最近、ドラマ『電車男』を観ている。原作本や映画、舞台で話題になった作品を、テレビドラマ化するというのが流行っているのか、コンスタントに視聴率を得ているようだ。この手のパターンは『セカチュー』が最初だと思うが、テレビドラマは映画や舞台と違って、タダなのが良い。
いわゆる「オタク」が電車の中でひょんなキッカケで出会った、どう見ても「オタク」とは不釣合いの美人な女性と恋に落ちて行く、というストーリーなのだが、恋に疎い「電車男」は、2ちゃんねるの掲示板でネット仲間にアドバイスや励ましを受け、「オタク」な自分の姿を変えていこうと努力する。
で、ここから本題。このドラマに限ったことではないが、近年の恋愛ドラマには、携帯やパソコンのメールのやり取りが非常に多い。
現代は携帯やメール等のネット環境が整っていて、情報や意志の疎通が非常にスムーズである。例えば私がある人のことを好きになったとする。私はその人のメールアドレスさえ知っていれば、「好きです」という意志を数分(数秒か?)の間に伝えることができる。
しかし、「ラブレター世代」、もしくは「放課後待ち伏せ世代」の私にとって、そのあまりにも簡単でドライな告白の仕方に少々抵抗を感ぜずにはいられない。
イヤ、現代っ子のみんながみんな、メールで告白しているとは思わないが、少なくとも告白に至るまでの過程において、メールが必要不可欠であるハズ。現代っ子はケータイがなければ恋愛できないのではないだろうかと、いらぬ心配すらしてしまう。
こんなことを言い出すと、自分がおっさんであることを認めているようでなんともツライものがあるが、現代っ子には、好きな娘の家にドキドキしながら電話をかけ、その娘のお父さんが電話に出たときの慌てふためきさ加減なんて、きっと理解できないと思う。
ある人のことを好きになって、告白して、付き合うようになって、失恋して別れるまでを「波」に例えると、現代は、小さな細かい波がたくさん押し寄せてくる。そしてすぐに消え去る。自分で波を起こすのも簡単だし、自分で波をかき消すのも簡単である。私が高校生の頃はひとつひとつの波が津波級だった。
恋愛の波は大きくてゆっくりな方が良い。そんな波に乗った方がネットサーフィンよりも気持ちが良いと思う。