この本がTVニュースなどで話題になったのはつい最近のことだと思っていたけど、2009年に発売されたとのことなのでもう3年も経ったんだなあと改めて月日の流れの早さに驚く。BOOK1からBOOK3まで、3冊もの超長編(少なくとも私にとっては)が文庫化され、それぞれ上下巻合計6冊となって再販された。BOOK1~2までの上下巻4冊はうまい具合に古本屋で見つけることができたが、BOOK3の上下巻2冊は新品を買った。古本を含むとは言え、一つの物語に2500円前後の大金と、6冊分の読書エネルギーを使ってようやく読み終えた。
世界中で翻訳されてヒットしている本なので、改めてここであらすじを説明する必要もないと思う。私の解釈としては、青豆さんと天吾くんの純愛ミステリーということだろう。そこに宗教やらパラレルワールドなんかが重なってきて、ものすごい広い世界観になっている。今まで何冊か村上春樹の作品を拝読したことがあって、どれもこれも掴みどころが無いというか、明確な解答が無いというか、村上春樹ファンの言葉を借りるならそこには「喪失」しか感じられなくて、どうも肌に合わなかったのだけど、この『1Q84』に関しては「まだマシ」と思える。
丁寧すぎる顔立ちや容姿の描写、音楽やその他芸術に関する詳細な記述、スマートで無駄のない台詞など、まるで伊坂幸太郎を読んでいるような印象だった。でもそれは村上春樹が伊坂幸太郎を真似したのではもちろんなくて、伊坂幸太郎は思いっきり村上春樹に影響されているんだなあと感じた。ていうか結構そこまで真似していいんやねと思ったぐらいである。
ストーリーは非現実的で不思議な方向へだんだんとシフトしていき、いかにも!な村上春樹ワールドへ突入していく。以前の経験から、しっかり読み込んで謎を解けば解こうとするほどワケがわからなくなるという教訓を基に、不思議ちゃんな部分はさらりと読み流す方法でなんとか頁を進めることができた。もっと単純に、もっと素直に、「なかなかすごい比喩やなあ~」とか、「そろそろ濡れ場があってほしいなあ」とか考えながら。
後で知ったことなのだが、実は『1Q84』はBOOK2までで終わりだったそうだ。確かに1と2は同時発行だけど、BOOK3だけは約1年後の発行である。この事実を知ったのはちょうどBOOK3を読み始める頃だった。私は3まであるもんだという心構えで2を読み終えたから良かったものの、もしBOOK2の「あの」シーンで終わりですよと言われたら暴れていたかもしれない。「村上春樹どんだけ~~」である。どんだけ読者に喪失感を与えたら気が済むねんと。
しかし敬虔なる村上春樹信者は文句も言わず、「そうか、春樹さんがここで終わり言うんやから終わりなんや」と受け入れた。もしそうだとしたら、村上春樹の信者になるには相当の「スカシ」にも耐えられる精神力を持たないといけないということである。とにかく村上春樹は約1年というブランクを空け(ワザとだったのか苦情が殺到したのか知る由も無いが)、BOOK3で広がり過ぎた世界をまとめにかかった。そのまとめ役が牛河氏である。
BOOK3は牛河氏のお陰でだいぶ読みやすかった。青豆と天吾を追う探偵役として登場するのだが、2人の過去を洗い直してくれるお陰で、忘れていた背景などを思い出すことができ大変助かった。牛河氏がいなければ、私は未だ釈然としない『1Q84』の世界から抜け出せず、もう二度と村上春樹は手に取らなくなってしまったかもしれない。もしかしたらBOOK3は編集社が強く希望したから完成したのではないかと思うほどのハードルの低さになっていた。それだけ私に貢献してくれた牛河氏はなんとも悲惨な最後となるわけなんだが、6冊(1冊約400頁弱)もの村上春樹ワールドにどっぷり浸かってしまった私は、「はいはい何があっても驚きませんよ」ぐらいにスルーすることができたのである。
6冊である(ひつこい)。6冊もの文庫本が本棚に並んだら結構場所を取るぜ。期間にして約2ヶ月半(読むの遅い)。そんな長い時間村上春樹に触れていると、あの独特の文章にもっと長く触れていたいという気にもなってくる。物語は佳境を迎え、残り頁が少なくなってくると若干の寂しさみたいなものが感じられた。これを信者が言う「喪失感」なのだろうか。物語が終わって感じる喪失感とはなんだか違う心のポッカリ感がある。別に無くても生きていけるけど、無いと寂しいような物足りないような……。
ともあれ、今までは「投げっぱなし感」の強かった村上春樹の作品だったが、この『1Q84』ではだいぶ解釈がしやすかった。村上春樹側が私に合わせてググっとハードルを下げてくれたお陰なのか、はたまた私が月の2つある世界に脚を踏み入れてしまったのか。とあえずまだ1つしか見えない。