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琵琶湖にデンライド

 アクティビティログを確認すると1ヶ月半も乗っていない。そろそろ季節も良くなってきたので乗らないとなあと思っていたところにイノウエさんからお誘い。“底”な気分のカンフル剤になればとゆるい気持ちで参加してみた。
 
 メンバーはイノウエさん、木本さん、テンパパ、そしてNAMくん。蒼々たるメンバーである。このメンバーが一緒に走ってノンビリペースになるはずもなく、途中途中での駆け合いっこでは木本さんはおろかイノウエさんにも置いていかれる体たらくで、心肺筋力ともにどん底であることを自他共に確認。
 
 気持ちとカラダがちぐはぐな、なんだか気持ち悪く楽しくない序盤であった。和束の休憩でようやくその両方がリンクしだしたのだが、落ちた筋力はどうにもできず、その後も頻繁に起こる駆け合いは見送るのみ。ただただ淡々と距離を重ねていく。
 
 しかし私は本当に幸せ者である。本来ならば「自転車に飽きたヤツ」と見なされて、声すらかけてもらえないほどの「無接触・無関心っぷり」だったのにも関わらず、こうやって何かにつけてお誘いいただき、そして久しぶりに自転車に跨っている私を見て喜んでくれている。
 
 私の精神や身体がどうなろうとも、このメンバーがいれば自分自身の中立点を確認することができるし、引っ張り上げてくれることも、引っ張り戻してくれることもできる。安心して自分の気持ちの赴くままに、やりたいことをやり、やりたくないことをやらないという選択が可能である。
 
 どうもありがとうございます。。また走りましょう。。
 
 

飽きるスピード

 息子宗一郎がまた新しいゲームを買ってもらった。ゲームウォッチ~ファミコン世代の我々にとっては、最近のゲームの作り込みのすごさにただただ感心するばかりである。面白い設定、美しいグラフィック、楽しいストーリー、キャラクターのモチーフなどなど、開発者の脳みそを捻りまくって生み出されたゲームなんだなと、他人事ではあるが本当にお疲れ様~である。
 
 ところが、そんなに拘りまくって開発したであろうゲームでありながら、「子供たちに飽きられる速度」がとても速いように感じる。ただ単純にブロックを崩したり、ぴょんぴょんと樽を飛び越えたりするゲームのほうがはるかに楽しむ時間は長かった。私が小4のクリスマスに買ってもらった『オクトパス』とかいうゲームウォッチは、小学校を卒業するまでやり込んだ覚えがある。
 
 まあそれだけ子供たちの興味をそそる楽しみが増えたということはいいことなのだろうが、大量生産大量消費のこの世の中、せっかく手間ヒマかけて作り上げたモノがあっという間に世間に飽きられるということは、開発者や生産者にとってやるせないことなのではないだろうか。
 
 反対に、我々消費者側も、新しい“モノ”や“コト”を与えられたときに、上手に自分の飽きる速度をコントロールしないと、あっという間にその事柄について調べがついてしまい、あっという間に収集が終わってしまい、あっという間にゴミの山となり、あっという間に飽きてしまう恐れがある。
 
 だから、もっとじっくり長く楽しむために、あんまり頑張らないということが大切なのだと思う。
 
 

『禁断の魔術』 東野圭吾 文春文庫

 ガリレオシリーズ最新作。本の帯に東野圭吾本人により、「間違いなくこれはガリレオシリーズ最高峰です!」みたいなことが書かれている。こういうことを書いた本人が言うのか~と少々冷めた気持ちで手に取ったのではあるが、理由を調べてみて納得。当初短編集の一作品として発表する予定だったのだが、アイデアが湧き出るように膨らみ、一つの長編へと“出世”したというのである。産んだ親にしかわからない気持ちであろう。しかし読者にはあんまりその辺の事情は関係ない(笑)。
 
 ストーリーはそんなに難しいものではない。科学者を目指している若者が、湯川の協力の下レールガンという装置を開発。当初はパフォーマンス用に作られたのだが、若者の姉が謎の死を遂げ、その真相を若者が独自に捜査。姉を見殺しにした者に復讐するためレールガンを使おうとする、というもの。
 
 自分が開発に携わった装置が殺人に使われるかも知れないという事実と、自分の後輩である科学者の卵が殺人を犯すかもしれないという、科学者(正しくは物理学者)そして後輩を想う先輩としての湯川の苦悩を描いている。
 
 若者が働いている小さな町工場でレールガンの精度を上げるために徹夜して作業している姿、そしてそれを見守る無知で純粋な彼女。なんだか同じく小さな町工場で精度の高い拳銃を自作する男が登場する『白夜行』に似ているなあと思いながら読み進める。
 
 ミステリー自体は軽く解決したものの、ラストシーンでの若者と湯川のやり取りがクライマックス。「科学者とはなんぞや」を教えてもらったようで、自分も科学者なら共感したであろう場面である。
 
