四十の手習い

 正しくは「六十の手習い」というのだそうだ。まあ歳をとってから新しいことに挑戦するという意味で使って問題は無いだろう。
 
 何を思ったのか、英会話を始めた。巷で噂のスピードラーニングである。
 
 スピードラーニングという教材についての批評などはまた次の機会にでも気が向いたら書こうと思う。とりあえず、英会話ができるようになりたいと思い立ったとき、私の脳裏に一番最初に思い浮かんだのがそれだっただけのことである。別に教材なんかはなんでも良い。とにかくなんだか急に英会話の勉強をしたくなったのである。
 
 正直言って私の仕事に英会話は全く必要ない。英会話が出来たからといって仕事の幅が広がるわけでもなく、給料が上がるわけでもなく、誰かから褒められるというわけでもない。だったら何故始めたのかと聞かれると、実は私も良くわからないし、英会話ができるようになったら何をしたいのかということも良くわからない。とにかく自分の中の何かが急に私の体を突き動かしたとしか言いようが無い。
 
 しかしずっと以前から英会話というものに憧れを持っていたことは事実である。
 
 きっかけはやはり、ホンダ学園生時代に修学旅行で行ったアメリカロサンゼルス~ハワイである(当時はまだバブルの恩恵を受けていた)。海外旅行自体が初めてだったので、見るもの聞くもの触るもの食べるもの全てが、今まで育ってきた環境とは全く異なるものだった。あまりの文化の違いに感動を通り越してショックを受けたぐらいだ。
 
 そういう経験がずっと心の奥底に眠っていたのだろう。
 
 そして何よりも廻りの人の影響も大きい。自転車関係、少年野球関係、仕事関係など、今まで気が付かなかったが、結構私の廻りには英語を駆使して仕事をしている人が多くいて、そういう人たちを見て単純に「カッコエエなあ」と思うのである。
 
 そう、「あの人みたいになりたいなあ」という欲求は、私にとっては大変重要なガソリンみたいなものである。そんなガソリンが自分の中で沸いて出てきているのだから、燃やさない手は無い。
 
 先にも書いたが、英会話ができることによって仕事で得をすることはない。しかし、この溢れ出るモチベーションに蓋をすることなく、自分の思うがままに行動し勉強することによって、きっと自分自身の人生に大きく影響してラッキーを呼び込んでくれるものと信じている。今までの人生がそうだったから。
 
 得ではなく、徳を求めたい。