感動する音

 ホンダ学園では年に1〜2回程、特別講習というのがあって、ホンダの関係者やレース関係者などが来校され、ASIMOの紹介や、レーシングカーの説明をしてくれる。HONDAに対して、何かしらの憧れや希望を持って入学する学生がほとんどなので、非常に人気の高い授業であった。

 私が1年生の頃、その特別授業でF1のプロジェクトリーダー(名前忘れた)とMP4/6がやってきた。そして目の前でエンジンを始動してくれた。私はワザと排気管の真後ろに陣取ってその音を聞いた。

 その時の感動は今もハッキリと覚えている。

 音というものは、ある一定のレベルを超えると感動に変わる。シロートがマフラーだけを交換した下品な排気音や、大型トラックのディーゼルエンジンの音なんかは、騒音以外の何者でもない。

 世界最高の技術者達が、世界最高の部品を組み立て機能する、世界最高のV12エンジンの奏でるホンダミュージックは、たとえ鼓膜が破れる程であろうと、たとえ排気圧で飛ばされそうになっても、いままで私が聞いた音の中で、一番美しい音だった。

 以前に行った岐阜の航空自衛隊の航空祭で、戦闘機のジェットエンジンの音を間近で聞いた。あの音も感動したが、F1とは明らかに種類が違う音だ。戦闘機は腹の底の方からカラダごと揺さぶられるような音だが、F1は脳天からカミナリを突き落とされたような音だった。

 ピストンが3つしかない軽自動車のエンジンの分解でもとてもめんどくさい作業なのに、ピストンが12個、しかもV型。想像するだけでゾッとする。しかしそれを一つずつ丁寧に組み立てると、あんなに素晴らしい音が出るんだなと思った。本当に楽器に良く似ている。

 ほんの1分ぐらいの間ではあったが、V12サウンドを堪能し、そして最後に排気管からアフターファイヤーをお見舞いされ、約1秒の間を置いて学生からの大歓声が上がった。間違いなく金属の寄せ集めの工業製品が、これだけの感動とパワーを与えてくれる。とても貴重な体験だった。

 電気自動車や燃料電池車が量産されようとしている昨今だが、私は「エンジン」がなくなることは絶対に無いと思う。

初節句

 私の息子は初節句を迎える。その為、嫁のお母さんから鯉のぼりを買っていただいたり、親戚からお祝いを頂いたりと、ますます私より金持ちになっていく悲しい今日この頃だ。

 そんな中、私の実家にあった五月人形を自宅に持って帰り組み立てた。

 なかなか立派である。

 実はこの五月人形、私が初節句の時に亡くなったおばあちゃんに買ってもらったもので、私の母がずっと大切に保管していた。つまりこれらの人形は、実に30年ぶりに箱から出され、飾られたのである。

 私と私の息子が同じ五月人形の前で初節句を迎えるということは、何だか非常に感慨深い。

 この人形のように、そして私のように(?)、立派に育ってもらいたいものである。



 おお〜!写真まで貼れるようになってるじゃん!スゲーレベルアップ!オレ。

日々学習

 自宅へ(よ)さんに来ていただき、私のパソコンの具合を診ていただきました。毎度毎度本当にお世話になります。

 私のパソコンはクルマに例えると、オイル交換もタイヤ空気圧の調整も掃除も洗車もしていないような状態だったらしく、(よ)さんは私のパソコンをイジくりながら唸っておられた。そんな姿を横から見ていて、少しは私もパソコンのことを勉強しなといけないな、という気になった。

 私はいろんなモノを使う時に、どうしてもその構造が気になってしまうタチで、クルマでもバイクでもカメラでもテレビでも時計でも何でも、ある程度の仕組みを知っておかないと、その道具の100%の能力を発揮できない気がして、言い替えると、その道具に負けている気がしてならなかった。だからこの世の中にある道具の(全てとはいかないまでも)仕組みというものをもっと知りたいと思っている。

 ところがどうだ。近年の技術の進歩の早さは。構造を勉強しようにも到底追い付かない。独学でやろうものなら、自分が満足できるぐらいの仕組みを知ったところで、もうすでにそれは「旧型」ということが少なくない。私が知っていないと仕事にならないクルマのメカニズムだって、モデルチェンジする度にどんどんどんどん新機構が投入されて、ついていくのがやっとの状態である。

 そんな状態だから、パソコンに関しては「インターネットできるだけでええやん」というレベルで満足してしまい、私の「構造学習システム」のスイッチはOFFにされたまま今に至っていた。

 つまり私は「パソコンに負けていた」のである。(文字をデカくするワザ覚えました!)

