子供のオムツを買おうと売り場まで行くと、必ず子供用オムツの隣には大人用オムツが置いてある。
「大人も歳を重ねると子供に戻って行くんだなあ」となんだか気持ちがブルーになったりする。多分私だけではないと思う。売り場ももう少しディスプレイを考えて欲しいものだ。
子供のオムツを交換するのはとてもめんどくさい。めんどくさがりの私にとって、オムツから溢れんばかりのウンコを、おしり拭きでチマチマとキレイにするのは耐えがたい行為である。このまま洗面台に持って行ってザブザブと流してやりたくなる。
しかしそれも親の務めだ。文句を言わずにキレイキレイしてやることにしている。
ところで、私がヨボヨボのジジイになってオムツをするようになった時、息子は私のオムツを換えてくれるのだろうか。というよりも、私の母親がオムツをするようになった時、私は快くオムツを換えてやることができるだろうか。
子供のオムツ交換は確かに面倒でイヤなものではあるが、成長するにつれてオムツは外れる。未来の息子・娘の姿に希望を抱くことができる。そう考えるとオムツの交換工賃は、子供への先行投資と言えなくもない。
しかし、大人のオムツ交換はどうだろうか。私にはその経験は無いが、想像しただけでもイヤである。未来への希望もへったくれもない。臭い汚いめんどくさいの3拍子が揃っている。
オムツの世話をしてもらわないといけなくなるまで生きるつもりもないが、人生どこでどう転んで長生きしてしまうかわからない。そうなった時には私はやはり息子にオムツを変えてもらいたい。息子の嫁とかには絶対してほしくない。
オムツの交換工賃は、子供の未来への先行投資ではなく、実は自分の未来への先行投資なのかもしれない。
やっぱり臭いとか汚いとか言わずに、母親のオムツは私が換えてやることにしよう。母親への売掛金を支払う時が来るのはもう少し先になるかもしれないが、そう思ってあげることで、母親の苦労も少しは報われるのではないだろうか。