構造

 普段仕事で接客をしていて、交換した部品や作業の内容を説明するときに少し困ることがある。それは、「このお客さんはどれだけクルマのことを知っているのか」ということだ。専門用語の使いどころに困るのである。

 「ブレーキパッド」というモノが何であるかということを知っている人はけっこう多いと思う。しかし知らない人はホントに知らない。逆にメカ通のじいちゃんがいたりして驚かされることもある。

 ある日シビックのタイプRに乗ってきたニーチャンがいて、まあタイプRなんかに乗っているぐらいだから、と思って専門用語(とは言ってもプラグとかサスとかのレベル)を使ったら、どうもハナシが相手に通じていないような違和感を感じた。案の定ニーチャンはクルマのことを何も知らない人だった。

 「タイプRに乗ってるんやったらメカのこと知っとけよ」とは言わない。クルマのことを知らなくても免許は取れるし、タイプRでもフェラーリでも乗れる。

 しかし、自分が使っている道具の簡単な構造ぐらいは知っておこうと思わないのだろうか。若いネーチャンやおばちゃんはアクセルを踏んだら走ってブレーキ踏んだら止まってハンドル回したら曲がる、それだけでいいと思っている。だからアクセルを踏んで走らなくなったらすぐにパニックになるのである。「クルマ走れへんやん!どっかつぶれてるんちゃうん!」と言ってくる。ガソリン入れろ。

 子供のおもちゃに電池が入っていないことを知らずに修理に持ってくる母親もいるらしい。コンセントを入れずにパソコンが立ち上がらないというヤツもいるらしい。ハンバーガーの食べすぎで肥満になったからといってハンバーガーショップを訴えるヤツもいるらしい。いずれも、おもちゃ、パソコン、身体の構造について無知すぎることが原因である。

 今あなたが使っているその道具、すこしでいいから構造を知ってみましょう。道具を大切する気持ちはそこから生まれると思う。

風を読む

 自転車に乗っていると、風を感じる。向かい風や追い風、横風もある。風の方向によって、自転車乗りは一喜一憂する。


 このあいだ清滝を上っていると強い横風にあおられ倒れそうになった。ディスクホイールだったら完全に足元をすくわれて転倒していただろうなと思った。

 そのときふと思いついた。4〜5本ぐらいのバトンホイールで、そのバトンに少しづつピッチをつける。そう、風車のように、プロペラのように。

 これで横風を受けると前への推進力になるんじゃないだろうか。反対側から風が吹いたときは羽根のピッチを逆にする。手元に角度を調整するレバーなんかをつけて。もちろん追い風や向かい風はピッチを0度にする。

 そんなことできるんだろうか?強度的には大丈夫か?ホントに推進力になるのか?誰か特許を持ってるんじゃないだろうか?いろいろ考える前に実行してみたらどうか?しかしカネがかかるなあ。


 そんなことを考えていたら、いつのまにか頂上だった。ホント、風っていろんなコトを考えさせてくれる。

すばらしきホンダ車たち〜NSR250R〜

 高校生のころホンダのバイク(NSR)に乗っていたこともあり、ホンダ好きになった。バイクやクルマが好きだったので、進路も特に悩むことなくホンダ学園に入った。もう、ホンダとは長い付き合いになる。

 今日から時々、僕が好きなホンダ車を紹介していきたい。その辺のクルマ雑誌に書いてあるようなことではなく、そのクルマの思い出話みたいのをしていこうと思う。

 それでは、1番目は先ほどチラッと出てきたNSRの話。

 17歳の時に中型免許を取り、始めて乗ったバイクである。先輩から15万で売ってもらった。89年式NSR250R。青と白のストライプだった。

 先輩から譲り受けて、走り出した時の緊張感は今でもよく憶えている。当時「予備タンク」というのを知らずに走っていたのですぐにガス欠になり、ガソリンスタンドまで押して行ったことがある。鴫野の交差点のGSだった。生まれて初めて入ったGSである。