 ガリレオシリーズは基本的にストーリーの構造がほぼ同じ。それはつまらないというわけではなくて、安心して読み進めることができる。個人的には好きなシリーズです。
 

2015お盆休み

 8月12日・・・昼間は子供たち3人を連れてミニオンズ観賞。アメリカンなバカバカしい笑いがなぜか私のツボにハマり、観賞後、グッズなどに散財してしまう。子供たちも喜んでいたのでまあいいか。
 
 夕方からは以前の職場の後輩と飲み。正直言って自分の今までの人生で何かを残してきたという自負はまったくなかったが、こうやって今でも慕ってくれる人間がいるということが、自分の過去の存在を形をして確認できる、唯一で最も大切なことなんだろうなと思う。しかもこれからの自分の人生において非常に有益な情報を持ってきてくれた。情報を有益化するのは結局は自分の腕次第・頑張り次第ということだが、それでもありがたいことである。
 
 
 8月13日・・・甲子園へ高校野球観戦に以降と予定していたのだが、どうも天気が怪しいので予定変更。朝から夏休みの宿題に付き合い、なんとか枚数だけはたくさんあるプリント関係だけは終わらせる。工作もやっつけて、のこりは自由研究。伊吹山登山をして、高山植物の観察に行くことにした。子供の希望というより私の希望。特に大きな理由はないが、なぜか伊吹山に登ってみたくなった。
 
 
 8月14日・・・朝400起床。430クルマで出発。末娘は昨晩から実家に預け、上2人とクルマで出発。生憎の天候で、伊吹山ドライブウェイ入り口から見上げる頂上付近は霧で覆われている。でもまあここまで来たからには登るほかない。
 
 頂上駐車場までの山道は時折きれいに晴れ渡る箇所もあって景色も楽しめたが、頂上は視界10mほどの濃霧。遠くの山々を眺めるなんて全くできなかったが、自由研究の課題は高山植物である。足元さえ注意して歩いていればいいわけで、なんとか目標は達成できたのでヨシとする。
 
 登山終了時点で朝10時。相変わらず早起き行動が好きである。この日の目標を達成した時点でまだ一日は始まったばかり。混み始めた登山道を尻目に早起きは三文の得を実感しつつ帰路へ。帰宅してから宿題を仕上げ、昼寝なども嗜みつつ、夜は高校時代の友人と飲み。
 
 
 8月15日・・・特に大きな予定無し。ヨメ実家でお昼ご飯を呼ばれ、帰宅してからは昼寝などを嗜む。夜は木馬仲間と飲み。この盆休みは大いに散財し、大いに飲んだ4連休であった。

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一周まわってココ

 我々サイクリスト(すでに私自身をサイクリストのククりに入れても良いのか悩みどころではあるが)は、「どこどこを一周(周回)する」という行為が大好きである。
 
 関西圏であれば「淡路島一周」「琵琶湖一周」など馴染みのツーリングもあるし、「舞洲周回」「堺浜周回」などの比較的短い距離をひたすら周回するトレーニングもある。単純明快でわかりやすく、距離やタイムも比較しやすくて他人にも自慢しやすい、それはサイクリストだけではなくランナーなどにとっても非常にポピュラーな行為である。
 
 ただ今回はそういった目で見てわかりやすい物理的な「一周」ではなく、異なった観点からの「一周」について述べてみたい。
 
 
 先日、スリックタイヤを履かせたシクロクロス車で町内をぶらぶらしていたら、結構な速度差で見知らぬローディーに追い抜かれたのである。ヘルメットやジャージの着こなしがなんとなく板に付いていないというか、垢抜けていないというか、とにかく初心者っぽい感じで、あー最近ロードバイクを買って楽しくて乗り回してるんだろうなと、私もそんな時期があったなあと、若干上から目線でほほえましく彼のロードバイクを後ろから眺めながら考えていた。
 
 最新のフレームでホイールもディープリム。リヤブレーキが見たことも無い位置に付いている。はー、ロードバイクも進化したなあなんて思っていると、信号待ちで並んだ彼は、私のカンチブレーキのCXバイクを見て、明らかに鼻で笑ったのである。
 
 まあ、もうそんな態度に腹を立てるようなバイタリティーもモチベーションもないので、その態度についてはなんとも感じなかったが、これだけは言いたい。
 
 「オレは一周まわってコレやねん!」と。
 
 フルオーダーのクロモリバイクも乗った。フルカーボンバイクも乗った。MTBも乗ったしTTバイクもCXバイクも乗った。一通り乗って、それでコレやねん!
 
