どーでもいいこと

 今日、仕事してる時に気が付いた。

 左の手首に輪ゴムがハマってる。

 いつの間につけたのか、誰が付けたのか、全然記憶に無い。

 ホンマに心当たりが無い!

 なんか恐くて外されへん!

いい日旅立ち

 いつも私のアタマをカットしてくれるナスビ君が、3月末でヘアーサロンミツワを退職し、新しいお店に行ってしまうということだったので、先日挨拶も兼ねて散髪してきた。彼は私より6歳か7歳ほど若いのだけど、同じ技術職ということもあってか色々と話が弾む。

 彼は非常に勉強熱心である。

 アップスタイルや編込みの技術を習得するべく、仕事が終わってから夜遅くまで講習に行ったり、街行く女性に声をかけ(ナンパではないらしい)ヘアモデルになってもらったり、精力的に活動している。

 私も彼と同じくらいの年の頃、いろんなことを勉強し、会社で行かせてくれる講習や研修などはほとんど参加し、資格という資格を取りまくった時期があった。何故あの頃はそんなに知識や技術習得に貪欲だったのかよくわからないけど、とにかく「知ってること」を増やしたかったのだと思う。技術職においては「知ってること」「出来ること」が増えれば増えるほど、エライもんだと思っていた。自分が知っているのに他人が知らないことがあれば、それだけで勝手に格差をつけて自分が心理的優位に立とうとしていたのかもしれない。

 ナスビ君が私と同じかと言うとそうでもないだろうが、技術職を始めて数年が経ち、ある程度自分の実力と他人の実力を見分けることが出来るようになってきたら、みんなそうなるのではないだろうか。

 自分の実力を過剰評価してしまって、会社の方針やレベルに不満が出て来たり、他人と衝突したり、自分のこれからの未来を想像して言い知れぬ不安に陥ったりするのもこの時期じゃないかと思う。「オレって井の中の蛙とちゃうか?」みたいな。

 だけど、新しい技術や環境を求めて勉強するのはとても良い事だ。それが将来役に立つか立たないかは別にしても、頑張って勉強した時期というものは今後の自分の大きな自信に繋がってくる。

 私はタダの客だから、話し慣れた理容師がいなくなるということは残念だけど、同じ技術者として言うなら、今回の彼の転職には大賛成である。いろんな所でいろんな経験を積んで技術者として一回りも二回りも大きくなって頂きたい。

 そして、その頃には白髪がもっと増えているであろう私のアタマを、ナウでヤングにして頂きたい。ナスビくん、頑張って下さい!

なにこのギャップは!?

 今日は仕事めっさヒマです。お客さん全然来ません。

 昨日は休日出勤しないといけないぐらい忙しかったのに。15時予定のドクターT島の納車まで何も仕事がありません。

 もっとまんべんなくならないものですかねー。

言わせてよ。気が済むまで。

 クリテリウムでの成績がヒドイ結果だったからというわけでもないが(イヤそうなんだけど)、「やっぱ山がイイな」と思ってしまう私は根っからのクライマーだ。

 ラスムッセンやパンターニ、ジャラベールなどのツールで名を轟かせた山岳スペシャリスト達と一緒に清滝を上る夢を見た。「M君めっちゃ速いやん」と思いっきり関西弁で声をかけてくれたのは、コルナゴに乗るラスムッセンだった。彼は私のケルビムを見て、「やっぱフレームは鉄がいいよな。俺も来期はケルビムにするかな」と言っていた。周りにいたスペシャリスト達も腕を組んでみんな頷いていた。アホな夢ですいません。めっちゃリアルに憶えてます。

 その時、私が履いていたホイールはシマノのカーボンホイールだった。

 よっしゃ、このホイール買うぞ!コルナゴはムリでもこれならなんとかイケそうだ!これで清滝9分台目指すぞー!オー!

