僕はクセ毛だ。息子もクセ毛だ。確実に遺伝している。しかも彼はツムジが2つあるので、風呂上がりなんかにはとんでもないことになっている。多分、中学生ぐらいになって色気が出てきたら、セットに時間がかかるんだろう。「アタマめちゃめちゃやから学校行かへんっ!」なんて言い出すことも考えられる。僕がそうだったように。
僕が子供のころの写真を見ると息子とそっくりである。笑ったりしかめっ面をしたりするととてもよく似ている。そんな息子を見ていると、もしかしたら自分とまったく同じ人生を歩むことになるんじゃないかと真剣に思ってしまう。
今までの人生がイヤなものだった、ということではない。僕は(現時点では)とてもシアワセだと思っているし、恵まれていると思う。しかし、イヤなことも少なからずあった。これからもイヤなことはたくさんあるだろう。もう一度自分の人生を同じようにやり直せと言ったらやっぱり遠慮したい。当然自分の息子が僕と同じような人生を歩むことも見ていられなくなると思う。
なぜそんなことを考えてしまうのか。嫁と言い合いになったりケンカになったりする。そんな中、ふと冷静になってみると、その昔オトンとオカンがケンカしていた状況とイヤというほど酷似しているからだ。ケンカをする度に思い出されてしまう。
僕が子供の頃、オトンとオカンがケンカしているのをよく見てきた。2つ下の弟を連れて泣きながらおばあちゃんの家に非難したものだ。今はまだ息子は僕たちがケンカしていても泣き出すということはないが、そのうち同じようになるかもしれない。
僕だけに限らず子供をお持ちの方は、自分の子供は幸せな人生であれ、と願っている。病気することもなく、いじめられることもなく、いい友達をつくり、いい職場に入り、いい家庭を築いてもらいたい。しかし僕たち親は、どうやって育てればそんないい人生にしてあげることができるのかわからない。自分がそうであるように、結局は自分と大差のない人生になってしまうのではないだろうか。
僕には父親がいない。だから「孫ができたときの父親の気持ち」というものを知ることができない。もし自分の父親が生きていれば聞いてみたい。「孫を抱いてみて幸せか?」と。「幸せだ」と答えてくれるなら、僕は特に気張ることなくあるがままに生きていきたい。きっと僕がおじいちゃんになったとき、同じように「幸せだ」と答えることができる。そして息子もそうなっていくだろう。ぜひ、「幸せ」も遺伝していってもらいたい。