色褪せないもの

 ここしばらく実家住まいをしているわけだが、今私が寝起きしている部屋(つまり以前私が使っていた部屋)は私が結婚して出て行ってから誰も使っていなかったので、物置部屋のようになっている。テレビもなければラジオもない。中に何が入っているのかわからないダンボールの山しかない。

 だから、就寝前の約1〜2時間が非常にヒマである。せっかく嫁と子供の束縛から離れ、実家でのんびりと暮らしているのに、この時間はテレビを見たり本を読んだり、自分の時間として有意義に使いたい。

 何かおもろいもんはないもんかと押し入れの奥をあさっていると、何と懐かしいことに、私が小学生の頃愛読していた『怪盗ルパン全集』が15巻まとめて出てきた。

 モーリスルブラン原作、南洋一郎翻訳のポプラ社から出版されたこの『怪盗ルパン全集』は、私が小学生の頃に叔父からもらったもので、その当時で既に紙の端は茶色く変色しており、表紙の絵や挿絵などは「いかにも」って感じの古臭いタッチで描かれていた。

 それがもう懐かしくて懐かしくて、ホコリをかぶったその本を1冊1冊丁寧に掃除し、パラパラとページをめくっていった。紙の変色はさらに進行しており、表紙の絵や挿絵はさらに古く感じた。その本が発行されたのは昭和45年。私が生まれる3年も前である。表紙が硬い厚紙でできているB6版でありながら値段は260円(現在では1200円ぐらいするんじゃないだろうか)。非常にありきたりな表現ではあるが、何だか昔にタイムスリップした気持ちになって早速読み始めた。

 内容なんて全く覚えていなかった。ただ単純に怪盗ルパンの活躍に胸躍らせ、名探偵ホームズの失態に心弾み、もう一気に第1巻の『奇巌城』を読み終えてしまった。

 本そのものは長い年月によって古臭くなってしまったが、本の内容は大人になった今でも全く色褪せて感じることはない。そういう意味で本って本当に不思議だ。これが35年も昔の映画だったら、映像の古さや音質の悪さや俳優の若さにばかり目が行ってしまって、素直に楽しむことはできないんじゃないだろうか。

 「本はいいよ」って良く言うけど、こういうことなんだなと改めて思った。

妄想自転車

 雨である。朝からしっかりと雨が降っている。しかし雨だろうと風だろうと、愛する家族の為に山越え自転車通勤をしないといけないわけで、泣き言を言ってる場合ではない。

 163号線や清滝峠、そして阪奈道路を朝っぱらから雨の中、傘も差さずに車道を自転車で疾走している奇特なやつなんている筈もなく、通学する女子高生やクルマの運転手は私を見て、ただの自転車バカだと思っていることだろう。

 しかし、私がひとたび妄想の世界に入ってしまえば、「バカはお前たちなのだよ!」と言いたくなる。

 バスから見ているサラリーマン!悔しかったら自転車乗ってみぃ!オレの方が速いぞー!

 珍しいものを見るかのようにしている女子高生!きっとお前の彼氏よりオレの方が持続力あるぞー!

 窓からタバコの吸殻を捨てるトラック!お前なんか肺ガンで死んでしまえー!

 ワケもなく幅寄せしたりクラクションを鳴らす運転手!きっとお前らよりも長生きしたるからなー!

 人やクルマだけではない。ボトルの口まで砂だらけにする水溜り、ツルツル滑る側溝のフタ、ムチのように私の左腕をたたく植物、ビシビシと顔を打つ水しぶき、必死に上る私を後ろから引っ張る重たいバッグ・・・。全てが私の敵である。男子たるもの玄関を一歩出れば敵が7人いると言うが、7人どころではない。全てが、そう、雨の日は周りのもの全てが敵である。

 味方はたった一人。私の股の下で左右に揺れながら私と一緒に進む赤い自転車。

 この雨の中、パンクもせず、スリップダウンもせず、文句一つ言わず黙々と私を乗せて走る赤い自転車。

 何てけなげで何ていじらしくて何て頼もしいのだろう。そんなお前を「清滝最速マシン」にしてやりたかったが、どうもムリのようだ・・・。私の息子がお前に乗れるようになったら、その時はまた頼んだよ・・・。ああ・・・眠たくなってきた・・・。

 「パトラッシュ、ボクはもう疲れたよ・・・」

 ・・・そんなことを言ってるうちに会社に到着する。妄想は通勤時間も短く感じさせる。

通信手段

 今日お客さんから当店に手紙が届いた。内容は「先日お伺いした時に申し上げた電話番号が言い間違っていましたので正しい電話番号をお知らせします。すいませんでした」とのこと。

