あせるな

 先日、嫁がお母さん教室で知り合った友達のところへ遊びに行った。みんな宗一郎と同じ8月生まれの子供ばかりらしくて、どうせ子供自慢大会みたいなものになるのかなと思う。まあそのおかげで僕は自由な一日を過ごすことができ、やっとグランツーリスモもゲーム達成率30%をようやく超えることができた。

 ウチの嫁は子育てに対して積極的で、離乳食やオムツのサイズアップなど、平均の月齢よりも早めにやろうとするクセがある。それが宗一郎にとって良い事か悪い事とかそういうものではないが、「別にそんな焦らんでも・・・」と思ってしまう。

 今回のようにお母さん教室の友達と子供を連れて遊びに行くことがよくあるので、多分「ウチの子はもうオムツLサイズやね〜ん」とか「もう離乳食始めてんね〜ん」なんて言いながら、「子供の成長競争」みたいなことをやっているのだろうかと考えてしまうのである。

 案の定帰って来るなり、「寝返りできるの宗ちゃんだけやったわ〜」「離乳食3品たべてるの宗ちゃんだけやったわ〜」と言った。もうそんなことばかり話すのでいいかげんハラが立って、「これから70年も80年も生きなアカンのに1ヶ月や2ヶ月のことで競争するな」と言ってやった。

 「ウチの子まだ歩けへん」「ウチの子まだしゃべらへん」「ウチの子まだオムツ取れへん」・・・。そんなことばかり言ってこれからも子育てをしていくのだろうか。人間として生まれたんだからそのうち2本足で歩くに決まってる。人間として生まれたんだからそのうちしゃべり出す。30歳にもなって「パパ、ママ」しか話さないようだったら心配するべきだが、生まれて半年の子供が寝返りをするかしないかで何故そんなにエキサイトするのか。

 そんなに焦らなくても、他の子がどうだろうといいじゃないか。1年2年の違いならともかく、1〜2週間の違いだ。たったそれだけの違いを競争してどうするんだ。働き出したら5年も年下のヤツにえらそうにアゴで使われるかもしれないんだ。いまから競争してどーすんだ。

 思わず僕がエキサイトしてしまった。そして嫁が言った。

 「でも宗ちゃんが一番かわいかったで」

 そらそーや!!一番に決まってるやんけ〜!   ……ぉぃぉぃ。

かわいそうなぞう

 もともと貧乏性なので、1冊の本ですら自分自身が納得できないと買うことができない。「衝動買い」なんて僕にはありえないことで、しかしある程度の度胸もないと、いい本に出会うチャンスをたくさん逃すことになっていると思う。

 昨日、本屋に行った。以前にもらった図書券でも使おうかな、と思い立って行ったわけだが、特に欲しい本が決まっていたわけではないので店内を1時間以上もブラブラしていた。

 最近は本屋でそういう状況になった場合、子供の絵本コーナーに行く。特に必要でないものにお金を使うとものすごく後悔してしまうが、「子供の為に使った」と自分に言い聞かせるとけっこう納得できるからだ。しかも子供の絵本にもなかなかおもしろいものが多い。

 その絵本コーナーで、「かわいそうなぞう」を見つけた。

 たしか小学校の頃の国語の教科書に載っていた。その物語を授業で音読するたびに先生が教壇で泣いていたのを思い出した。子供心に悲しい物語だったということは憶えているが、きっちりとは思い出せない。「動物園」、「ぞう」、「戦争」、「死ぬ」・・・。単語は出てくるがどんな流れだったろうか。先生が泣いていたということの方が印象が強い。

 「題名は聞いたことがある。あらすじも大体知ってる。でも読んでない」というような本がたくさんある。そんな本を一つ一つ読んでいきたいと思うのだが、本屋に行くと忘れてしまうのだ。「あれ何だったっけな〜。まあ、今日買わなくてもいいか・・・」になることが多くて、ますます僕と本との出会いは遠ざかって行く。

 「かわいそうなぞう」もそんな本の一つだったことを思い出した。ひらがなばかりの本を手にとって、パラパラとページをめくった。するとその本に描かれている絵が、小学校の頃の教科書に載っていた絵と同じような・・・。いや、多分同じだ。うわ〜なんかなつかし〜。即購入。

