ジョナサン・リヴィングストン


 昨晩コドモを寝かしつけようと一緒に布団に入ると「ほんよんで」と言うので本を取って来させた。しばらく本棚の前で悩み、彼が手に取って持って来た本は、ゴーオンジャーでもなくキバでもなくアンパンマンでもなく、なんと『かもめのジョナサン』だった。
 
 我が家では、子供の本(『おともだち』とか『ひかりのくに』とか)を置いてある本棚の隣に、私の本(小説とかショートショート)を置いてあって、わざと子供が手に取れる高さに置いてある。書いてあることを理解できる歳になったらその本を手に取って読んでみて、読書のおもしろさにハマってもらえたらなあという、しょーもない親バカ丸出しの下心からそうしているのだが、それが昨晩見事に叶ったわけである。
 
 私は嬉しくなって「よっしゃ読んだろ読んだろ」と、酒の酔いも手伝って熱く大きな声で音読してやった。まさか『かもめのジョナサン』を音読するなどとは思わなかったが、冒頭の、ジョナサンが飛行訓練をしているシーンなんかはチカラが入った。海面スレスレを飛んだり、高高度から急降下したりするカモメを、4歳のアタマで想像できるかどうかは私にはわからないが、それでも真剣に聞き入る彼を見てると、読む方も嬉しいもんである。
 
 ジョナサンが急降下に失敗して海に墜落して気を失ったとき、どこからともなく声が聞こえてくる。「お前に夜間飛行が必要なんやったら、フクロウのような眼を持って生まれてきたはずや。もしお前に時速100km以上で飛ぶ必要があるんやったら、ハヤブサのような翼を持って生まれてきたはずや。お前は紛れも無くカモメや。みんなと一緒にエサを食べるだけでええんや!」
 
 この辺は、私がよく言う「才能」とか「素質」とかの部分になると思う。自転車の才能が無いのに練習練習言うなって感じである。お前は一般庶民なんやから、テキトーに仕事して、テキトーな年収を得て、テキトーに暮らせやと。出来へんこと無理にやって落車して怪我でもしたらアホらしいやないかと。
 
 でもジョナサンは頑張ります。頑張って頑張ってついには神の領域までに達するのだ。私の心の中でも上述のような「そこまでやってどやねん」「お前は何になりたいねん」的な自問自答をすることがあるし、正に今オキナワが終わってそんな時期なのだけど、「才能」とか「素質」ってのは、生まれ持ってくるというような神がかり的なものではなく、第三者がその人を評価するときに使う便利の良い言葉の一つにすぎず、実は誰しも平等に「才能」とか「素質」とか(もしくはそれに良く似たもの)はあって、それを磨くか腐らすかは自分次第なんやなあと思う。
 
 頑張りもせんと「才能ないわ」とか「素質ないわ」とか言うたらアカン。
 
 そんなことをコドモに言うて聞かしたろと思ったら寝てた。

ジョナサン・リヴィングストン” への5件のフィードバック

  1. 頑張る、努力するのも「才能」「素質」と思う。
    その頑張りや努力をするための「才能」「素質」を得るために、頑張って、努力して、、、、、_| ̄|○

  2. ●ロラあにき
    オンナのマタ・・・・。気付きませんでした。
    精進のし甲斐があるっちゅうもんです。

    ●KATくんゴブサタ!
    ローンはどうだね?苦しんでおるかね?
    冗談はさて置いて、努力する才能ってのもあるやろうね。
    飽きずに努力し続けることができる才能・・・・。欲しいね。

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