 このままではいけない。道具に「使われる」とはなんて情けない。というわけで(よ)さんに新しいテクニックをいろいろと教えてもらい、もっとパソコンを使いこなし、楽しいパソコンライフを送れるように努力していく所存でございます。

 今回は、先程の文字をデカくするワザと、リンク欄を作るワザと、他のURLにジャンプさせるワザを教えていただきました。どんどん新しいことに挑戦して、私のブログを読んでいただいている方にもっと楽しんでもらえるように工夫していきたいと思います。これからもごひいきに・・・。

鯉のぼり

 嫁のお母さんが鯉のぼりを買ってきてくれた。私が仕事から帰宅すると「ベランダ用最高級鯉のぼり」と書かれた箱の前で、息子が「早く組み立てんかい!」と言わんばかりの笑顔で座っていた。

 早速、箱から吹流しと鯉3匹を取り出し部屋の中で広げてみると、これがベランダ用かと疑いたくなるデカさである。

 ポールを伸ばし、一番上の金ピカのクルクル(何て名前?)を組み立て、その横に付いている羽根の風車みたいなクルクル(何て名前?)を2つ付け、滑車を取り付け、ヒモを通し、吹流しをくくり、お父さん鯉を結び・・・・って、めんどくさっ!!

 吹流しと鯉3匹の取り付け位置を上手に均等にしないと、一番下の子供の鯉が地面に擦りそうになったり、全体的にせせこましい鯉のぼりになったりする。さらに少々の強風ではビクともしないように取り付けないといけないので、思いっきりダンゴ結びしたヒモを解いたりまた結んだりして、指が痛いっちゅうねん。

 そんなことを言いながらもなんとか組み上げ、「よっしゃ、出来たぞー」と息子を見ると・・・。

 寝てるやんけー!!

 パパは夕飯も食べずにハンガーノックになりながら頑張ったんや。コラ、起きろ。お、おいっ泣くな。わかったわかった寝とけ寝とけ。ベランダで泣かれたら近所迷惑や。

 いやしかし、鯉のぼりがこんなにめんどくさいものだとは知らなかった。みなさんも鯉のぼりが飾ってある家を見たら、「世の中のパパは頑張ってるんやなあ」と労ってやって下さい。

名前

 阪神タイガースのピッチャーに、藤川球児という選手がいる。まさに野球選手になるべくして付けられた名前である。これは勝手な想像ではあるが、おそらく球児の父親は野球が大好きで、自分が果たせなかったプロ野球選手への夢を息子に託したのではないかと思われる。

 そう考えると、球児は親の思う通りに育ったわけで、非常に親孝行な奴だ。

 しかしその名のせいで、他の選手よりも少なからずプレッシャーみたいなものはあったと思う。「コラー!そんな球も捕られへんのかー!エラソーなのは名前だけかーい!」と言われたり、「俺、ホントは野球なんてしたくないのに・・・。だけど名前が名前やし・・・」と思い悩んだりしたこともあっただろう。もし彼が野球選手ではなく普通のサラリーマンになっていたとしても、自己紹介等で自分の名前を出す度に、「野球やっとんたんか?」とか「お前のお父さんは野球が好きなんか?」と聞かれることは間違いない。「野球」という言葉に対して恐怖症になる可能性も否めない。

 そんな逆境の中(勝手な想像だなあ)、彼はよく頑張ったと思う。


 ・・・さて、私の息子の名前である。

 私が尊敬する故本田宗一郎氏の名をそのままいただいた。いかにもイマドキの名前にはしたくなかったし、苗字と合わせて読んだ時の音の感じがとても良かったし、画数もバッチリだったので、他の名前の候補と悩むことなど全く無く、即決したのだった。

