かおりさんの日記を読んでいてとても考えさせられた。子供は欲しくないと言う女性が増えてきているのは知っていたが、結構身近にいるもんだ。
僕はぜひ子供を持って欲しいと思う。人それぞれいろんな考え方があるし、子を持てない事情のある人もいる。だけど僕は子供を持って本当に良かったと思っている。
結婚した当初は、子供はしばらく後にしてとにかく2人で働いて貯金、貯金。ある程度貯まったら子供を産み、一戸建てにでも住もうかなと考えていた。それまでにもちろんクルマやいい自転車なども買い揃えておいて・・・。2人で話し合ったわけではなく、ただ漠然とそう考えていた。
ところが入籍したその数時間後に体調が悪いからと病院に行ったら妊娠していたのである。その日は12月24日だったから、嫁は「サンタがクリスマスプレゼントを持って来てくれた」と喜んでいたが僕はその一報を聞いて、正直どうしようか悩んでしまった。(漠然とではあるが)計画していたことが全て音を立てて崩れていったのだから。
しかしできてしまったものはしょうがない。僕なりに「親の資格って・・・」などと考えてみたが答えなどない。日に日に大きくなっていく嫁のお腹を見て、父親になるその日が近付いてくるのをただ待っているだけだった。
子供が産まれた日はもちろん僕も喜んだが、廻りの人が僕より喜んだのが印象的だった。一番喜んだのはやはり母親。まだ血だらけの産まれたての子供を抱いて涙を流して喜んでいた。「オカンをこれだけ喜ばしただけでも子供を持つ甲斐があるんやなあ」と思った。
これからの日本を案じて子供を産むことにブレーキがかかっている人もいる。地震、不景気、戦争・・・確かに無いとは言えない。だけどもし自分が災害や戦争に巻き込まれても、自分の親を心配することはあっても恨むようなことはしない。災害や戦争や不景気などは親のせいではない。多分自分の親も僕らを産むときに日本を案じたはずだ。僕が産まれた年はオイルショックがあった。
お金の心配もある。一見深刻な問題のように見えるが案外なんとかなるもんだ。お金がないからという理由でクルマや家を売ることはできるが、できた子供を売ることはできない。クルマのローンを組む際に、契約のハンコを押すのは少し度胸がいるが、押してしまえばスッキリする。その為に働くってことはそんなに悪くない。お金は先立つのではなく、後からついてくるものだ。
仕事を持つ女性にとって、妊娠、出産、育児にかかる時間はかなりのハンデである。その間にライバルに先を越されるだろう。だけどそれは仕事だけであって人生のハンデではない。出世は後でもいいが出産は早いに越したことはない。
「そろそろ子供をつくってええやろ。そろそろ私たちも親になる資格あるで」と言って計画通りに出産することができる夫婦は一体どれだけいるんだろうか。僕の身近にはそんな計画性バツグンの人たちはいない。「できちゃった」「なんやて〜!!」と仕方なく結婚するカップルのもとに産まれてくる子供は不幸だろうか。僕が知る限りそういうカップルの方が結婚時にイザコザがあった分、産まれてきた子供を大切にする。結婚に反対していた嫁の父親も孫の顔を見れば「全て良し」と言わんばかりのジジバカになる。
大体、「親の資格」なんてないと思う。ぶっちゃけどれだけ酔っていても出来るぐらい簡単なクルマの運転に免許がいるのに、子供を持つという大変なことには免許はいらない。子供ができたという連絡を受けて悩んでしまった僕でも親になれるのだ。今のうちから「子供を持つ資格が私たちにはあるのか・・・」なんて考えることができる人は、僕に言わせりゃもうその時点でゴールド免許である。
子供を持つと親の大切さがよくわかる。両親を絶対に尊敬できなかった僕がそう思ってしまうぐらいなのだ。現在、お父さんお母さんを尊敬し大切に思っている人が自分の子供を持つと、その尊敬はさらに深まり、人生の先輩としていろいろアドバイスをしてくれる親がどれだけありがたいものか実感するだろう。ていうか親は先輩風を吹かせたがっている。つまり子供を産むことはある意味親孝行でもある。
子供ができてからというもの、夢なんて持たなかった僕にも夢ができた。しかも子供に関することばかりがいくつも(ひとつは回転木馬キッズチームをつくること。だからみんながんばれ)である。
『案ずるより産むが易し』 この一言に尽きる。この言葉は今まで長々と書いた僕の文章を一気にまとめる力がある。