 北海道に2度もツーリングに行き、2回とも行った先でエンジンが焼き付き半泣きになった。
 初めての彼女も後ろに乗せた。
 調子に乗って峠を攻めていて転倒、バイク屋まで2時間も押して歩いた。
 うだるような暑い日も、凍えるような寒い日も、体に当たる雨粒が痛い雨天も、毎日通学で使った。
 写真もいっぱい撮ったし、絵心もないのに絵を描いたりもした。
 リードバルブを交換したら低速トルクが上がった。チャンバーを交換したら高回転まで回るようになった。
 走りながらヘルメットの中で泣いたこともある。理由は忘れた。

 17歳から23歳までの約6年間、間違いなく僕と青春を共にしたバイクだ。このバイクのおかげで僕の行動範囲は格段に広がり、ついでに視野まで広げてくれた。

 僕とホンダのつながりを深めてくれたのはこのバイクであり、このバイクと出会っていなければ今の僕はない。

ボウリング

 回転木馬ボウリング大会があった。自転車屋さんのイベントなのに、最近は自転車以外のイベントの方が盛り上がっているような気がするのは僕だけだろうか?

 ところで、嫁とボウリングするのは実は始めてだった。前日に「そーいや、一緒にボウリング行ったことあったっけ」「ないよ。どこも連れて行ってくれへんかったやんか」というような会話があった。

 どこも連れて行ってないだと!?自転車で豪雨の淡路島1周も行ったし、琵琶湖1周も行ったし、鈴鹿サーキットも走ったし、普通のカップルがしないようなことちゃんとしてるやんけ。ボウリングなんかそのへんのバカップルでも行くっちゅうねん。

 少し荒れた。

 とにかく始めてらしい。「らしい」と言ったのはワケがある。僕は記憶力がないからだ。僕の3大欠点の1つである(あとの2つの紹介は次回に譲る)。嫁と観に行った映画、場所、もらったもの、あげたもの、記念日、言動など、ほとんど憶えていない。80%以上はケムリに包まれてどこかに行ってしまった。

 プロポーズの言葉なんて当然憶えていない。ていうか僕が言ったのか嫁が言ったのかも憶えていない。
 TVでやっている映画を見て、「これ映画館で観たよなあ」と言ってしまって軽く冷や汗をかくことが少なくない。
 僕が着ている服を嫁が見て「誰にもらったん?」と聞かれたときは、「誰やったっけ??」と答える前に、嫁にプレゼントされた服かどうかを数少ない記憶の断片から思い出さないといけない。
 ディズニーランドやUSJなど、修羅場になる前にもう僕はそこに行ってないことにしてしまった方が無難だ。

 プライベートでもそんな状態だから、仕事でもピンチになることがある。お客さんがいきなり「こないだ見てもらったトコロ、いまひとつ良くなってないねん」と言って来ても、「はぁ〜?」となってしまう。お客さんの顔と名前が一致するなんて高度なテクニックはない。クルマのボンネットを開けてようやく思い出す始末である。お客さんの顔よりエンジンルームの方がよく憶えている。

 ボウリングの結果がめっちゃ悪かったことも、その帰りの清滝のタイムがめっちゃ悪かったことも、すでに僕の記憶から消されようとしている。そのうち「清滝最速なんて言ったっけ?」と言い出すかもしれない。

鉄が鉄であるために

 動かなくなってスクラップになったクルマを「鉄のカタマリ」と言うことがある。今日も「オイル漏れがする」というクルマを引き取りに行った際に、お客さんが「もうこのクルマもツブれてきたなあ。もう鉄のカタマリやなあ」と言った。「へへっ、そーですねー」と愛想をついてきたが、クルマにとっては悲しい言葉である。