 家に帰って子供に読み聞かせてやったが、涙がノドに詰まって全然うまく読めなかった。先生の気持ちがわかった気がした。

伝言ゲーム

 昨日はパソコンをさわるヒマがないぐらいに忙しかった。こんな日は久しぶりだ。そんな中、「クルマが止まった」とお客さんから電話があった。

 この場合、一口に「クルマが止まった」と言われても、どう止まったのかが非常に重要になってくる。現地へ引き取りに行くとなると、必要な工具の種類を予測して持っていくことができるからだ。だから僕は、「お客さんのクルマが止まったらしいから取りに行ってきて」とだけ頼まれても、ハッキリ言って行く気がしない。

 ウチの社員のみなさんは、僕のその辺のワガママを理解してもらえてるみたいで、ある程度電話口でお客さんに問診してくれるのだが、残念ながらこれがうまくいったタメシがない。

 今回の問診の結果は、「走っている途中でガラガラと変な音がして、エンジンが止まった」らしい。エンジンがガラガラと音を立てて止まってしまうなんてことは、オイルメンテの不良でエンジンが焼き付いてしまったんじゃないだろうか。牽引ロープ以外のものは必要ないだろうとタカをくくり出発した。

 しかし現地に着くと、お客さんはエンジンのかかったそのクルマの中で暖房とCDをかけながらくつろいでいた。しかも1週間前に納めたばかりの新車のFITである。ハナシをよく聞くと、どうやらサイドブレーキを引いたまま走行してしまったようで、「変な音」というのはブレーキの引きずるゴリゴリ音、そして「エンジンが止まった」のではなく「怖くなってクルマを停めた」ということだった。

 クルマが道端で止まる(停まる)なんてことはお客さんにしたらあってはならないことで、興奮して当店に電話をかけてくるわけで、その時の状況をうまく我々に伝えられないことはよくある。しかしそれは予測できることだ。我々はそういうイマイチ何を言っているのかわからないお客さんの声を、上手に翻訳して対処しないといけない。さらにそれを受け付けた者から作業をする者まで的確に伝えないと、今回のような見当違いの工具(道具)を持って行ってしまい、時にはそのまま見当違いの作業をしてしまうこともありえる。

 「伝言ゲーム」というものがゲームとして成立しているのは、聞いたことを正しく伝えることができないという記憶の曖昧さと、言葉や情報を自分の中で勝手にわかりやすいように解釈してしまうという人間のクセを利用しているからだ。もし「ホンダ販売店対抗伝言ゲーム大会」が開催されたら、当店は確実に予選落ちしているわけで、そんな状態ではお客さんに信頼される店には程遠い。

 「人間のクセだから」と笑っていてはいけない。そのあたり十分気を付けないと、白のクルマを注文されたのに黒を納車してしまうことにもなりかねない。

かおり

 今日は何故か早めに会社に着いた。自転車を降りると、知らないおばちゃんが声をかけてきた。

 「ホンダの方ですか?」「はいそうですけど」。そう答えるとおばちゃんは息セキ切ったように、「かおりちゃんがオタクの会社の中に逃げ込んだんです!」と言う。・・・かおりちゃん?ハテナな顔をしている僕におばちゃんは我にかえって状況を説明した。

 「かおりちゃん」というのはインコの名前で、そのインコがウチの店の中に迷い込んだらしい。早速会社のカギを開けてかおりちゃんのところまで・・・。窓の枠にとまっているインコはちょっと高そうなインコだった。「かおりちゃん、かおりちゃん・・・」と言いながらおばちゃんは近寄って行くが、残念ながらかおりちゃんはどこかへ飛び立って行った。「どうもすいませんでした・・・」とおばちゃんは半泣きになりながら、かおりちゃんの飛んでいった方向を見ながら走って行った。

 僕の経験上、「かおり」と言う名の女性(メス)は一度取り逃がすと二度と戻って来ない。高校時代に片想いしていた1つ上の先輩が「かおり」という名前だった(サッカー部のヤツにとられた彼女ではない)。彼女にはとてもお似合いの同級生の彼氏(つまり僕の先輩)がいて、僕なんかには遠く及ばない憧れの存在だった。

