家事

 昨日は休みだったが、まだ調子が悪い嫁と子供の為に家に残って、洗濯やら食器洗いやら家事一式をやった。僕は気合を入れたのが間に合ったようで幸い元気だった。

 ウチの嫁は家事が嫌いではないのだろうが、僕が見ている限り動きが遅い。もう少しここをこうやってこないにしたら早くできるやんけということが多々ある。洗い物ひとつとってもなんだか水の無駄使いをしているような気がしてならない。

 だから昨日は僕が手本だと言わんばかりに、全ての家事をテキパキとやってやった。洗濯機を回して、その間にたまっている食器を洗い、乾いている洗濯物をたたみ、風呂とトイレの掃除をして。そして出来上がった洗濯物を干し・・・。

 僕はこの「洗濯物干し」に少々うるさい。嫁だけでなく主婦の多くはよく「この時期は洗濯物が乾かない」と言うが、それは季節のせいではなく干し方のせいだ。時間によって変わる日当たりを考慮し、乾きにくい厚手のものを風通し良いところに干しながら、限られたベランダのスペースを有効に使う。そういうことを考えて干すと、ホントに良く乾く。もっと空気の流れというか流体力学というか風を読めばちゃんと乾くのだ。それを「日当たりが悪い」とか「天気が悪い」とか「入居するときにもっとよく考えたらよかった」とか言いやがる。

 嫁はA型で僕はAB型である。AB型の意見かもしれないが、A型は確かにキッチリとしているが仕事が遅い。要領が悪くて、見ているとイライラしてくる。A型は自分が要領が悪いとは気付いていなくて、「コレが自分のやり方だ」とその方法を意地でも続ける。もっと早くていい方法があるのに、AB型がそれを指摘すると「うるさいなあ」と言う。人のやり方を見て学習しようという気がない。

 昨日はあえてこちらから何も言わなかったが、短時間の間に全ての家事を完璧にこなす僕を見て、何か感じてくれただろうか。どうせ「たまに熱出すのも悪くないなあ」ぐらいにしか思ってないだろうが。

インフルエンザ

 嫁の熱の原因はインフルエンザだったらしい。生後半年にも満たない子供がいるのになんたる失態だ。以前に階段から落ちて負った怪我の治療の為に通院している際、誰かにもらってきたんだろう。ホントに気をつけていただきたい。というわけで、我が家では元気なのが僕だけになってしまった。嫁のインフルエンザをもらっては元も子もない。とにかくうがいと手洗いはかかせない。

 昨日仕事中に来た嫁からのメールでそのことを知った。「自分はインフルエンザと診断された。高熱が続いている。宗一郎にもうつる可能性あり。なるべく早い帰宅を所望する」というような内容。それを見て嫁はともかく子供がすごく心配になった。突発疹も完治していないのに、さらにインフルエンザなんかもらってしまっては将来にかかわるんじゃないだろうか。子供だけでも実家に避難させるべきではなかろうか。早退を申し出てみようか・・・。

 ちょっと待てよ。早退したらグランツーリスモが長時間できるやんけ。最近バタバタしてて全然やってなかったからなあ。今は昼過ぎ。今から帰ったら昼寝もできるやんけ。子供を実家に避難させたらオレは半日遊べるやんけ!「嫁と生後半年の息子がインフルエンザなんです〜。高熱なんです〜」と言えばイケるんちゃうんか?!イケるやろ!ええやんけ!ええやんけ〜!仕事なんかヤル気なくなってきたやんけ〜!!

 人間はアマいところへ転がっていくのは早い。そんなことを考えながらヘラヘラと仕事をやっていた。

 「風邪なんか気合で治せ」なんてことをよく言うが、医学を勉強されたことのある方にとっては非常にバカバカしいことだと思う。気合なんかで病気が治ったら医者なんていらない。しかし現に気合を入れると、ひきかけの風邪などが治ってしまうことはある(タマタマだと思うが)。逆にダラダラしていると風邪をひきやすいような気がする。

 風邪のバイキンは人間のココロの隙間に本当にうまく入り込む。「早退しよっかな〜」とココロに隙間ができた途端にバイキンマンが入ってきてしまった。ノドがイガイガ、首の関節に違和感がある、目の奥が熱い・・・。