 クルマでもバイクでも自転車でも、鉄からできている(もちろんそれだけではないが)。鉄は地球上にある物質で、僕らが生まれるよりずっとずっと前から「鉄(Fe)」だった。

 今乗っている自転車のフレームは、自転車になる前はなんだったんだろう。そしてこれから何年自転車という形をつづけるんだろうか。僕らの人生よりはるかに長い鉄の人生。地球の歴史と同じ長さといっても間違いではない。

 鉄が例えば自転車という形をなし、僕と一緒に走っている。それはとてもすごいことだと思う。大袈裟だろうか。

 自転車やクルマを不法に投棄すると、鉄はそのままの形で朽ち果ててゆく。せっかく鉄として生まれたのに、人間の勝手な行動で鉄の人生はそこで終わってしまう。これからもいろんな人の役に立てるかもしれないのに。

 鉄が鉄であるために、われわれよりもずっと先輩であるこの貴重な物質を、もっと大切に思わないといけない。

階段落ち

 昨日仕事中に嫁から電話があった。ケータイに直接電話をかけてくることなんてめったにないことなので、緊急事態なんじゃないかと思った。

 聞いてみると、子供を抱いたまま階段を下りているときに、最後の3段ぐらいを踏み外して転んだそうだ。とっさに子供をかばったので子供には怪我はなかったそうだが、嫁はヒザやら肩やらにに結構な怪我をしたらしい。まあ、救急車を呼ぶほどのことではなさそうなので、とりあえずは安心した。

 しかし、子供を抱いたまま階段から落ちて、どうやったら子供を無傷で守ることができるのだろうか。仕事をしながらいろいろとシミュレーションをするが、どうもイメージが湧いてこない。子供に怪我をさせたなんてことが僕にバレたら、とんでもなく怒られるからということで、ウソをついているんじゃないだろうか。

 仕事が終わってからすぐに家に帰った。嫁の言う通り、子供にはまったく怪我はなかった。そのときの状況を細かく聞いてみると、前のめりに倒れる瞬間、子供を上に持ち上げ、捨て身の保護だったそうだ。嫁はそのおかげで、ヒザの肉がえぐれるほどの怪我をし、体中にアザをつくった。

 僕はまだそんな状況になったことがない。自分の身の安全なんかどうでもいい、とにかく子供を守るんだ、という状況に。僕らは3人川の字になって寝ているが、夜中に地震などがあったとき、上からモノが落ちてきてもいいように子供の上に覆い被さる心構えをしている。しかし、実際にその心構えを実行するチャンスにめぐりあっていない。めぐりあわないに越したことは無いが。

 果たして実際そんな場面になったとき、僕は子供をとっさに守ることができるのだろうか。人間の本能からして、やっぱり自分の身を守ってしまうのではないだろうか。嫁にはできた。うん、嫁にできて僕にできないことはない。きっと大丈夫だ。

遺伝

 僕はクセ毛だ。息子もクセ毛だ。確実に遺伝している。しかも彼はツムジが2つあるので、風呂上がりなんかにはとんでもないことになっている。多分、中学生ぐらいになって色気が出てきたら、セットに時間がかかるんだろう。「アタマめちゃめちゃやから学校行かへんっ!」なんて言い出すことも考えられる。僕がそうだったように。

 僕が子供のころの写真を見ると息子とそっくりである。笑ったりしかめっ面をしたりするととてもよく似ている。そんな息子を見ていると、もしかしたら自分とまったく同じ人生を歩むことになるんじゃないかと真剣に思ってしまう。

 今までの人生がイヤなものだった、ということではない。僕は(現時点では)とてもシアワセだと思っているし、恵まれていると思う。しかし、イヤなことも少なからずあった。これからもイヤなことはたくさんあるだろう。もう一度自分の人生を同じようにやり直せと言ったらやっぱり遠慮したい。当然自分の息子が僕と同じような人生を歩むことも見ていられなくなると思う。

