元がニヤリと歪むような笑いが起こる。いつものような本格ミステリーではなくて、コミカルな短編集です。
 
 出版社と小説家との裏を暴露するような笑い話が12編あってお腹いっぱい。でも短編集とはいえ、それぞれのお話しの中で登場人物やシチュエーションは繋がっていたりしてたいへん楽しめる。小説家になりたいなーなんて妄想したことはあるけれど、やっぱりどこの世界も大変なんだなと思う。
 
 超売れっ子作家である東野圭吾自身が出版社の内部を暴露するなんてちょっとずるいなあと思ったりもする。そらあんたが書いたらおもろなるわみたいな。ここに登場する「灸英社(きゅうえいしゃ)」とは明らかに「集英社」のパロディであり、ハチャメチャな編集長とか売れない新人作家など、きっとモデルになる人物がいるのだろうけど、「東野さんに書かれたら仕方ないよな~まいっちゃうな~」であろう。
 
 「面白さが不謹慎さを圧倒的に抜いたからこそブラックジョークが成立するんだ!よほどのセンスがない限り手を出さないほうが賢明だ!」なんてツイートがあるけど、ほんとに東野圭吾はセンスに溢れてる。本格ミステリーも書ければ短編も書けるし、そんな才能に感心しながら読み進めたりすることもある。なんか完璧すぎて怖い感じもする。どれを読んでもハズレがなくて失敗しない。
 
 だからこそ、誰も知らない売れない新人作家の作品の面白さを探してみたいと思うこともあるわな。そう思えるようになってきたら私も読書中級者かな? 熱海圭介の『撃鉄のポエム』は読んでみたい(笑)。★★★★☆でした。
 
 

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『砂漠』 伊坂幸太郎 新潮社

 天気が思わしくないので自転車にも乗らず読書してばっかりな日々。まあ晴耕雨読という言葉もあるぐらいだから、有意義な毎日だということにしておく。
 
 さて、にしやんオススメの伊坂幸太郎『砂漠』。5人の大学生が送る青春のキャンパスライフを描く。「プレジテントマン」と名付けられた通り魔とのあれこれとか、賭けボウリングでのあれこれとか、超能力のあれこれとか、連続空き巣犯とのあれこれとか、色々と大学在学中に起こる事件に巻き込まれていく。
 
 正直言うて一件一件の事件は物語全体を揺るがすようなビッグなものではなく、厳しく言うたらしょうもないことばっかりなのだけど、登場人物5人のキャラクターが際立っているので飽きさせず、とっても爽やかである。
 
 特に西嶋くんってヤツがぶっ飛んでて、かなり好きなキャラクターである。ていうかこれを読んで西嶋くんのことが嫌いになるやつはおらんだろう。この小説は西嶋くん無しには有り得ない。西嶋くんに笑わされ、西嶋くんに泣かされ、西嶋くんに感動する。そして、主人公の北村くんはなぜか『ノルウェイの森』のワタナベくんとかぶる。鳥瞰的に物事を見るところとか、冷静なセリフとか、そしてきっちり彼女作ったりして適度にモテてるところとか、なんか似てると思った。
 
 小説内に登場する19・20の若者って、理路整然と物事を理解し、豊富な語彙できっちりと話すし、ボキャブラリーもとても広くて歌の歌詞とか物語の一説を引用したりする。そしてそれを利用して相手を説得したり納得させたり…。特に伊坂幸太郎作品にはそういう場面が多い。熟考を重ねて登場人物にセリフをしゃべらせるわけだから当然といえば当然だけど、実際にこれだけ話せる人間っているのだろうか。
 
 カーっとなったときはついつい何をしゃべってるのかわからんようになるし、自分の考えを相手に伝えたいときも言葉が出てこずに「あーなんて言ったらいいかなー」ってなることが多い。アラフォーの私でもそうなるのに、ノルウェイでも砂漠でも、19歳の若者はどんな場面でも落ち着いてて、聞いてて(読んでて)惚れぼれする。これぐらいしゃべれたらゴネ客にも対応できるのになーなんてね。
 
 まあちょっと重箱の隅をつつくようなことばっかり書いてしまったけど、とにかく学生時代の“オアシス”から、社会という“砂漠”に出るための5人の成長記のような物語です。私は大学には行かなかったし、麻雀もスプーン曲げもできないので共感できる部分は少なかったけど、カツカレーとか牛丼みたいな食べ応え満載の東野圭吾作品ばっかりではコレステロールも溜まるので、たまにはこういう野菜スープみたいな作品もおもしろいなと思う。★★★★☆でした。

 今週は雨天から始まるようだ。先週は仕事の都合や凍結などによりほとんど乗れなかったので今週から、と意気込んでいたのに残念だ。
 
 昨日は休みだったので乗れなかった分の距離を稼ぎたかったのだが、朝から家族を連れて出かける用事があったので断念。出発前にかろうじて3本ローラーを50分ほど回す。しかしまあ当然のことながら家に子供がいると集中できん。「宿題みてくれ」とか「キーホルダーが壊れた」とか「にいにいが叩いてきた」とか言うてくる。「子供が3人いると用事も3倍で大変ですね~」、なんてことを良く言われるがそれは大きな間違いで、3の2乗で9倍である。
 