 「その名前が元で意外な苦労を強いられることがあるかもしれない」ということは全く考えなかった。しかし何故か今になって、「球児現象」を心配するようになってしまった。

 息子が成長するにつれて、周りの人たちから何度となく言われることだろう。
 「宗一郎か〜。すごい名前やな〜」から始まり、
 「頑張って出世せなアカンなあ〜」や、
 「名前負けするなよ〜」などと言う、ワケのわからぬプレッシャーをかけられ、
 「なんでヤマハのバイク乗ってるねん」や、
 「ホンダのクルマ乗らなアカンやろ〜」と、好きな車種に乗ると何か一言必ず言われ、
 「ASIMOの方がかしこいんちゃうか」とからかわれ、
 「進路はホンダ学園でええか」と、学校の先生に勝手に進路を決められかねない。

 そんな息子はやがて「ホンダ恐怖症」になり、ホンダグッズでいっぱいの私の家には帰って来なくなるのではないだろうか。
 「オラー!クソ親父!なんちゅー名前付けてくれたんじゃーい!!」と、今からそう言われることを心配している私は、他人から見ればかわいくていじらしくもある(自分で言うな)。

 有名人や著名人、歴史上の偉大な人物の名前や、その名前を見ただけで親の趣味や思惑がバレてしまうような名前を付ける時は十分に気を付けなければいけない。

 2人目以降は、次男「(石原)裕次郎」、三男「(古畑)任三郎」、四男「(忌野)清志郎」と続けようと密かに計画していたが、考え直してみようと思う。

勝負パンツ

 嫁の友達が遊びに来ていた。

 30歳独身で彼氏なし、コンパにはよく行くが上手くいったタメシが無い。仕事では勤続10年目に入り最近店長になった。そんな彼女はウチに遊びに来るたびに
 「Mさ〜ん、彼氏紹介して〜」とか
 「トモ(嫁の名前)は人生勝ち組やわ〜」と言う。

 先日もコンパがあったらしく意気揚々と参加したのだが、誰にも連絡先を聞いてもらえなかったそうだ。

 私は聞いてみた。
 「連絡先聞いてもらわれなかったって、聞いてもらえるのを待ってんの?」すると彼女は、
 「うん。だって女性からそんなこと聞きにくいやん」と言った。
 私と彼女は、嫁を通じてよく知り合っている者同士なので、私は歯に衣を着せずにハッキリと言ってやった。

 「そんなことでは彼氏なんかできへん!」

 本当に彼氏を見つけようとコンパに行っているなら、自分からモーションかけてアタックして連絡先なんか配りまくって「彼氏になってください!」とか「今晩ひとりでさみしいの〜」ぐらいのことは言わないといけない。山田優とか松浦亜弥ほどの外見を持っているのなら別だが、そうではないのなら待っているだけでは絶対に進展なんて有り得ない。
 「勝負パンツはいて行ったんやけどな〜。アカンかったわ〜(笑)」って何を寝言みたいなこと言ってるんだ。自己紹介の時に「勝負パンツはいて来ました〜!」ぐらいのこと言えっちゅうねん!だいたい勝負パンツってなんやねん。パンツ見せた時点で勝負は決まってるやろ!パンツに勝負かけるな!コンパなんかノーパンで行け!!


 ・・・また興奮してしまった。

 しかしそれだけコンパに参加していながら、彼氏どころか男友達もできないなんて何か問題があるんじゃないだろうか。少しぐらいは「アタシとならヤレますよ〜」みたいな雰囲気は出してもいいと思うのは私だけではないはずだ。やはりそういう女性にオトコが群がってくるのではないかと思うし、私もそんな女性に引っ掛かるタチである。そう、コトはまず引っ掛かってからだと思う。引っ掛かりが無ければシタゴコロも沸かないし連絡先の交換も無い。何の為のコンパか。もっと時間とお金を有効に使わないといけない。

 私のメチャクチャとも言える演説を彼女は素直に聞き、「今度実行してみるわ」と言っていた(許されるならそのコンパに私が参加したい)。彼女は本当に素直でいいコなのだ。外見も上記のようなことは言ったが特に悪いわけでもない。私のストライクゾーンには十分入っている。

 「トモと離婚したらアタシが結婚したるわ〜(笑)」と言ってくれるのだ。
 そんな彼女に早くいい彼氏が見つかることを心より願っている。

オムツ

 子供のオムツを買おうと売り場まで行くと、必ず子供用オムツの隣には大人用オムツが置いてある。
 「大人も歳を重ねると子供に戻って行くんだなあ」となんだか気持ちがブルーになったりする。多分私だけではないと思う。売り場ももう少しディスプレイを考えて欲しいものだ。