 なぜそんなことを考えてしまうのか。嫁と言い合いになったりケンカになったりする。そんな中、ふと冷静になってみると、その昔オトンとオカンがケンカしていた状況とイヤというほど酷似しているからだ。ケンカをする度に思い出されてしまう。

 僕が子供の頃、オトンとオカンがケンカしているのをよく見てきた。2つ下の弟を連れて泣きながらおばあちゃんの家に非難したものだ。今はまだ息子は僕たちがケンカしていても泣き出すということはないが、そのうち同じようになるかもしれない。

 僕だけに限らず子供をお持ちの方は、自分の子供は幸せな人生であれ、と願っている。病気することもなく、いじめられることもなく、いい友達をつくり、いい職場に入り、いい家庭を築いてもらいたい。しかし僕たち親は、どうやって育てればそんないい人生にしてあげることができるのかわからない。自分がそうであるように、結局は自分と大差のない人生になってしまうのではないだろうか。

 僕には父親がいない。だから「孫ができたときの父親の気持ち」というものを知ることができない。もし自分の父親が生きていれば聞いてみたい。「孫を抱いてみて幸せか?」と。「幸せだ」と答えてくれるなら、僕は特に気張ることなくあるがままに生きていきたい。きっと僕がおじいちゃんになったとき、同じように「幸せだ」と答えることができる。そして息子もそうなっていくだろう。ぜひ、「幸せ」も遺伝していってもらいたい。

「救命病棟24時」

 先週から「救命病棟24時」というドラマを見ている。僕はあまりTVドラマをかかさず見るということはめったにないのだが、松嶋菜々子が出演しているということだけで見るようになった。先週の第1話でいきなり東京で大地震が起こり、救命病棟の舞台から大災害時の人間ドラマの模様を描いている。

 阪神大震災10年であるとか中越地震などがあり、タイムリーな時にこんなドラマを放送するなんて、テレビ局のシタゴコロがありありと見えて、ちょっとシラけ気味で見ていたが、第1話の地震のシーンが凄まじく、震災を体験したものにとっては少し怖いぐらいだった。

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p> こういった大災害時には救命救急センターなんかはとても忙しいと思う。いや、忙しいどころの騒ぎではないだろう。日本のような地震大国にはもっともっと大災害時専門の医師みたいなのが必要なのかもしれない。

 ドラマの中で、人の命を救うのに権力やお金や決まり事なんて関係ない、というような内容がある。多分このドラマのキーワードになっていくのだと思う。部屋のタンスやテレビが倒れてこないようにするのも災害対策だが、ある程度の救命応急処置を知っておくのも大切な災害対策と言えるのではないだろうか。


 とまあ、ここまではそこらのコラム欄にかいてある。ここからがほんとうの「M君の日記(仮名)」である(このフレーズが好きだ)。

 医療の現場はTVドラマや物語によく使われる。命を扱う仕事なので感動を呼びやすいからだと思う。ところがTVドラマ等に出てくる自動車整備士は大抵、ヤンキーだったりヤンキーの先輩だったりする。みんな金髪で高校中退っぽい奴らが働くイメージになっている。しかし、われわれの仕事もお客さんの命を預かっている。ブレーキなんて適当に作業したらえらいことになる。ヤンキーだろうが中退だろうがクルマオタクだろうが、真剣に仕事をしている(はずだ)。なんとか自動車整備士が、ドラマに出てくる医者のようにかっこいい職業にならないだろうか。どうもまだ3Kのイメージが残っている。

 江口洋介が整備士で松嶋菜々子が乗っているボロいクルマを修理する。そのクルマは昔付き合っていた彼氏が乗っていたが、事故で死んでしまった。そんなクルマを廃車することができない心を閉ざした女性と、密かに想いをよせる整備士のラブロマンス。もちろんラブシーンはクルマの中で・・・。

