阪神タイガースのピッチャーに、藤川球児という選手がいる。まさに野球選手になるべくして付けられた名前である。これは勝手な想像ではあるが、おそらく球児の父親は野球が大好きで、自分が果たせなかったプロ野球選手への夢を息子に託したのではないかと思われる。
そう考えると、球児は親の思う通りに育ったわけで、非常に親孝行な奴だ。
しかしその名のせいで、他の選手よりも少なからずプレッシャーみたいなものはあったと思う。「コラー!そんな球も捕られへんのかー!エラソーなのは名前だけかーい!」と言われたり、「俺、ホントは野球なんてしたくないのに・・・。だけど名前が名前やし・・・」と思い悩んだりしたこともあっただろう。もし彼が野球選手ではなく普通のサラリーマンになっていたとしても、自己紹介等で自分の名前を出す度に、「野球やっとんたんか?」とか「お前のお父さんは野球が好きなんか?」と聞かれることは間違いない。「野球」という言葉に対して恐怖症になる可能性も否めない。
そんな逆境の中(勝手な想像だなあ)、彼はよく頑張ったと思う。
・・・さて、私の息子の名前である。
私が尊敬する故本田宗一郎氏の名をそのままいただいた。いかにもイマドキの名前にはしたくなかったし、苗字と合わせて読んだ時の音の感じがとても良かったし、画数もバッチリだったので、他の名前の候補と悩むことなど全く無く、即決したのだった。
「その名前が元で意外な苦労を強いられることがあるかもしれない」ということは全く考えなかった。しかし何故か今になって、「球児現象」を心配するようになってしまった。
息子が成長するにつれて、周りの人たちから何度となく言われることだろう。
「宗一郎か〜。すごい名前やな〜」から始まり、
「頑張って出世せなアカンなあ〜」や、
「名前負けするなよ〜」などと言う、ワケのわからぬプレッシャーをかけられ、
「なんでヤマハのバイク乗ってるねん」や、
「ホンダのクルマ乗らなアカンやろ〜」と、好きな車種に乗ると何か一言必ず言われ、
「ASIMOの方がかしこいんちゃうか」とからかわれ、
「進路はホンダ学園でええか」と、学校の先生に勝手に進路を決められかねない。
そんな息子はやがて「ホンダ恐怖症」になり、ホンダグッズでいっぱいの私の家には帰って来なくなるのではないだろうか。
「オラー!クソ親父!なんちゅー名前付けてくれたんじゃーい!!」と、今からそう言われることを心配している私は、他人から見ればかわいくていじらしくもある(自分で言うな)。
有名人や著名人、歴史上の偉大な人物の名前や、その名前を見ただけで親の趣味や思惑がバレてしまうような名前を付ける時は十分に気を付けなければいけない。
2人目以降は、次男「(石原)裕次郎」、三男「(古畑)任三郎」、四男「(忌野)清志郎」と続けようと密かに計画していたが、考え直してみようと思う。