 しかしその先輩カップルが破局の危機になった。これはチャンスということで僕はラブレターを書いた。後にも先にもこれ以外にラブレターを書いたことはない。考えに考えて時間をかけて書いたが、時間をかけすぎて先輩は卒業旅行に行ってしまった。まあ、帰って来てから渡そうと思っていたのだが甘かった。その卒業スキー旅行で先輩カップルはヨリを戻していたのである。ラブレターを渡したときに知らされた。「もう少し早く言ってくれたら・・・。あたしM君のことけっこう好きだったのに・・・」 得意の妄想ではない。実話だ。

 今思い出しても胸が苦しくなる青春の1ページである。僕は高校時代、失恋ばかりしていた。

 それ以来、冗談でもなんでもなく、「かおり」という名の女性に対して緊張してしまうようになった。「かおり」という名の女性の友達は何人かいるが、その女性をGETしているダンナ、もしくは彼氏のことを尊敬してしまうほどだ。

 鳥カゴと、「かおりちゃん」の好物と思われるエサの袋をかかえてフラフラと走って行くおばちゃんの背中を見ていると、ふとそんなことを思い出してしまった。

ベタベタ

 昨日はベッタベタな一日だった。

 風邪をひいてからなかなか本調子にもどらない僕と嫁の為に、「栄養のあるものを」ということで嫁の実家で焼肉をしてくれた。夕方、その材料を買いに、嫁と嫁のお母さんと僕と子供の4人で京阪百貨店に行った。京阪守口市駅の構内にコムサがあって、嫁と嫁のお母さんは2人でキャッキャと子供服を見ている。それを僕は子供をダッコしながら見ていたのだけど、それがとても「ベタやな〜」と感じてしまった。

 廻りを見ると、僕らと良く似ている家族がたくさんいる。嫁とお母さんだけが盛り上がり、お父さんは子供と一緒にうろうろ〜うろうろ〜している。「これかわいいやん!お母さん見て見て!」「これちょっとかぶってみ!」「ちょっとパパ〜!これいいやん!」「とってもお似合いですよ〜」。嫁とお母さんと店員のそんなやりとりがそこらじゅうから聞こえてくる。

 僕はそれに少し嫌悪感のようなものを感じて店を出た。

 どこのコムサでもそうだが、あそこはショーウインドーのマネキンが印象的だ。よくある気取ったような顔つきのマネキンではなく、ちょっとマンガチックな感じで好感が持てる。しかもズラ〜っと同じ顔のヤツが並んでいて、特に子供のマネキンがかわいらしい。

 確かに店内に入る前にこれらを見せられると、「ウチの子供にもこの服似合うんちゃう〜ん」になると思う。なかなかやるなコムサ。

 そして店内を覗けば、その陰謀にハマったバカ家族たちがワイワイ賑っている。

 「フッ」とそんな状況を鼻で笑いながら、自分の子供が着ている服に目をやると・・・、なんとこいつ上から下までコムサやんけ〜!!コムサのマネキンを冷静に分析し、コムサの店内の状況を鼻で笑い飛ばしたヤツが、コムサの前でコムサの服着てる子供をダッコしている〜!ベッタベタやんけ〜〜!

 ここまできたら「ベッタベタ」を通り越して「さっぶさぶ」である。もう耐えられなくなって、まだキャッキャやっている嫁たちをサッサと連れて出て、サッサと京阪百貨店に入った。

 その後、京阪の中の本屋で嫁が買った子供の絵本は「ももたろう」だった。・・・ベタやな〜。

改装工事

 今ウチの店は改装工事をやっている。今まで平屋だったのを2階建てにするという工事。僕のシロート感覚では建物の上にポンと2階部分を乗せるだけかなと思ったのだがそうはいかないみたいで、基礎の打ち直しや階段の取り付けやらで大変なことになっている。工事中とはいえその間休業するわけにもいかないので、重機が入って駐車場が狭くなったり、店内の机を端っこに寄せたりしながらも細々と営業をしている。

 この基礎の打ち直しというのがスンゴイ作業で、5〜6mはある鉄管をボーリングの特殊車両で地面にブチこんだり、ゴツイ鉄骨をクレーンで空高々と持ち上げ組み立てていく。普段見ることのない作業に思わず見とれてしまって、自分の作業の手が止まることもしばしば・・・。

 それらの鉄骨たちは当店が以前からお世話になっている工事業者が図面を書いて鉄骨業者に依頼するわけで、あらかじめ寸法通りに作られたゴツイ鉄骨何十本もが正確に組み立てられていく様は、大きなプラモデルを作っているかのようでオモシロイ。