 自転車屋の店長と仲がいいし、家族ぐるみでお付き合いさせてもらってるし、そこのクルマの車検はオレがやってるし、ママチャリ取り扱ってないのにヨメが勝手に自分のママチャリの修理持って行ったりするし、もうなんやったら二周以上して、それでコレやねん!
 
 
 バイタリティーがないとか言っておきながら熱くなってしまったが、とにかくそういうことである。私はもう「一周した」のである。一周してココなのである。
 
 「一周すること」自体になんの社会的な価値も名声もないけれど、決して短時間では成し得ることのできない「一周」に、私個人的には大変意味深いものを感じているし、「一周した者」にしか見えない何かがあると信じている。
 
 人生は「行って終わり」の片道ではない。同じ失敗や過ちを何度も犯しながらの周回コースである。「人生経験が豊富」ということは決して「遠いところまで行ってしまった」わけではなく、「周回を重ねるうちに円周が広がっていった」のである。
 
 酔っ払ってオネーチャンにちょっかい出して嫌われても、ふらついてコケて擦り傷を作っても、また同じことを繰り返す。それこそが正しい人生経験の重ね方であろう。今宵も人生という名の周回コースを迷走してみたいと思う。
 
 

『フィッシュストーリー』 伊坂幸太郎 新潮社

 西やんと飲んでる席で「面白いから」とプレゼントされた本。私は基本的に人から薦められた本が自分に合わないとその人自体も合わないような気がして、正直「これ面白いから読んでみ」と言われても気が進まないタイプなのだが、西やんも伊坂幸太郎ファンなので(ていうか西やんに教えてもらった)、そのへんの感覚は似ていると確信してありがたく読ませていただくことにした。
 
 『動物園のエンジン』『フィッシュストーリー』『サクリファイス』『ポテチ』と、4編からなる短編集で、やはり本の表題となった『フィッシュストーリー』が一番面白かった。
 
 既に映画化されていたようで、映画では売れないバンドがストーリーのメインで進んでいくようだが、原作となった小説では、時代背景が4つに分類されており、その異なった時間軸が一つのエピソードでおしゃれに纏まっていくという感じ。バンドマンのエピソードはその一つにすぎない。なーんか同じような伊坂作品があったように思うけど忘れた。
 
 少し前に同作家の『オー!ファーザー』を読んだせいかもしれないが、父親関係の物語が続いたこともあり、ファザコンの匂いがぷんぷんする。同じ作家を好きで読み続けていると、作品作品でその作家の性格や育ちみたいなものもわかってくるような気がして、改めて作家という商売は自分を赤裸々におっぴろげる商売なんだなあと思った。
 
 全体的にはさらさらと読めて楽しい作品でした。西やんどうもありがとう。

『虚像の道化師』 東野圭吾 文春文庫

 ガリレオシリーズの最新刊。とはいえ福山雅治主演のテレビドラマシリーズで放送済みのやつなんかも収録されていてま新しさは正直ないが、私はガリレオシリーズが好きなのでこれはこれで楽しめた。
 
 7つの短編集となっており、それぞれ1時間ほど(自分比)あれば読めてしまうので、子供の習い事の引率中とか、電車に乗ってる時とかにパッと読めて結構なことである。
 
 7つのうちの『曲球る(まがる)』と題された作品は、戦力外通告されたベテランピッチャーが主人公で、確かテレビドラマではその悩めるピッチャー役を田辺誠一が演じていた。
 
 勝負球であったスライダーのキレを取り戻すために四苦八苦している最中、専属のピッチングコーチがひょんなことから湯川学の研究資料を目にして帝都大学の門を叩く、という流れである。
 
 作中では当然ピッチングするシーンが何度も出てくるのだが、ドラマ版での田辺誠一のピッチングフォームがなんだかおかしくて(恐らく野球未経験者)、素敵なストーリーだったのにもかかわらず物語がアタマに入ってこないというグダグダ感であったのを思い出す。
 
 その点、文章になるとそのあたりの“補正”が脳内で自動的に行われるので、フォームは日ハム大谷くんのように美しく、スライダーはダルビッシュのそれのように鋭く曲がり、バットは阪神時代の新井お兄ちゃんのように虚しく空を切るのである。
 
 肝心の(?)殺人事件のほうは、ピッチャーの奥さんが殺されるという悲劇的なものだが、私が野球好きということもあってか、記憶に残るのは野球シーンばかりである。まあこの作品に限らず、ガリレオシリーズというと殺人事件の謎解きメインな感じに思われがちであるが、実はそれに至るまでの人間関係や誤解などを解くために物理学が使用され、この作品だけでなく、なかなかココロ温まるお話なのである。
 
 「テレビとは違うガリレオの世界をお楽しみ下さい」と、本の帯に東野圭吾本人のメッセージがある。私は「田辺誠一のピッチングフォームのおかげで台無しになっちゃったから、改めてこの物語を活字でお楽しみ下さい」という意味であると勝手に捉えている(笑)。