 お〜い。誰か止めてくれ〜。

悟り

 昨日の夕方、実家から自宅まで清滝を越えて帰った(もちろん自転車ですよ)。163号線から左へぬけて踏み切りを渡っていざ坂道!いままでかぶっていたニットの帽子を脱ぎ、ジャンパーのポケットに突っ込んでアタックを開始した。荷物は嫁の運転するクルマに預けてある。風もなし。なかなか調子が良い。タバコをやめたせいか、息も切れない。「こりゃ〜もしかするともしかするで〜」なんて考えながら上った。

 しかし、ガンガン攻めているとやっぱりしんどい。頂上に着く頃には酸欠でアタマが痛いほどだった。非公式なのでタイムは公開しない(こうやって書いたらみんなビビってんちゃう〜?)。
 交差点の歩道でへたりこんでしばらくしてから帰ろうと、ジャンパーのポケットを見たらニットの帽子がない!どこかで落とした!あれは嫁のを借りていたのだ。何を言われるかわからない。しかしどこで落としたかもわからない。しかたがない。引き返そう・・・。引き換えしたのはいいがどこで落としたか見当がつかないので、結局一番下まで下り、ゆっくり探しながら上っていった。
 ゆっくりゆっくり上る。だんだん暗くなってきたので見落とすかもわからない。本当にゆっくり上っていった。


 さて、ここでタイトルにもあるように「悟り」を開いたのだ!
 ゆっくりゆっくり上っていると、ぜんぜんしんどくないのだ!「あたりまえやん」って言わないでほしい。
 僕は坂道を上るとき、あまりダラダラ上るより、なるべくサッサと上ったほうが疲れないと思っていた。しんどい時間は短いほうが良い。坂道はしんどいものだ。速くてもゆっくりでもしんどいものはしんどい。だからサッサと上るのだ。

 ところが帽子を探しながらゆっくり上っていると本当に疲れなかった。ということは、もう少しつっこんで考えれば、上り坂はしんどいものではないのだ。ラクに速く上ってしまうことが可能なはずだ。「清滝は疲れる」という常識をくつがえすことができるはずだ。

 数学的に考えてみよう。体重68kgと自転車9kg、合わせて77kgが226mの高さまで上がるとき、必要なエネルギーは・・・・。誰か続きを計算してくれ〜〜。

震災10年

 阪神大震災から今日でちょうど10年。「10年も経ったんかあ」というのが正直な気持ちだ。「10年」という期間はひとつの時代というような「くくり」でよく使われる。

 僕が10歳になったとき、「生まれて10年経つんやなあ」と思ったことをよく憶えている。なんか「10年」という期間は子供心に「俺もひとつの時代を生きてきた」というふうに思わせた。20歳になったときも30歳になったときも同じ事を思った。

 だから「震災から10年」となると、まあみんなそうだと思うが、「本当にあれから10年なんだなあ」と考えてしまう。

 テレビの震災10年のメモリアル番組等で、被災者の様々な人間ドラマの模様を再現VTRでやっているが、阪神大震災によって引き起こされることになったドラマなんて、番組中に紹介される数人分のドラマどころではない。被災した人々、そしてその家族、友人、同僚など、ひとりひとりにドラマがあったはずである。僕にもある。

 そういった体験や経験は10年経っても忘れることはできない。インタビューでだれかが言っていた。「地震は数秒や数分で終わるけど、震災はまだまだ終わっていない」と。そのとおりだ。多分、「震災」は10年経とうと20年経とうと絶対に終わらないと思う。被災者の記憶が消されない限り。

 僕らは戦争を知らない。だから終戦記念日なんて正直ピンとこない。だけど震災記念日も阪神大震災を知らない子供達にとってはピンとこないものであると思う。「10年」という期間がそうさせたのは仕方がないが、伝えて行かないといけないなあ、とちょっと真面目な事も考えてしまうのである。終戦記念日に黙祷しているおじいちゃんやおばあちゃんの気持ちが分かった気がした。