 かなり年配の方なので字がひょろひょろで読みにくい。そんなことの為にわざわざ手紙を書かなくても、電話するとかメール(年配の人なのでこれは難しいかもしれないが)するとか、他のもっと早くて簡単な方法がいくつもあるだろうに。

 しかしその年代の人たちにとっては、手紙というものが一番ポピュラーな通信手段で、一番慣れ親しみ、一番確実なのだと思っているのだろう。

 夏目漱石の『こころ』の中に、「先生」と「私」の間で手紙を何度もやりとりする場面がある。それは現代人にとって、少々じれったく感じることもあるのだが、それが当時の人たちにとっては唯一の通信手段だったのだからしょうがない(電話はあったかもしれないが、普及はしていなかったと思われる)。

 手紙は電話や電子メールとは違って、投函してから相手に届くまでに数日を要する。その届くまでの時間が、手紙の内容を時には意味深くさせたり、時には軽率にしたりする。手紙は「こころ」を伝え、そして動かす唯一の通信手段かもしれない。

 みなさんはラブレターなるものを書いたことがあるだろうか。私はある。何度もある。私はラブレターが大好きである。ラブレターほど自分の想いを確実に伝え、相手の心を(たとえ少しであっても)確実に動かし、「告白したんや」という満足感を得られるものは無いと思う。

 ラブレターなんてしばらく書いてないなあ。久しぶりに書いてみようかなあ。誰に出すかが問題だけど・・・。

ボディコン(・・・死語)

 ユニクロでBODY TECH PROというのを買った。

 着てみると、ピチィ!っとカラダにフィットしてなかなか良い。

 ついでにシャラポアのごとく、チクビの位置が丸わかりである。

 こんな服を山田優のようなスタイルバツグンの女性に着せてみたいなと思う。もちろんノーブラで・・・。

 ・・・ハッ!!私は何を書いておるのか!

 最近疲れております。仕事が忙しいからです。清滝越え自転車通勤のせいではありません・・・。多分・・・。

大人のおもちゃ

 今日は回転木馬イベントの富士見ダウンヒルに行く予定だったが、母の調子が芳しくないので泣く泣くキャンセルした。MTBもダウンヒル仕様にして結構楽しみにしていたのだがしょうがない。

 で、トイザラスに行ってきた。

 しかしそれは嫁と子供を連れて行ったのではなく、高校時代からの友人と行ったのだ。30過ぎのおっさん二人がトイザラスで目をキラキラさせながらおもちゃを眺めているというのもどうかと思うが、子供心を失っていない数少ない貴重な大人だと自分達を納得させながらのショッピングである。

 特にお目当ての買い物があったわけではないのだが、足は自然ときかんしゃトーマス関連売り場に向いていた。プラレールやトミカやレゴ等、それはそれはたくさんのトーマスグッズがあるトーマスコーナーは、最近トーマス好きになった私にとってまさに天国である。

 そこで私は「R/Cトーマス」を購入した。走らせると「シュッシュッシュッシュッ」って音が出て、「ポッポー」って汽笛の音がして、目玉がキョロキョロ動く。その目玉の動きっぷりに感動してしまったのだ。私がその箱をかかえているのを友人が見つけると、
 「おお〜それええやんけ。オレはこっちのジェームスのやつ買うわ」と言った。何度も言うようだが、30過ぎのおっさんである。30過ぎのおっさん二人がトーマスとジェームスのラジコンを「オトナ買い」している光景は、「トーマス欲しい〜」と親の手を引きゴネている子供の目にどう映ったであろう。

 「息子の為や。もうすぐ10ヶ月になる息子の為に買ったんや」と自分に言い聞かせながら、「対象年齢6歳以上」と書いてあるところはなるべく見ないようにしながら、「あっ、ていうかオレって6歳以上やから対象年齢に入ってるやん」とか考えながら、レジでお金を払った。

 家に帰って早速電池を入れ、トーマスとジェームスを走らせている30過ぎのおっさん二人の姿は絶対誰にも見られたくない・・・。

わからないこと

 6月7日付けの回転木馬店長日記を読んで、思ったことを・・・。

 私は『バックトゥザフューチャー』という映画が好きで、『BTTF』に関しての事柄を色々と調べたり勉強したりしたことがある。その中に「アインシュタインの相対性理論」があった。タイムマシンを造るうえで欠かすことのできない理論であると勝手に思った私はそれが何のことか調べるべく、『誰でもわかる相対性理論』(って題名だったと思う)という半分マンガみたいな本を買ってきて必死に勉強した。