 ん?10速専用?・・・ダメじゃん。

自分の将来

 なんでそんなにハラの立つことがあるねん、というぐらい嫁に対してキレて、大きな声で怒鳴ったりすることがある。そしてその声にびっくりした子供が泣き出す。そのやかましさにさらにハラが立ってくる。こうなってしまう原因の一つはもちろん私にもあるのだけれど、私はこのシチュエーションが大嫌いだ。


 私にはオトンがいない。中学の時に死んだ。オトンは酒を呑んでは暴れて、オカンを叩いたりフスマを破ったりしていた。そんなオトンが大嫌いだったので、そうは絶対になりたくないのだけれど、なんか自分がそうなっていってしまいそうでとても恐い。なんだか物凄いチカラでそうなるように仕向けられているかのようでとても恐い。

 「オトンのようにはなりたくない」と常日頃から意識している。私の反面教師であり、とりあえずオトンのようにならなければ幸せな家庭が築けると信じている。そこにどんな理由があったのかは子供心にはわからなかったけれど、オカンを叩いてフスマを破って大きな声で怒鳴ったりしているヤツが正しいわけがない。

 だけど今、自分がそうなりつつある。いまのところ嫁に対して殴ったりフスマを破ったり酒を呑んで暴れたりすることはないが、もしかしたら時間の問題かもしれない。オトンに近付いていってるという苛立ちがさらにイライラを加速させる。もう全然止められない。このままでは幸せな家庭など築けるはずもない。遺伝とはこういうものなのだろうか。本人がどれだけ意識して頑張っても、見えないチカラでそうなるように仕向けられるのだろうか。


 今日も嫁にキレてしまった。原因はいつも一緒。片付けが出来ていないことについてだ。いつも一緒である。そのことにしかキレたことがないのに、嫁は整理整頓が一向に上手にならない。なんだかこちらが被害妄想みたいになってくる。もうどうしようもない怒りが込み上げてきて怒鳴る・・・。

 オトンもこうだったのだろうか。そこでグッと我慢することは出来なかったのだろうか。「仕事でもイライラしてんのになんで家でもイライラせなアカンねん!」とオトンは言った。今日、私も全く意識せずに同じことを言った。恐い。ものすごく恐い。ただ幸せになりたいだけなのに。

雨に唄えば

 屋根があるとは言っても半分は外でやっているような仕事柄、どうしても雨が降るといろいろと面倒だ。洗車は出来ないし、濡れているクルマの作業はやりにくいし、納車手入済の新車が外に出せなくなってしまったりする。

 それに加えて、自転車が趣味で通勤やストレス解消などを自転車に頼っている者にとって、雨なんて降らないに越したことはない。ここ最近、暖かくなってきたなーと思った矢先のこの天候と冷え込みである。自転車乗りでなくてもイライラしがちなのではないだろうか。

 『雨に唄えば』っていうミュージカルがある。ストーリーを知らなくても、「なんか紳士が雨の中を傘持って唄って踊るやつ」ぐらいはご存知だと思う。好きな人との恋が実って、もう嬉しくて嬉しくて雨の中を濡れるのも気にせずハシャギまくる。そんなウキウキとした気持ちはわからんでもない。

 雨嫌いな私でもコルナゴExtreme-Cを手に入れたら、ウキウキしてきっと雨の清滝なんかをニヤニヤしながら上るであろう。

 「あいむし〜んぎにんざれい〜ん♪」

 うん。多分やるな。

 見知らぬ方のブログから勝手に頂きました。おおきに。

コルナゴ貯金

 やっぱり欲しい。コルナゴExtreme-Cが。

 コレにフルデュラエース組んで、同じくデュラのカーボンホイールとチューブラー履かせて、ラスムッセンカラーに塗って、清滝を駆け上がりたい!

 欲しい欲しいと言ってばかりいても仕方ないので、コルナゴ貯金を始めることにした。いつか使うかな、とストックしておいたミニクーパーのオールドパーツを売りさばく!ヤメてたヤフオク再開!幸いにもチョコチョコ売れている!

 だがしかし、90万円には程遠い。ていうか90万円分ものパーツなんか持っていない。

 早くもピンチ!どうするオレ!

