鉄が鉄であるために

 動かなくなってスクラップになったクルマを「鉄のカタマリ」と言うことがある。今日も「オイル漏れがする」というクルマを引き取りに行った際に、お客さんが「もうこのクルマもツブれてきたなあ。もう鉄のカタマリやなあ」と言った。「へへっ、そーですねー」と愛想をついてきたが、クルマにとっては悲しい言葉である。

 クルマでもバイクでも自転車でも、鉄からできている(もちろんそれだけではないが)。鉄は地球上にある物質で、僕らが生まれるよりずっとずっと前から「鉄(Fe)」だった。

 今乗っている自転車のフレームは、自転車になる前はなんだったんだろう。そしてこれから何年自転車という形をつづけるんだろうか。僕らの人生よりはるかに長い鉄の人生。地球の歴史と同じ長さといっても間違いではない。

 鉄が例えば自転車という形をなし、僕と一緒に走っている。それはとてもすごいことだと思う。大袈裟だろうか。

 自転車やクルマを不法に投棄すると、鉄はそのままの形で朽ち果ててゆく。せっかく鉄として生まれたのに、人間の勝手な行動で鉄の人生はそこで終わってしまう。これからもいろんな人の役に立てるかもしれないのに。

 鉄が鉄であるために、われわれよりもずっと先輩であるこの貴重な物質を、もっと大切に思わないといけない。