パンクのたびに思う

 今朝通勤途中に清滝頂上付近でパンクした。最近山間部に入ると大きめの石が落ちていることが多いように思う。避けきれずにリヤタイヤが乗り上げてプシューである。交換したばかりのソコソコお高いチューブラーだったので非常にもったいない。辟易しながらスペアタイヤに交換してリスタート。
 
 リム両面テープもところどころにしか残らず、ハンドポンプでは高圧まで入れることもできず、会社までの残りの道のりはペースも調子も上がらずテンションの低いまま走ることになる。シルキーな乗り心地が気に入ってチューブラーを使い続けているが、パンクするたびに通勤メインの私がこんなに不便で不経済なタイヤを使い続けていいものか悩んでしまう。
 
 安いチューブラーもあるにはある。しかしすぐに摩耗してしまうし、それによってパンクの回数も多いように思う。紫外線によるひび割れも早い段階で発生するし、ひどいモノは真円が出ていなくてずっと変なバイブレーションのまま回転する。せっかくいいフレームといいホイールを使っているのでタイヤをケチりたくはないという気持ちもあるし、いやいや庶民は庶民のタイヤで十分!という自分もいる。
 
 いっそのことクリンチャーかチューブレスにするという手も思い付くが、ホイールを手配する初期投資が当然必要だし、結局のところパンクしたときの面倒臭い度合いは変わらないのではないかとも思う。自転車通勤にはパンクは付き物であると割り切って、パンクがイヤならクルマに乗れよという、至極当たり前な考察結果に約30分ほどかけて到達した。毎回のことである。
 
 会社に着いて、工業用石鹸で手についた汚れを落とし、激安サイトにアクセスし、ため息混じりにチューブラーをポチッとする。嗚呼…、自転車通勤はエコなのか、それともエゴなのか。私にはもうわからん。
 
 

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