 部屋の中で自転車が自立して走ってるなんて我が子たちにとっては珍しいことでもなんでもなくて、フツーにしゃべりかけてくる。最近自転車のギヤチェンジの意味をわかってきた宗一郎(7歳)など、スプロケットをじ~~っと見ながら「ちょっとギヤ変えてみて」とか言うてくる。こっちは一定のケイデンスを意識して漕いでるのもお構いなしである。ていうか7歳児にそんなのカンケーねーだな。
 
 というわけで、我が家でローラーを回すのは至難の業であり、50分もできたら上等なのである。 

 
 2月5日(日)晴れ。3本ローラー50分。30kmぐらい。

『どちらかが彼女を殺した』 東野圭吾 講談社

 久しぶりの東野圭吾である。ネットなどの書き込みで予備知識はあったのでそれほど戸惑わなかったが、やはりそれでも最後まで犯人がわからんというのは違和感がある。腹八分目ならいいけど、腹七分目ぐらいの感じ。そんで本の最後に犯人特定の鍵となる袋とじ解説が付いている。最終的な謎解きは読者に委ねられるという前代未聞の推理小説である。
 
 自殺に見せかけて殺された妹を、兄が独自で犯人を追求していくというストーリー。兄は犯人が特定できれば復讐をしようと心に決めていたが、そんな悲しい復讐は阻止しようとするのが東野圭吾ではおなじみの加賀恭一郎。お互いはお互いの推理で容疑者を絞り、最終的には確定するわけだが、推理小説にはお決まりの「犯人はお前だ!」のところで、犯人が誰か教えてくれない意地悪なラストなのだ。
 
 謎解きが大好きな人にはたまらんだろう。名探偵コナンなんかでも最後の犯人特定のシーンの直前にCMに入ったり、来週に持ち越したりするけど、その間に自分なりの推理を考え巡らせる人と、さっさと犯人教えてスッキリさせてくれよ~という人に分かれる。完全にこの作品は前者向けである。私はめんどくさがりなので後者である(笑)。
 
 前者の中には犯人特定の袋とじ解説を開かずにもう一度読み返す人がいるだろう。私もすぐに答えを見てしまうのはなんだか悔しいので最初からもう一度読み返し、そこらじゅうに散りばめられた伏線を再確認していったのだが途中で断念した。「なにやってんの!?」とヨメが聞いてくるのを無視してハサミでザクザクと切った。小説にためらいもなくハサミを入れている私を見てヨメはさぞかし不思議に思ったであろう。
 
 とはいえ、謎解きを読者に委ねるために登場人物を少なくしてあり、非常に読みやすい。時間の流れもほとんど時系列に流れて行くので混乱せずに一気に読むことができる。読むのが遅い私としては、一冊の文庫本を読み切る時間としては最速とちゃうかな。★★★☆☆でした。
 
 
 ちょっと話変わるけど、本文中に推理小説を揶揄するような部分が出てくる。「現実には推理小説のような事件は起こり得ない」などとある。時刻表トリックとか密室とか怪しい洋館とか山奥の小屋とかダイイングメッセージとかがばんばん登場する推理小説を書いている東野圭吾本人が、まるで照れ隠しのように自らの作品を揶揄するセリフを作中の登場人物に言わせるのだ。
 
 東野圭吾作品の中には『名探偵の掟』など、自分が用いてきた、ミステリーには不可欠な手法(密室とかダイイングメッセージとか)を自らこき下ろして面白おかしく書いている作品も多い。これは関西人特有の性格なのではないかと思う。
 
 ふざけたことを言って笑わせたり、真面目なことを言って感動させたりするのは好きだけど、心のどこかで「これは冗談やで~」みたいな余裕というか冷めた部分というか、そんなとこを自ら残しておくことに美学を感じているのではないだろうか。一人が大真面目にセリフを言ってるのに、もう一人が現実に戻して笑いを誘う、漫才のボケとツッコミにも似たような関係にあると思う。東野圭吾は自らの作品の中で、ひとりでボケとツッコミをやっているのだ。同じ関西出身者としてなんかとても共感できる部分である。だから好きなのかもしれない。

リビングdeローラー


 
 こんなとこヨメに見つかったら怒られる。家族が全員出払う平日の休みでしか出来ない。朝から雨が降ったり止んだりしてたので外走りは諦めて、部屋干しの洗濯物と共にローラーへ。
 
 せっかくのリビングなので大好きな映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のパート3のDVDを観ながら。お陰で40分ぐらいが限界だったローラー活動も、1時間20分できた。この映画はほんとおもしろい。ドクがクララに禁断の恋をして、1885年に残るとマーティーに告げるのだが、「ドクは科学者だろ?なんでも頭で考えて行動するんじゃなかったのか?」と説得するシーンが大好き。やはり恋愛は科学では証明できないのだ。科学のみで生きてきたドクの葛藤が切なくも面白い。
 
 
 2月1日(水)ローラー1時間20分。40kmぐらい。