 子供のオムツを交換するのはとてもめんどくさい。めんどくさがりの私にとって、オムツから溢れんばかりのウンコを、おしり拭きでチマチマとキレイにするのは耐えがたい行為である。このまま洗面台に持って行ってザブザブと流してやりたくなる。

 しかしそれも親の務めだ。文句を言わずにキレイキレイしてやることにしている。

 ところで、私がヨボヨボのジジイになってオムツをするようになった時、息子は私のオムツを換えてくれるのだろうか。というよりも、私の母親がオムツをするようになった時、私は快くオムツを換えてやることができるだろうか。

 子供のオムツ交換は確かに面倒でイヤなものではあるが、成長するにつれてオムツは外れる。未来の息子・娘の姿に希望を抱くことができる。そう考えるとオムツの交換工賃は、子供への先行投資と言えなくもない。

 しかし、大人のオムツ交換はどうだろうか。私にはその経験は無いが、想像しただけでもイヤである。未来への希望もへったくれもない。臭い汚いめんどくさいの3拍子が揃っている。

 オムツの世話をしてもらわないといけなくなるまで生きるつもりもないが、人生どこでどう転んで長生きしてしまうかわからない。そうなった時には私はやはり息子にオムツを変えてもらいたい。息子の嫁とかには絶対してほしくない。

 オムツの交換工賃は、子供の未来への先行投資ではなく、実は自分の未来への先行投資なのかもしれない。

 やっぱり臭いとか汚いとか言わずに、母親のオムツは私が換えてやることにしよう。母親への売掛金を支払う時が来るのはもう少し先になるかもしれないが、そう思ってあげることで、母親の苦労も少しは報われるのではないだろうか。

刃物

 仕事で愛用しているニッパーの切れ味が悪くなってきた。そろそろ買い換え時である。

 私のような仕事は、ボルトやナットをたくさん回すので、スパナやボックスレンチ、ラチェットやドライバー等の「ネジ回し系」の工具が重要視される傾向にあるが、私はニッパーやカッター、エアドリルやエアソー等の「刃物系」の方が作業効率を上げる為の大切な工具ではないかと思う。

 もちろん安物の「ネジ回し系」を使っていると、ボルトのアタマを潰してしまったり、ビスをバカにしてしまったりするので、ある程度のレベルの工具が必要になるが、経験を積むと「これ以上回したらネジをナメてしまうだろうな」とか「このまま力を入れたら工具が滑るだろうな」ということぐらいはわかってくる。だからホームセンタースペックの工具でも大抵の作業は出来る。

 しかし、最低でも「刃物系」は良いものを使いたい。

 切れ味の悪いニッパーで配線やタイラップ(インシュロックと呼ぶ人もいるが)を切っていると、握力が必要になりすぐに疲れる。
 かかりの悪いドリルの刃で穴を開けようとしてもなかなか開かない。力を入れすぎてドリルが滑り、余計なところにキズをつけたりする。
 ナマクラなナイフでダンボール等を切っていても、しんどいばかりで何もいいことが無い。変に力を入れたりすると刃が走ってしまってケガをすることもある。

 日常生活の中でも、包丁、ハサミ、爪切り、カミソリ、おろし器、フードプロセッサー等たくさんあるが、良い刃物は使い勝手が良い。良く切れる刃物よりも、切れない刃物の方がケガをしやすい。

 ・・・と、いろいろと理屈を並べて高価なニッパーを買いたいのであるが、なかなかそうもいかない。

 私の財布の中をチェックする嫁の視線は切れ味バツグンである。

丸坊主

 子供の首筋に水ぶくれのような小さなイボを発見したので早速病院に連れて行った。医者が一目見て「水ぼうそうですね」と診断。飲み薬と塗り薬をもらった。

 ・・・って、お前病気しすぎじゃー!

 まだ8ヶ月のくせに、こないだインフルエンザなって、こないだイスから落ちてアタマ打って、こないだペットボトルが抜けへんようになって、今度は水ぼうそうかよ〜!!医者に行ったら受付の人が
 「あっ、そうくん。今度はどないしたん」って言ってたやんけ。お前常連か〜!ええかげんにせー!!しかもオレまだ水ぼうそうしてへんやんけ。うつすなよーー!