 ところが先日ミスがあったらしい。基礎の鉄骨を地面に埋める際、測量のミスで30cm程図面とずれて埋めてしまった。しかも4本も。クレーンで組み立てている時に発覚したみたいで、発注した鉄骨が半分以上使えない事態に。そのおかげで基礎をやり直し、鉄骨を組み直し、工期は大幅に遅れ、金額的な損害はとてつもないものになるそうだ。

 その日の晩、測量をした若い現場監督とその上司と見られる人数人が来て平謝りをしていった。おそらくその若い現場監督は会社に帰ってからこっぴどく叱られたのだろう、次の日からかなりヘコんでいて上司に怒鳴られながら測量をやり直していた。そのションボリ加減といったら、迷惑を被った客である僕らがかわいそうに思ってしまうぐらいである。

 しかしだ。プロとしてその仕事をミスしたのだからそれぐらいのことは仕方がないと言える。本来はそうあるべきで、仕事をミスしてもそこまで怒られることって少なくなってきたんじゃないだろうか。僕らもクルマを直せなかったとか、約束の時間通りに作業が終わらなかったとかがあっても、あそこまで誰かに怒られることってないような気がする。だからといって適当に仕事をしてはいけないのだが、毎日同じ作業だったり少し体調が悪かったりしたら、緊張の糸は緩んでくる。人間だもの。

 今回の工事業者のミス、それに対してのお詫び、そして会社みんなでミスをカバーしようという姿勢を見て、そんなことを考えさせられた。僕はよく「プロっちゅうもんはなあ〜」とえらそうに言う。「プロは仕事をミスしない、めちゃくちゃ早くて上手。それがプロっちゅうもんや!」と思っていたが、少し控えようと思う。仕事をミスしたときのリカバリーもプロの仕事の重要な一部なんだなあ思った。

サッカー

 今日は日本対北朝鮮戦がある。多分観る。

 僕は高校時代にサッカー部のヤツに彼女をとられたことがある。それ以来サッカーが大嫌いになった。Jリーグが発足したときも全然うれしくなかったし、ドーハの悲劇なんか思わずニヤっとしてしまったものだ。

 サッカーが嫌いというよりもサッカー選手が嫌いだったかもしれない。自分はサッカーをやっている、俺はサッカー部だみたいなオーラをプンプン出そうとしている気がする。サッカー部が持っている大きなエナメルのバッグや、サッカー部が履いている靴下のデザインや、サッカー部が紅白戦の際に着る蛍光塗料のベストのようなものも嫌いだった。

 『キャプテン翼』はもちろん僕は読んでいないので詳しい内容は知らないが、それに登場した人物の誰かが、「ボールは友達」と言った。果たしてそんなこと思ってるヤツがサッカー部にいたのだろうか。「モテるんちゃうか」「あわよくばバレー部のヤツの彼女をブン取ることができるんちゃうか」としか思ってなかったはずだ。

 今思い出してもハラが立つ出来事だ。それほどカワイイ彼女だったのだ。いや、ホントにかわいかった。高校時代からの親友たちは僕の前ではサッカーのハナシをしない。酒の席では特にしない。興奮して暴れるか、泣き付かれることを知っているからだ。

 しかし僕も大人になった。今日のサッカーの試合は一応観る。そして得点が入ったら人並みに喜ぶ。あの時の彼女に未練を残していることを嫁に悟られないようにするためである。

子供を持つということ

 かおりさんの日記を読んでいてとても考えさせられた。子供は欲しくないと言う女性が増えてきているのは知っていたが、結構身近にいるもんだ。

 僕はぜひ子供を持って欲しいと思う。人それぞれいろんな考え方があるし、子を持てない事情のある人もいる。だけど僕は子供を持って本当に良かったと思っている。

 結婚した当初は、子供はしばらく後にしてとにかく2人で働いて貯金、貯金。ある程度貯まったら子供を産み、一戸建てにでも住もうかなと考えていた。それまでにもちろんクルマやいい自転車なども買い揃えておいて・・・。2人で話し合ったわけではなく、ただ漠然とそう考えていた。