 しかし、「わからないこと」を減らそうとして勉強しているのに、勉強すればするほど「わからないこと」が増えてくるのである。相対性理論のことを勉強すればするほど相対性理論がわからなくなってきてしまって、今「相対性理論って何?」って聞かれても「よーわかりません」と答えることになるだろう。

 例えばクルマがどうやって動いているのかを知りたくて勉強し始めると、エンジンやらミッションやらサスペンションやらボディやら、いろんなことを知らなくてはいけない。 「クルマはなぜ動くのか?」という「わからないこと」1つだけだったのが、「ピストンって何?」「空燃費って何?」「バルブタイミングって何?」「ホイールアライメントって何?」と「わからないこと」がどんどん増えてくるのだ。

 それらの「わからないこと」を全部「わかること」にする必要は無い。「わからないこと」はたくさんある。だけど「わからないこと」が増えても「知らないこと」は減らさないといけないと思う。私は相対性理論は「よーわかりません」が、「知りませーん」てことはない。

 誰しも「わからない」から始まり、そしてまた「わからない」に戻るものだと思う。私もこれからいろんな勉強をして、いろんな経験をして、もっともっと「わからないこと」を増やしたい。

p.s.
 何だか不機嫌な嫁に「何を怒ってんねん」と聞いたら、
 「何で怒ってんのかわからんのか!」って言われました。
 女心はわかるようになりたいです・・・。

返り咲き(予定)

 最近母親の体調が思わしくない。何が悪いってこともないのだが、私と弟が同時期に結婚し、家を出たという「急にヒマになった」感が自律神経を狂わせ、体調を崩しているのだという。何かしら動いていないと体調を崩すだなんて、今まで私たちを育てる為だけに生きてきた証だと思う。

 ・・・まあしんみりするのはこれぐらいにする。

 と言うわけで、母親の体調が元に戻るまでしばらく実家で寝泊りすることにした。つまり自転車通勤の際、嫌でも清滝峠を上らないといけない。クルマ通勤でも良いのではあるが、嫁が母を病院に連れて行ったりする為に使わなければならないこともある。これからしばらくは雨の日も風の日も清滝を上り、片道1時間ちょっとの道のりを往復する毎日である。

 これが意味するところは何か。清滝最速を狙う自転車乗りの方々はお気付きかと思う。

 そう!私が「清滝最速」に返り咲く日は近い!ということである。

 「最速はオレじゃ〜」などとイキがり、過去の栄光にいつまでもしがみついて、気がつけばいつしか14分台。「これではイカン」と「通勤遠回りトレーニング」を計画しても、自分に甘く他人に厳しい私にとって、長続きしないことは火を見るより明らか。あげくには「速く走るだけが自転車の楽しみではない」などと言い出す始末・・・。

 しかし今回は違う。わざわざトレーニングの為に上るのではない。上らないといけないのである。そうしないといけないのである。つまり、自動的に、いやがおうにも、望まなくとも、水が低い所に流れるが如く、ごく自然に最速に返り咲くのである。

 まあ私もバカではないので、今日明日最速になれるとは思っていないが、いずれはなるであろう。だって毎日上るんだから。フフフ・・・。

 母の体調が良くなるのが早いか、最速に返り咲くのが早いか、我ながら見ものである。

隠れファン

 タカラヅカに行って来た。

 タカラヅカの男性ファンってのはとても少なく、劇場に行ってもいるのはほとんど女性。タマに老人会の寄り合いで来ました〜みたいな観劇中眠っているようなおじいちゃんと、彼女にムリヤリ連れて来られました〜みたいな若い彼氏がいるぐらいで、あとは20代から60代のセレブ感漂わせ気味の女性が占める。

 今回私はここでも紹介したことのある嫁の友達と行った(もちろん嫁公認です)。彼女は幼稚園の頃に一度観に行ったことがあるだけというヅカ初心者。したがって当然「ヅカレベル」は私の方が上で、見所であるとか、誰がトップスターだとか、注目のタカラジェンヌだとかを、あの非日常的な空間にいるというテンションの高まりも手伝ってペチャクチャと彼女に説明していた。

 彼女はそれを嫌な顔一つ見せず聞いてくれていた。本当にイイヤツである(彼氏募集中)。

 しかしフトした瞬間に我に返ると、私たちの周囲にいるヅカファン達がこっちを見ているのに気が付いた。どうやら男性が女性にタカラヅカのことを説明しているという画が珍しかったのだろう。そりゃそうだ。普通は少し興奮気味の彼女が、興味の無い彼氏にあれやこれやといらん説明をするもんだ。ところが私たちはそれが全くの逆で、私だけがベラベラしゃべり、一つしかないオペラグラスを私だけが占有し、ヒイキのトップスターが登場する場面で拍手している男性は私だけである。