 今から気合を入れ直して間に合うだろうか・・・。

節分

 宗一郎に続いて嫁までも38度の熱を出しやがった。メイワクなヤツだ。ということで、晩メシの準備を僕がすることになった。準備といっても昨日は節分だったので、巻き寿司を買いに行くぐらいだけど。しかし仕事を終えて帰宅してから近所のスーパーに行っても、当然のごとく巻き寿司なんて売り切れだ。しかたなく子供を抱えて店内をうろうろ・・・。

 節分に巻き寿司を食べるなんて誰が決めやがったんだろうか。聞くところによると関西だけだそうだ。寿司屋の陰謀と、節分ぐらいは手抜きをしたいという主婦の根性がぴったり一致した、関西ならではの行事と言える。

 頼まれていた牛乳やタマゴ、そして熱がある嫁の為にアクエリアスとハーゲンダッツと焼き鳥をカゴに入れ(僕の優しさをアピール)、レジへ。片手で子供を抱きながら財布を出し支払いをするのは難しい。僕があたふたしている間に宗一郎はレジの女子高生アルバイトに得意のスマイルを振りまいていたらしく一瞬のうちに仲良くなっていやがった。「今度コンパしよな〜」とまるで宗一郎が言ったように子供をあやつり、しっかりと僕の希望を伝えておいた。

 家に帰ってハーゲンダッツを見せるとえらく喜びやがった。おつりは小遣いにしてよいと言う。1万円をもらって1000円程の買い物をしただけだ。約9000円の儲け!今月の小遣いは5500円(500円分は図書券)プラス9000円で14500円!!おお〜。オレって日本一の金持ちかもしれない〜。

発熱

 昨日の晩、宗一郎が38.8度の高熱を出した。抱き上げると明らかに体が熱い。ほっぺたも真っ赤になり、目も少し充血している。いつもなら僕の顔を見ればニヤっと笑うのにそれもしない。離乳食を始めたらこんなことがあるだろうなと心構えをしていたが、なんせ初めてだから不安だ。とりあえず病院で抗生物質と解熱剤と「様子を見ましょう」という言葉をもらい、ひと安心。

 子供が生まれたときに、嫁のおばさんから『育児の百科』(岩波書店 松田道雄著)という辞書みたいな分厚い本をいただいた。この本はとてもおもしろい。小さな子供を持つ親ならもちろん、そうでない人も是非読んでおいた方が良いと思う。その本にはこんなことが書いてあった。

 『子供が急に38度以上の熱を出す。それは突発性発疹だ。6ヶ月ぐらいから1歳ぐらいまでの病気で半分以上の赤ちゃんがかかる。子供にとって関所だと思うぐらいがよい。高熱を出すのは初めてだから母親はうろたえる。医者には「様子をみましょう」と言われ抗生剤と解熱剤を渡される。この突発疹は3〜4日発熱が続くが医者にもらった薬は使わないでよい。使うとウイルスと闘う体の正常な機能の邪魔をすることになるからだ。子供は大人ほど発熱がつらいものではない。水分を補給しておけばよい。父親は「医者にもっとよく診てもらえ」と言い残し出勤するが、決して病院をたらい回しにしてはいけない。待合室でいらぬ病気をもらうことがある。熱がひいたら体に蚊にかまれたような赤いブツブツが出るがかゆがらない。それも3日ほどで消える』

 医者でもらう薬のことや、僕のセリフまでズバリと言い当てている。この本にはいろんな病気について、「心配するな」というようなことが書いてある。親がオロオロしようが、夜中に病院のドアを叩こうが、その瞬間に病気が治ることはない。心配しても同じだと。

 僕らはクルマの構造を知っているので、例えば走行中にオーバーヒートしても普通の人ほど焦ることはない。焦らずに落ち着いて対処することができるのは知識と経験があるからで、それは医者でも同じだ(時にそういった落ち着いた態度がわれわれシロートには怠慢のように見えることがあるが・・・)。やはり子供の病気や怪我について、親は知識を持たなくてはいけない。医者ほどの知識はいらない。夜中に病院のドアを叩きに行くかどうかを判断できるぐらいでいいと思う。だからこの本はとても役に立つ。

