震災10年

 阪神大震災から今日でちょうど10年。「10年も経ったんかあ」というのが正直な気持ちだ。「10年」という期間はひとつの時代というような「くくり」でよく使われる。

 僕が10歳になったとき、「生まれて10年経つんやなあ」と思ったことをよく憶えている。なんか「10年」という期間は子供心に「俺もひとつの時代を生きてきた」というふうに思わせた。20歳になったときも30歳になったときも同じ事を思った。

 だから「震災から10年」となると、まあみんなそうだと思うが、「本当にあれから10年なんだなあ」と考えてしまう。

 テレビの震災10年のメモリアル番組等で、被災者の様々な人間ドラマの模様を再現VTRでやっているが、阪神大震災によって引き起こされることになったドラマなんて、番組中に紹介される数人分のドラマどころではない。被災した人々、そしてその家族、友人、同僚など、ひとりひとりにドラマがあったはずである。僕にもある。

 そういった体験や経験は10年経っても忘れることはできない。インタビューでだれかが言っていた。「地震は数秒や数分で終わるけど、震災はまだまだ終わっていない」と。そのとおりだ。多分、「震災」は10年経とうと20年経とうと絶対に終わらないと思う。被災者の記憶が消されない限り。

 僕らは戦争を知らない。だから終戦記念日なんて正直ピンとこない。だけど震災記念日も阪神大震災を知らない子供達にとってはピンとこないものであると思う。「10年」という期間がそうさせたのは仕方がないが、伝えて行かないといけないなあ、とちょっと真面目な事も考えてしまうのである。終戦記念日に黙祷しているおじいちゃんやおばあちゃんの気持ちが分かった気がした。