我慢の先にあるもの

 仕事の都合(甘えてただけとも言う)でしばらくクルマ通勤だった。今日は久しぶりに自転車通勤した。やはり朝から自転車に乗るとスガスガしい。滞留していた体中の血液がぐるんぐるんと巡り、滞っていたブログも久しぶりに更新しよかなという気持ちにもなる。
 
 某アネキのブログで、マラソン大会でリタイヤしたろかと思った頃に、「我慢」と書いた紙を掲げている人を見て完走できた、というのがあった。エエハナシです。やっぱり人間は我慢が全てやと思うのです。
 
 久しぶりに“我慢”して自転車で坂を上ったけど、我慢の先には達成感であったり到達感(そんな言葉あるんかな?)があったりする。それが気持ち良いからまた坂を上りたくなるんだろうなあ、と今さらながらに再確認した。我慢がイヤだから逃げてばっかりいると何も得られないし、心を満たされることはずっとない。
 
 先日の日曜もシクロクロスのレースがあったようですが、それに出てギンギンに走った人は、レース中、み~んな我慢してたと思う。我慢して漕いでたやろし、我慢して担いでたやろし、寒いの我慢してたのだろう。そんな我慢があったからこそ、レースの翌日にはとても楽しそうなレースレポートがあちこちで書かれ、キラキラした表情の写真がアップされる。我慢した後に得られるキラキラしたものを誰かと共有したいし、「オレこんだけ我慢したんやで!見て見て!」と表現したいからこそだろう。
 
 我慢が辛ければ辛いほどキラキラは長続きするし、テキトーな我慢(それを我慢と言っていいかは別として)であればあるほど後悔が大きい。今年は王滝での超絶な我慢が一番だった。そのお陰で今でもあの時の我慢を思い出してホクホクできる。そのかわり沖縄での我慢は甘かった。タイムスリップできるなら源河をヘロヘロと上っている自分のケツを安全靴で蹴り上げたいぐらいである。
 
 もっとキラキラするために、もっともっと我慢しよう。某アネキ、エエハナシをありがとう。
 
 

我慢の先にあるもの” への2件のフィードバック

  1. ちょうど阪奈に出たとこで休憩してたらでっかいバック持ったM君が走って行くのん見ましたよ。

  2. ●racdaさん
    よく百楽前で会いますよね(笑)。
    そういやタマーにクルマから見かけるMTBerがいてますがもしかしたらracdaさんかも!?こんど見かけたら声かけます!

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