寒波

 僕の家の周りは2日連続で雪国だった。自転車で清滝を上るなんて自殺行為はやめ、おとなしくクルマで通勤した。

 1日目はスタッドレスを履いてなかったので、かなりビビりながら走った。案の定ところどころで事故があり、貴重な通勤路を封鎖してくれていた。抜け道抜け道でなんとか遅刻せずに会社に到着。その日仕事が終わってから迷わずスタッドレスに履き替えた。2日目はみんな学習したのだろう、走っているクルマの半分以上は冬用タイヤを履いたり、タイヤを持っていない人は交通機関を利用していたので道路はとても空いていた。

 いつも思うことだが、スタッドレスに履き替えた時の雪道の安心感と言ったらスゴイものだ。スタッドレスでも滑る時は滑る。しかし何ともいえない「オレって雪道知り尽くしてるで〜」みたいな優越感がある。サマータイヤでノロノロ走ってるヤツがいると「どかんかい!このシロートが!」とつぶやいてしまうのは僕だけではないはずだ。

 ブレーキの効きも良い。ABSのテストでもやろうかなという気持ちになる。サマータイヤだとどこまで滑って行くかわからないので、そんなことやる気になれない。装着車はこういうときにABSやTCSのテストをやっておくとよい。ABSはある程度スピードを上げてからガツンとブレーキを踏む。ブレーキペダルにダダダダっとキックバックがあるが、びっくりして足を離してはいけない(びっくりして足を離し事故ったという事例がある)。

 ブレーキをガツンと踏んだとき、車内の荷物や何やらがガサっと動くと思う。車内の荷物を動くように積んではいけない。僕は思うが、急ブレーキを踏んだとき「あ〜びっくりした〜」とみんな言うが、本当にびっくりしたのは飛び出してきた自転車とか犬とかのせいじゃなくて、車内の荷物がガサっと音を立てるのにびっくりするのだと思う。フロントガラスに貼ってある吸盤のお守り(鈴付き)とかリヤシートの足元に置いたままになっている傘などは、早めに片付けるべきだ。何度も言うようだが整理整頓は本当に大切だと思う。

 車内にはこれだけあったらええやろベスト3!
 3位・・・車検証などの書類一式
 2位・・・スペアタイヤなどの車載工具
 3位・・・昔の彼女の思い出

自閉症

 昨日、スーパーテレビで自閉症の子供の特集をやっていた。僕はいままでこのような「子育て奮闘記」みたいな番組が好きではなかった。家庭で起こるさまざまな問題や事件を密着取材し、そして最後には「それでも私達は幸せですよ〜」みたいなオチがバレバレだからだ。それにもし自分の子供が障害を持って生まれてきたときのことを思うとどうしても見る気になれなかった。

<

p> 結婚する前、または子供が生まれる前にこんな番組を見ると、本当に自分の子供が健康で五体満足で障害もなく生まれてくるかどうかとても不安になる。もしかしたら自分の子供もああなってしまうんじゃないだろうかと思ってしまう。もしそんな子供が生まれたら子育てに行き詰まって、最悪の場合子供を殺して自分も自殺するかもしれない。とにかくああいう番組はいろんな意味でショックを受ける。

 嫁が妊娠していたとき彼女は何かの本で、「妊娠1〜3ヶ月ぐらいの流産の確率は約30%」というのを読んでとても不安になっていた。けっこう高い確率に正直僕も少しビビっていた。しかしこうも書いてあった。「流産するのは自然淘汰である」と。なんか少し気分が楽になったのを覚えている。

 こんなことを書くとちょっとキモイが、生まれるか流産するかは神様が決めることだと思う。だから僕らがどうこうできることではない。流産する子は成長の過程で何かしらの不具合があって、このままでは人間になれない(脳がないとか心臓がないとか)子に神様がもう一度チャンスを与えるのだ。そしてその子はきっとまたちゃんとしたカラダになってどこかのお母さんのお腹に宿る。

 つまり五体満足だろうと、何か障害を持っていようと、「この世に生まれた」ということは神様に認められたからだと思う。何か使命を与えられるんじゃないだろうか。そう考えることができるようになると、不思議と今まで見ることができなかった今回のような番組が自然に見れるようになった。

 障害児を持つ親は本当に大変だと思う。だけどそれは「障害児だから大変」というわけではない。「子育てが大変」なのだ。子育てに楽も大変もないはずだ。

 もし障害児の親になってしまったら、「自分の子供を殺して自分も死ぬ」なんて考えてはいけない。死にたいなら自分だけ死ねばよい。子供はきっと何か生まれてきた理由がある。もし宗一郎が2〜3歳になって自閉症だと診断されても、ちゃんと育てる自信がある。僕が生まれてきた理由がそれだからだ。

