カッコエエ

 清滝峠を少しでも速く上りきってしまおうと努力している私を見て、
 「もう充分速いんだからええやん」とか
 「なんでそんなしんどいことすんの?」と聞かれることがある。

 「なんでって聞かれても・・・」ってカンジなのだが、強いて答えるなら「それがカッコエエと思い込んでいるから」だと思う。

 「カッコエエ」というものは、人によっていろんな価値観があるので、一概に「これがカッコイイこと」と決めるのは難しい。現に私個人でも、「カッコ悪い」と思っていたことが、時の流れのよって現在「カッコイイこと」になっているものがたくさんある。女性が肩や背中を大きく露出するファッションも、昔は「カッコエエ」と思っていたが、今では上下ウインドブレーカーで汗だくになってウォーキングしている女性の方が「カッコエエ」と思う。「カッコエエ」と思って始めたタバコは、今や世間的に「カッコ悪い」ことになってきている。

 自分自身が「カッコエエ」と思っているものと、他人が「カッコエエ」と思っているものとが一致すると、そこに仲間意識が生まれる。特に、一般的に「カッコ悪い」とされているものが一致する場合、その仲間意識はかなり強いものになる可能性が高い。

 駅や空港で隅の方に追いやられた喫煙ルームでヘンな友情が芽生えたり、暴走族(いや、これからは「珍走団」と呼ぼう)なんかもそのパターンである。あんなカッコ悪いバイクやクルマを大人数で乗り回すことが「カッコエエ」と思い込んでいるのだ。

 とは言っても、われわれ自転車乗りもそのパターンに近いものがあるかもしれない。ヘンな形のヘルメット、チクビが写るジャージ、もっこりレーパン、キレイに剃り上げられたスネ毛、指無しグローブのヘンな日焼け・・・。自転車仲間の中で活動している時は何とも思わないが、一般の人から見るとどうだろうか。

 「カッコエエ男」になりたくて、その時の流行のファッションを取り入れたり、タバコを吸ったり、クルマを改造したり、酒の名前を覚えたりしたが、おっさんになった今から考えると、それら全て「カッコ悪い」と思うようになってしまった。

 嫁と子供を愛し、真面目に働き、友達がたくさんいて、自転車で清滝上らせたら速い。

 今のところそれが私の考える「カッコエエ男」であり、それに向かって努力することが「カッコエエ」と思い込んでいるのだから仕方が無い。

 それらが達成された時、私にもやって来るだろうか。モテ期が・・・。