春はイイ

 先日、かなたにさんが大阪城を10周程走った時に「ずっと走っていたかった」と自身のブログで語られていた。気温が随分と暖かくなってきて、寒くも無く暑くも無く、特に夜走るには調度良い季節になった。「ライダーズ・ハイ」というヤツだろうか。

 私も今日、会社から自宅までの通勤路を少し遠回りして、ひとつふたつ余計に坂を上って帰宅したのだが、そんなにトバさなかったこともあって、とても気持ち良く走れた。ペダリングとフレームのシナるリズムとが見事にシンクロして、コレを味わう為にクロモリに乗っていると言っても過言では無いぐらいの気持ち良さである。イノウエさん、早く復帰してこの乗り味を体感して下さい。

 「この坂がどこまでも続けばいいのにな」までは思わなかったけど、自宅に到着したのが余りにも早く感じて、もう少し乗っていたかった。こんな感覚久しぶりだ。

 「ライダーズ・ハイ」という精神的なものが原因なのか、それとも、「冬の間真面目に自転車通勤トレーニングに励んだ成果」という現実的なものなのか・・・。出来れば後者の方が嬉しいけど、ハートで走る私にとって、前者でも全然オッケーである。

愛と死

 タカラヅカ歌劇を観ていると、時代や場面は違っても、ほとんどが男と女の恋物語であり、最後にはどちらか、もしくは両方が死んでしまうことに気付く。今非常に話題になっている『ベルサイユのばら』でも、オスカル、アンドレ、マリーアントワネット、みーんな死ぬ。愛し合った2人は必ず「死」という形で別れを迎える。

 こんなに愛し合ってるのになんで最後に死なすかなー。ハッピーエンドにしたらんかい。

 だけど「愛する」ということは「死ぬ」ことも受け入れないといけないのかな、とも思う。

 死別することによって本当の愛を確認するというか、逆に言うと生きている間は本当の愛に気付くことなんてないのかなと。もっと言うと、その人が死んだ時のことをリアルに想像できる人が「愛する人」なのかなと。

 私も一応、愛する対象の人が数人いるけど、「この人がもし死んだら・・・」とリアルに想像できるのは今のところ息子だけである。

 いや、もちろん嫁もオカンも嫁の両親も親友もみんな、愛してることは愛してるのだけども、死んだ時のことなどなかなか想像出来ない。だけど息子に関しては、海で溺れたり、高い所から落ちたり、クルマに轢かれたり、火事で焼け死んだり、病気で死んだり、誰かに殺されたり・・・と、死ぬネタに尽きることは無い。

 息子がまだまだ人の助けが無いと生きていけない年齢だからそう思うだけなのかもしれないけど、夜中にフト目が覚めて「ちゃんと息してるかな?」「心臓動いてるかな?」と、生死を確認することが冗談で無く本当にある。

 息子が死んでしまうめちゃくちゃリアルな夢を良く見る。あってはならないその時のことを想像すると眠れなくなってしまうこともある。

 まあ別に「人を愛するということ」について深く考えているわけではない。的確な答えが必要なわけでもない。なんだかそんなことを思っただけ。

久しぶりの朝練

 6時半起床。7時出発。

 自宅からすぐに田原台を阪奈山上までヒルクライム。まだカラダが冷えているからゆっくりと。

 阪奈山上から大阪方面に向けてダウンヒル。ここを2輪車で下るのはどれくらいぶりだろう。NSRに乗っていた頃、ここを下っていると覆面パトカーに捕まった。一発免停。今日もパトカーに気を付けて出来るだけトバしてみるが、60km/h程しか出ない。あの頃の半分にも満たない。

 阪奈道路を下り切ってそのまま直進し、サンヨー電機の脇を通り細い抜け道に。灰塚から諸福に抜ける道が出来ている。昔はこんなのなかったのに。いつの間に出来たんだ。

 安田交差点を抜け、右折し内環に乗る。しばらく直進し大衆食堂「ゆうみん」を左折し森小路バスロータリーを越え回転木馬まで。

 そこでみんなと合流し、清滝峠アタック。とはいっても今日は、かおり様がいるのでサポートに徹する。しかしあまりに遅い(5km/h以下)ので早々に見捨てる。まっさんと2人で上る。複数で上るのが本当に久しぶりだったので楽しかった。

 頂上で解散。私はそのまま自宅まで。10時。39km。

 これぐらいに帰って来ると嫁は機嫌が良い。