サービス

 「灯油を車内にこぼしてしまった」というお客さんが来た。

 以前にガムを足にひっつけたミニチュアダックスが車内で暴れまわって、シートやフロアがガムまみれになったというクルマもあった。いろんな修理があるものだ。

 内張りを外したりシートを外したりして大変な作業になる。灯油の匂いなんかどうやっても完全に取れることはない。しかもこういう作業は工賃が設定されているわけではないので請求が難しい。頑張った割には見返りが少ない、あまりヤル気の出ない作業である。

 こういうときのヤル気の出るか出ないかは、正直言ってそのお客さんの態度に影響される。サービス業たるもの、お客さんによってサービスの質をコロコロ変えてはいけないのは当然だ。しかし人間対人間のコミュニケーションである以上、サービスを受ける側にも提供する側にも「気持ちよく」なる為の丁寧な言葉遣いや態度はとても大切だと思う。

 このクルマを持ってきた中年のおばちゃんは、非常に腰が低くて言葉遣いにも好感が持てた。灯油もある程度自分で掃除したのであろう、車内はきれいに整理整頓されており、匂いを除けばほとんど新車のようになっていた。

 「お前灯油こぼしたやろ〜。どんくさいの〜」とダンナに言われ、「お母さんのクルマなんかくさ〜い」と子供に言われ、「あたしのクルマ灯油くさいから・・・」と、友達とのドライブにも行けないのだ。・・・いや、本当のトコロは知る由もないが、そういうお客さんの態度とクルマを見ればそこまで想像が膨らむものだ。 こんなお客さんだと「よっしゃ、ファブリーズでも何でもいっちょやったるか!」になる。そうではないお客さんにはここまでのサービスを提供する気になれない。

 僕らも当然サービスを受ける側になることがある。やはりいいサービスを提供してもらいたいと思うのは僕だけではない。そう思ったら、いいサービスを受けることができるような、いいお客さんにならないといけない。

図書券

 年末年始にお金を使い込んだという理由で小遣いを半分に減らされた。恥を承知で公表する。1万円が5000円になってしまった(涙)。キョウビの中学生でももらっている金額である。

 「それでは納得がいかない」とゴネまくる僕に嫁が「これやるから」と言って差し出したのが図書券だった。しかも500円分1枚のみ。僕は素直にそれでOKした。正味5500円なのに。

 なぜだかわからないが、図書券というのはかなり得した気分になる。例えば1万円を現金でもらうより、図書券でもらうと現金より嬉しい。僕だけだろうか。現金ならいろんなものが買えるが図書券は間違いなく本しか買えない。しかし図書券で本を買うと得したような錯覚に陥る。しかもお釣りが現金で返ってくる。タダの紙切れがお金に換わるのだ。しかも本が手元に残っている。

 去年は結婚したり出産したりと、いろんな方からお祝いをいただくことが多かった。お祝いのほとんどは現金なわけで、それらの現金はお返しであったり貯金であったり、すぐに僕の手元から旅立っていく。

 しかしもし図書券でいただいていたら、お返しにも使えないし銀行にも振り込めない。本を買うことにしか使えない。だから本など買わない嫁の手元をスルーして、僕の元へやってくる率が高い。

 本好きにとって図書券をもらうということはスバラシイことである。本しか買えないという限定された性能なのに、これほど人を喜ばせることができる。商品券、テレホンカード、Jスルーカード、マックカードなど、キャッシュレスで買い物ができるものはたくさんあるが、図書券に勝るものは今のところないと僕は思う。

 図書券はもっともっと普及してもよい。最近の子供の学力が下がっているとニュースでやっていたが、多分本を読まないことが原因の一つだと思う。子供の小遣いなんか図書券にすればいいのだ。お年玉も図書券、高校生のバイト料も図書券・・・。図書券をもっと流通させよう。図書券はこれからの日本を救う救世主だ。