 なんとかして「彼女にムリヤリ連れて来られました〜」的雰囲気を出そうと努力してみるのだがなかなかうまくいかず、トップスターの衣装早変わりのシーンなんかでは「あれさっきの靴磨きの役やってた人やで」などと、思わずコソコソとささやいてしまう始末。

 そんな自分に嫌気が差し、劇場に来なくなった隠れ男性ファンって結構いるのではないだろうか。私もその仲間に入りそうである。「男性限定日」なんてものを作ってくれないかなあ、と思う今日この頃でした。

観客

 ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアなどの自転車レースの映像や写真を見ると、観客がコースの中程まで出てきて、お目当ての選手に触れんばかりに近付き声援を送っているシーンを良く見かける。山岳コースでの上り坂なんて、必死に上る選手の背中を押している人もいるんではないだろうか。

 自転車に乗車中に背中を押されるとバランスを崩して危ないとか、「ガンバレー!」と叫ぶ観客に対して「言われんでもガンバっとるわい!」というような腹立たしさもあるだろうが、まああれだけ応援されて嬉しくないことはないと思う。

 私は自転車で通勤した日、仕事の疲れが残っていなかったり、体調が良かったりすると、少し遠回りにはなるが、会社から阪奈道路をひたすら上り、生駒山上を経由して帰宅する。この季節になると、仕事が終わってもまだ明るく、新緑の香りも漂ってきて非常に気持ちが良い。

 と同時に、路肩の茂みに絡まったツタ(のようなもの)が大きく成長を始める季節でもある。

 そいつらは私がせっかく機嫌良く自転車に乗っているのに、視界の外から不意に現れ、私の顔や腕や足をバシバシと叩いていくのだ。下り坂でスピードが出ているときには本当に良く注意しないと、痛さと驚きのあまり落車する危険もある。

 しかし、普段は障害物以外の何物でもない路肩から大きく張り出した名も知らぬ植物も、自分の気持ちの持ちようで、必死に走る私を応援してくれている観客に見えなくもない。上り坂で頑張り過ぎ、酸欠状態で虚ろになった目に飛び込んでくるのは、私に向かって手を振り、声援を送ってくれる観客だ。気が付けば沿道はいつしか私のファンで一杯である。

 「ガンバレー!!」
 「行けー!!」
 「もっと回転上げろー!!」

 肩や背中をバシバシと叩かれながら、「うぉりゃあぁぁ!!」と、ひとり声を出し、ペダル回転数が少し上がるだなんて、我ながら妄想上手である。後はゴール地点で待っている、愛する妻と子供のもとへ飛び込むだけだ。

 「ヨッシャ!山岳賞や!」と自宅前にフラフラになって到着。しかし祝福してくれる人なんて誰もいない。さっきのファンの声援はどこに行ってしまったのだろうか。

 脳内アドレナリンがなくなっていくにつれ、自分のカラダがくっつき虫とカメムシだらけになっているのに気付くのでした。

家族連れ

 5月下旬に新型ステップワゴンが発売された。それがなかなか好評で土日にもなると多くのお客さんが来店され、いつもはヒマなウチの店も駐車場が一杯になったり、営業マンの手が足りなかったりとバタバタしている。

 やはりステップワゴンを目当てに来店されるお客さんのほとんどは家族連れであり、大抵2〜3歳ぐらいの子と1歳未満の子の2人兄弟(又は姉妹)である。そろそろガタが来ていると思われるクルマの後席にギュウギュウ詰めに装着された、お菓子の食べこぼしまみれのチャイルドシートから降りて来る子供達。元気良く「こんにちは!」って挨拶してくれる子もいれば、寝起きなのか不機嫌な子もいる。子供用に用意されているお菓子の詰め合わせを手渡すと、母親に促されてモジモジしながら「・・・ありがとう」って小さな声で言う。

 そんな仕種や言動はとてもかわいい。しかしどんな子供にも共通して言えることがひとつある。それは、

  ウチの子が一番カワイイ!!

 ということである。

 どこの親も内心そう思っているに違いない。どんなにブサイクな子供でも、自分の子は一番かわいいと思っている。

 「隣の庭の芝生は青く見える」ってのは、子供には全く当てはまらない。

  タダの親バカ日記でした。