以前にトーマスのプラレールをたくさんもらったまあくん(小4だったかな?あれ?小3だったけかな?)が、お父さんと一緒にタイヤ交換とオイル交換をしに来てくれた。
作業が終わり、まあくんの所に「こないだはトーマスありがとね〜」と話しをしにいくと、どうもモジモジして様子がおかしい。理由はこうだ。
当店のショールームには子供用にとガチャガチャが置いてあり、専用のコインを入れてノブを回すとおもちゃの入ったカプセルが出てくる。その専用コインは受付のデスクの引き出しに入れてあり、営業マンなどがお客さんの子供に「はいコレ。やっていいよ」と手渡すのである。
まあくんはそれがどうしてもやりたいらしくて、でも「ガチャガチャやりたいねん!」とハッキリも言えない。私のことを知らないワケではないのだから、私に言ってくれればコインを持ってきてあげるのに、どうもその勇気が出ないようでモジモジしていたのだ。
まあくんのお父さんと私はちょっとイジワルして、「あそこ(受付デスク)に座ってる人に言ってきーや。『やりたいねん』って言ったらコインくれるよ」とか、「早よせなもう帰るよ」とか言ってなんとかまあくん本人のチカラでコインをゲットさせようとした。
まあくんは、もう蚊の鳴くような声で「一緒に行こうや〜」とか「ふ〜〜ん」とか言って、ほとんど半泣きになっていた。
もっと子供の特権を生かして、子供らしく、明るく元気にいけばいいのに。と、私はまあくんの様子を見て少しじれったさを感じた。しかし思い返すと、私もそんな子供だったような気がする。
デパートのおもちゃ売り場で無料で配っているアメ玉をもらう時も、スーパーの入り口で配っている風船をもらう時も、ニチイの前でゴレンジャーと一緒に写真を撮った時も、私は自分からアタックできずに結局母親に頼んでもらったり、あきらめて興味が無いフリをして帰ったりした。
まあくんに対して「子供らしく行ったらええねん」なんて、大人の意見を子供に押し付けてしまった。大体、子供に「子供らしく」って言っても意味がわかるワケがない。
子供の中には、こういう時に何の躊躇も無く「ちょーだい」と言える子がいる。もっと言うと、あつかましいぐらいの憎たらしい子もいる。それぞれの性格もあるだろうし、親の教育の影響もあるだろう。だけど、まあくんのような性格の子供もたくさんいる。前者の性格を持つ子の方が目立つし華がある。しかし私が思うに、まあくんのような実に日本人的な性格の持ち主こそ愛すべき子供ではないだろうか。
私がそうだったように私の子供もそんな性格になると思う。もし今回のようなシチュエーションが来たら、今日の教訓を生かして、子供にはそれぞれの性格があって、大人が「子供らしく」という言葉でひとくくりにはできないのだということを思い出すことにしよう。
そして最後に根性を出したまあくんは、見事コインをゲットしたのでした。がんばったね!