すばらしきホンダ車たち〜NSX〜

 NSXを間近で初めて見たのは、たしか高校3年の頃、ホンダ学園へ学校見学に行ったときだったと思う。

 アソコは学校見学や保護者参観、企業見学会など部外者が来校する場合、ガレージの奥にしまってあるNSXやNRなどプレミア車両を玄関に飾るというコソクな手を使う。しかし当時はそんなこと知らないから、「おお〜ここに入学したら、NSXが実習車か〜」とまんまと騙された。そしてすぐに入学手続きをした。

 まあ、まんざらウソではなかった。さすがに学生達にNSXを分解させたりということはなかったが、車庫入れの実習(お客さんのクルマを運転する際に必要な立派な技術)のときに乗せてくれた。ハッキリ言ってあのクルマは前に走ることだけを考えて作られている。

 ボディのほとんどがアルミ、足廻りもアルミ、V6エンジンをリヤにマウントするなど、ホンダのメカニックを目指す学生達にとっては憧れのクルマであった。僕もその例に漏れず、「いつかは絶対乗ってやる」と思ったもんだ。NSXはベルノ店の専売なので就職の第一希望はベルノが多かったのは言うまでもない。

 しかし当時はそんな「特殊な」クルマを整備するだけの技術と設備が全てのベルノ店にはなかった。オールアルミボディは普通のカーリフトで持ち上げると歪んでしまうようなデリケートなものだったし、ホンダの生産ラインの従業員でも熟練した者しかNSXの生産に配属されることがなかったので、整備するメカニックもNSX専用の人が必要。だから大きいベルノ店ぐらいにしかNSX専用のリフトとNSX専用のメカニックがいなかった。

 そういうベルノ店は競争率が高い。僕は東京の大きなベルノ店に履歴書を送っていたが、何も連絡がなかったということは書類審査で落とされたのだと思う。そんなこんなでプリモ店に就職、今に至っている。ベルノに就職しなかったことによってNSXと僕との隔たりは大きく広がってしまい、「憧れのクルマ」から「憧れるだけのクルマ」になってしまった。

 完全受注生産、内外装色はオーダーメイド、フロアマットには自分の名前を刺繍してくれるという、まさに「プレミアムなクルマ」。メーカーのフラッグシップモデルとしてこういうクルマは必要だと思う。そしてホンダを愛する者として、やっぱりこのクルマに一度は乗らないといけないと思う。いつになるかわからないけど。

好みのタイプ

 自転車のフレームで、アルミは硬いとかカーボンはしなやかだとか言うが、僕は正直言ってよくわからない。回転木馬イベントで新機種の試乗会を毎年開催してくれるのに参加しても、「お〜。なんかこの自転車新しいなあ」ぐらいしか感じることができない。6kg台のターマックにも乗ったが、自分が乗っている自転車に比べたら違うというぐらいで、軽さがどうとか直進安定性がどうとかは全然わからなかった。インプレッションなんて恐れ多いことは出来やしない。クルマだったらわかるんだけどなあ。

 まあ、河川敷をちょっと乗ったぐらいではその自転車の性能の全てなんてわからなくて当然だ。1週間ぐらい通勤で使わせてくれるならわかるかもしれない。なんか疲れないなあとか、いつもより早く会社に着くなあとか。

 ケルビムロードをオーダーする際に、乗り心地をどうしてほしいとかフレームの硬さはとか聞かれたような気がするが、僕は確か「長く乗れるような自転車」と答えたと思う(すでに記憶が定かでない)。そう注文したものの、実際にその通りになっているかどうかよくわからない。しかし、以前のピストに比べると乗り心地がよくなっていることぐらいはわかる。ケルビムに乗って5ヶ月になるが今のところ特に不満がないということは多分長く乗り続けることができるだろう。

 自転車の選び方は人によっていろいろあると思うが、僕の場合はロードかMTBかぐらいを選べば、あとの乗り心地等は慣れていくものだと考えている。だからカーボンだろうがクロモリだろうが慣れてしまえばみんな同じだ。高価な自転車を何台も所有することができる人は「乗り比べ」ができるだろうが、僕の家庭はそうはいかない。なけなしのお金を払って購入したものだ。欠点を探すよりも長所を見つけていくほうが楽しい。

 好みのタイプがハッキリしている人は、その通りの自転車を選ぶと良い。求めるものがわかっていると自転車選びもスムーズだ。しかし好みがハッキリしていない人は、とりあえず買ってしまえば良い。あとは慣れていくもんだ。


 結婚相手を探すのとよく似ている。