 ところが入籍したその数時間後に体調が悪いからと病院に行ったら妊娠していたのである。その日は12月24日だったから、嫁は「サンタがクリスマスプレゼントを持って来てくれた」と喜んでいたが僕はその一報を聞いて、正直どうしようか悩んでしまった。(漠然とではあるが)計画していたことが全て音を立てて崩れていったのだから。

 しかしできてしまったものはしょうがない。僕なりに「親の資格って・・・」などと考えてみたが答えなどない。日に日に大きくなっていく嫁のお腹を見て、父親になるその日が近付いてくるのをただ待っているだけだった。

 子供が産まれた日はもちろん僕も喜んだが、廻りの人が僕より喜んだのが印象的だった。一番喜んだのはやはり母親。まだ血だらけの産まれたての子供を抱いて涙を流して喜んでいた。「オカンをこれだけ喜ばしただけでも子供を持つ甲斐があるんやなあ」と思った。

 これからの日本を案じて子供を産むことにブレーキがかかっている人もいる。地震、不景気、戦争・・・確かに無いとは言えない。だけどもし自分が災害や戦争に巻き込まれても、自分の親を心配することはあっても恨むようなことはしない。災害や戦争や不景気などは親のせいではない。多分自分の親も僕らを産むときに日本を案じたはずだ。僕が産まれた年はオイルショックがあった。

 お金の心配もある。一見深刻な問題のように見えるが案外なんとかなるもんだ。お金がないからという理由でクルマや家を売ることはできるが、できた子供を売ることはできない。クルマのローンを組む際に、契約のハンコを押すのは少し度胸がいるが、押してしまえばスッキリする。その為に働くってことはそんなに悪くない。お金は先立つのではなく、後からついてくるものだ。

 仕事を持つ女性にとって、妊娠、出産、育児にかかる時間はかなりのハンデである。その間にライバルに先を越されるだろう。だけどそれは仕事だけであって人生のハンデではない。出世は後でもいいが出産は早いに越したことはない。

 「そろそろ子供をつくってええやろ。そろそろ私たちも親になる資格あるで」と言って計画通りに出産することができる夫婦は一体どれだけいるんだろうか。僕の身近にはそんな計画性バツグンの人たちはいない。「できちゃった」「なんやて〜!!」と仕方なく結婚するカップルのもとに産まれてくる子供は不幸だろうか。僕が知る限りそういうカップルの方が結婚時にイザコザがあった分、産まれてきた子供を大切にする。結婚に反対していた嫁の父親も孫の顔を見れば「全て良し」と言わんばかりのジジバカになる。

 大体、「親の資格」なんてないと思う。ぶっちゃけどれだけ酔っていても出来るぐらい簡単なクルマの運転に免許がいるのに、子供を持つという大変なことには免許はいらない。子供ができたという連絡を受けて悩んでしまった僕でも親になれるのだ。今のうちから「子供を持つ資格が私たちにはあるのか・・・」なんて考えることができる人は、僕に言わせりゃもうその時点でゴールド免許である。

 子供を持つと親の大切さがよくわかる。両親を絶対に尊敬できなかった僕がそう思ってしまうぐらいなのだ。現在、お父さんお母さんを尊敬し大切に思っている人が自分の子供を持つと、その尊敬はさらに深まり、人生の先輩としていろいろアドバイスをしてくれる親がどれだけありがたいものか実感するだろう。ていうか親は先輩風を吹かせたがっている。つまり子供を産むことはある意味親孝行でもある。

 子供ができてからというもの、夢なんて持たなかった僕にも夢ができた。しかも子供に関することばかりがいくつも(ひとつは回転木馬キッズチームをつくること。だからみんながんばれ)である。

 『案ずるより産むが易し』 この一言に尽きる。この言葉は今まで長々と書いた僕の文章を一気にまとめる力がある。

チクビ

 本日3件目の公開ではあるが、どうしても書きたいことができたので遠慮せずに書く。「仕事ヒマなんかい!」と思ってはいけない。仕事が早いのである。

 昨日、大好きなシャラポアちゃんがテニスの試合をやっていた。テニスなんて興味がないので見ることなどないのだが、シャラポアのチクビに釘付けになってしまった。外人はチクビが写っていてもあまり気にすることはないのだろうか。

 そんなことを今日、ショールームのシャラポア等身大パネルの前でみんなと話していると、あれはファッションだという意見があった。しかも最近ではチクビの位置がわざとわかるようなブラジャーが売っているという。