 ブツブツが増えてきてる⇒アタマにもたくさんできてる⇒髪の毛多いからクスリ塗りにくい⇒お前なんか丸坊主じゃ〜!!

 ということで、ハサミでチョキチョキと30分かけて丸坊主にしてやりました。マツケンがカツラしてない時みたいになってしまいました。


 少し興奮してしまいましたが、これからもいろんな病気やケガになると思われます。少なくとも私がやったことは一通りやってくれると思います。
 おたふくかぜ、中耳炎、盲腸炎、鼻血、打ち身、ねんざ、剥離骨折、アタマ打って気を失う、バイクでコケる、オンナにビンタされる等々・・・。

 これから先が思いやられるのではあるが、それらを一つ一つ乗り越えて「オトナ」になっていくのかな〜、とも考えてしまいます。

 息子よ!病気やケガやオンナに負けるな!
 そしてオレ!ガンバレ!

自画自賛日記

 最近ロードバイクに乗り始めた知人(3月30日の日記参照)と舞洲まで走りに行った。

 長柄橋の北詰で朝9時に待ち合わせをし、川沿いをずっと走った。彼は人とツルんで走った経験がないので、私の後ろに付いてドラフティング初体験をし興奮していた。

 天気はサイコー、気温もちょうど良い。2人で自転車のハナシをしながらのんびりと走った。彼とはもう10年近くの付き合いになるのに仕事のことでしか会わないので、彼とそんなハナシをするのがとても新鮮で、自転車を通じて人との関係がより深くなっていくことがとても嬉しく思った。

 舞洲にはロードに乗った人がたくさんいて、同じ道をぐるぐる周回していた。ロード初心者を連れているので追っかけたりはしなかったが、確実に私の方が速いと思われる(自画自賛)。

 昼前には(実家に)帰って来れたので、サイクリングには非常に適したコースだと思った。Hさん、また走りに行きましょう。


 夕方には高校からの友人と会った。彼とは独身の頃は毎週のように遊んでいたのだが、私が結婚してからというものなかなか会う機会が取れなくなった。

 街をブラブラし、晩飯を適当に食べ、公園でキャッチボールをし、最後に銭湯に行くお決まりのコース。

 会うのは半年ぶりだが、その「お決まりコース」をすべて実行するのはもう2年ぶりぐらいである。そんなに久しぶりだというのに、お互い特に久しぶりがることもなく、毎週のように遊んでいた頃と同じように過ごした。

 「子供は大きなったか」
 「最近仕事どないや」
 「おばちゃん元気にしてるか」
 「お前はまだ結婚せえへんのか」
 「あいつはどないしてんねん」
 これらの言葉が会話の中にちょくちょく出てくる以外は。

 友達はたくさんいるが(自画自賛)、どんなに会う機会が少なくなっても、こうして会えば昔に戻ることができる奴はけっこう少ない。本当の友達ってそんなもんなんだろうか。「こいつが本当の友達や!」ってお互い認め合えるようになるまでには、時間がかかるもんなんだろうか。今、仲良くしている友達が「普通の友達」から「本当の友達」に格上げされる頃、私はいくつになっているだろうか。

 そう考えると、歳をとるのも悪くないような気がする。


 私のかわいい息子(自画自賛)に、ジャンボチョロQを買って帰った。これ、チョロQのデカイ版(そのまま)。あの絶妙なデフォルメはそのままに、サイズだけが異様にデカイ。ボンネットを開けると普通のチョロQが2台入る。もちろんプルバックゼンマイで走る。

 自分のカラダぐらいあるスカイラインGT−Rパトカーをこねくり回している息子の姿は、とってもラブリーである。よし、今度パパがその飾りだけのパトライトを光らせるように改造したろ!ラクショーラクショー。まかしとけ。LEDが3つぐらいあったらなんとかなるやろ。

 そんなことを考えながら、息子の首すじを良く見ると、なんか水ぶくれみたいなものがある。なんやコレはと育児百科を開いてみると・・・。

 ババ〜ン!!

 次の日記へ続く。(おお〜。なんか新しい日記のカタチ!)←自画自賛