マイル表示

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 ガーミン先生の速度と距離の表示をマイル表示に設定してみた。
 
 私もスピードラーニングを始めて約1年。そろそろ英語をマスターしつつある今(してへんけど)、アメリカに移住してしまおうかという計画が浮上している(してへんけど)。アメリカの交通で一番違和感のあるのは右側通行。そして次にすべてがマイル表示であることだろう。
 
 いちいち脳内でkmをmileに変換するのではなく、マイルで表示されている数字を見たその直感で、距離や速度が理解できるようにならないと、アメリカの車社会には付いていけないのである(いけへんけど)。
 
 というわけで私のガーミン先生は、日本人の私に対して全くなじみの無い“マイル”で情報を提供してくれることとなった。今までもすべて英語表記であったために、なかなか私とガーミン先生の距離が縮まらない感は否めなかったのだが、これでさらにガーミン先生は私を突き放してくることになる。
 
 そんなドSなガーミン先生に、これからも付いていきたい。
 

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愛人

 ちょっとアンタ。
 
 最近腰が弱くなってきたわね。アタシがアンタのところへやってきたのはアタシを満足させてくれる腰を見込んでのことだったのに、ほんとガッカリだわ。
 
 昔は毎日アタシに乗っかってくれて毎日カラダを磨いてくれていたのに、最近はホコリをかぶっていても見向きもしてくれないわね。
 
 釣った魚にエサをやらない典型的なオトコね。本当のPLAYBOYは常にオンナへの気配りを忘れないものよ。もう本妻に戻ったらどう?箱に入れて大事に仕舞ってあるんでしょ?時々構ってやらないと錆びてきちゃうわよ。
 
 アタシ?アタシはもっと強いオトコのところへ行くわ。そうね、中原くんなんてどうかしら。彼ならきっとアタシを満足させてくれるに違いないわ。え?中原くんはチャイナ専門?残念だわ。
 
 
 何よ。珍しく今日はアタシを引っぱり出してどこへ行くつもりよ。どうせ仕事でしょ?たまには違う所も走ってみたいわよ。本妻とは何度も沖縄に行ってるんでしょ?いいわね。アタシも連れてってよ。
 
 え?ハワイ?ホノルルセンチュリーライド?
 
 本当!?
 
 きっとよ!いつか必ず連れてってよ?約束よ!
 
 仕方ないわね・・・。もうしばらくアンタといてあげるわよ。

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 また写真?そうやってアタシの写真ばっかり撮って楽しい?大した構図でもないし、ほんとただのオタクね。
 
 ちょ・・・ちょっとアンタ!!
 
 インナーローじゃないの!
 
 やめてよー。昔のアンタならどんなにヘロヘロでもアタシが一番キレイに見えるアウタートップで撮ってくれてたじゃないのよ!ほんとデリカシーが無いわね・・・。
 
 

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整理

 少し前になるが、シクロクロス車のブロックタイヤがすり減ってきたので交換した。悩んだ挙句、ブロックではなく32Cと太めのスリックにして、通勤メインの乗り心地優先街乗りバイクとすることにした。
 
 このタイヤ交換をもって、シクロクロスには出場しないという暗黙的意志の表れであることをご理解いただければと思う。つまり今後、「シクロ出ないの?」の質問にはノーコメントとさせていただきます(笑)。
 
 私の部屋には現在、自転車が4台ある。そのうち2台はほぼ乗っていない。子供も大きくなって1つの部屋を必要としている時期が迫っている中、これ以上自分の“モノ”で部屋を占領するわけにもいかず、思い切って整理することにした。
 
 私はこれまで、ありとあらゆることに手を出し、金と時間を遣い、モノを増やし、そして飽きてきた。それらが無駄だったということはない。むしろ経験として今の自分に蓄積されているし、そこで得た仲間は何物にも代え難い大きな財産である。
 
 ただやっぱり、それに執着しすぎてしまうと次に進めなくなる。せめて“モノ”だけでも整理をして、まずは物理的なスペースを確保することが、心理的余裕を生むのだと思う。
 
 家族ができて、家族とともに成長し、これからも家族であることを考えると、家族に合わせて自分も変わっていかないといけない。具体的に言うと、奔走して仕事の段取りをつけて取得した日曜の休みを自転車ではなく少年野球の行事に充当することが、正しいお父さんの姿である。
 
 40歳も1つオーバーして、自分の方向性をどこに見出すか・・・そんなことで悩んでいたけど、自分は家族と一緒の方向に進んでいこうと思う。じつはそんなこと目の前にずっと前からわかってて、それに気づかないふりをして自分のやりたいことやエゴを押し通してきたからストレスになっていたのかもしれない。
 
 まだ自転車は捨てていないが、こう心に決めただけでもなんだかスッキリしている自分は単純である。