 ファッション!?あれはシャラポアがやるからファッションと言えるのであって、みんながやったからといってファッションとは言えない。Tバックやヘソ出しや背中出しなど、セクシーファッションは確かに男性の視線をGETすることができるが、世の女性が全てそんなファッションではつまらない。女性の中でも上位の・・・いや、上級の・・・とにかくまあ、シャラポアとかそういう人がするからこそいいのだ。

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p> ヨン様のヘアースタイルをマネしているヤツを見たら、「さぶ〜」と思ってしまうのと同じで、シャラポアと同じファッションはシャラポアにしかできない。

 シンクロで世界一美しいと言われるロシアや日本の演技を観たときに、チクビが写っていたらそこにばかり目が行ってしまって、本来のシンクロの素晴らしさには目が行かないのではないだろうか。

 みなさんもマクドナルドでコーラを注文したことがあると思う。あの容器のフタには指で押すとペコっとへこむでっぱりが2つある。それをついつい2つとも押してへこましてしまうのは僕だけではない(2つというのがポイント)。あれは人間の習性だ。しかし、もしチクビ出しファッションが流行ったとしても、「ついつい」という理由でチクビを押してはいけないだろう。

 クッキーの缶に入っているプチプチを渡されると無意識のうちにプチプチやっている。それと同じで満員電車の中で目の前にチクビがあったら思わずプチプチやってしまわないだろうか。それもやはり人間の習性なのだ。「いや〜ついつい、目の前にいい具合のボタンがあったから押してしまってん。ゴメンゴメン」で済めばよい。済むならみんなシャラポアファッションをすればよい。人間の習性をくすぐるようなことをしているのだ。それぐらい覚悟してもらいたい。

 チクビの位置なんてわからないからいいのだ。想像を掻き立てられるからいいのだ。男子中学生の想像力が低下しているのはセクシーファッションのせいだ。TVなどでカッコイイとかオシャレだとか言われているものが全て自分に当てはまると考えてはいけない。あれはシャラポアだからいいのだ!強く抗議したい。

すばらしきホンダ車たち〜S2000〜

 このクルマは僕が最も欲しいクルマである。2000ccという適度な排気量、FRというホンダにはなかった駆動方式、フルオープンボディ、そして「S」という称号。2人しか乗れないとか、スタイルの好き嫌いが分かれるとかどうでもいい。それを補って有り余る魅力がこのクルマにはある。

 ご存知の方も多いと思うが、「S」シリーズというのはS600やS800などの2シーターオープンボディのピュアスポーツカーにつけられる。NSXのようなスーパーカーとは少し違う。A地点からB地点までの移動の時間が速いクルマはNSX、移動中最も楽しいのはS2000である。

 みなさんはオープンカーに乗ったことがあるだろうか。あの爽快感といったら言葉にはできないくらいだ。幌を閉じている時は狭苦しいが、ひとたび屋根を開けると、とても広いクルマに乗っているような感覚になる。ハタから見ると少し恥ずかしい。オープンにして街中を走っているヤツを見ると「ケッ」と思ってしまう。しかしあの気持ちよさは乗っている者だけが味わえばいい。他人にどう思われようとかまわない。まさに自己満足の極みと言っていい。

 だからといってS1000でもS3000でもいいかというとそれは違う。やっぱり2000ccという排気量は何か惹かれるものがある。大きすぎず小さくもなく、ちょうどいい。勝手な考えだが2000ccが好きな人は「西部警察」に登場したスカイライン2000RSターボとかが好きで、少なからずそれが影響しているのかもしれない。

 S2000も残念ながらベルノ店の専売である。われわれプリモ店では販売することはおろか修理や車検など、S2000が当店へ入庫することはない。ところが先日ブレーキランプの交換にS2000がやって来た。プリモのスタッフは、同じホンダ車でありながらS2000など間近で見ることがない。普通1分で終わるブレーキランプ交換に10分使い、店の構内を行ったり来たりして楽しませていただいた。

 僕はS2000やNSXなど、使い方が特化しているクルマが好きだ。走ることを追求していくと、ドライバーのことだけを考えたクルマになってしまう。しかしそれでいいと思う。クルマは助手席の彼女の為でもなく、チャイルドシートの子供の為でなく、自分の為だけにあればいい。そんなクルマを造っているのはホンダだけかもしれない。