以前、お世話になっている自転車屋さんの店長にも同じことを話したのだけども、人生にはバイオグラフみたいなものがあって、ある一定の周期で、健康運、仕事運、恋愛運等々の上下があると思う。店長は「そんなん無いやろー」と言ったのだが、私はきっとあると思っている。
人生も30年を越すと、誰でも少なからず「あの時は身体の調子良かったなあ」とか「あの時の仕事はしんどかったなあ」とか「あの時はモテたなあ」とか、思い返せばそういったテンションの上がり下がりがあった筈である。それら数種類の「波」の周期は時には大きく、時には細かく上下し、われわれ人間のチカラではどうしようもない、自然のパワーというか、何かそんなモノが自分を支配しているような気がするのは私だけだろうか。
自慢ではないが、現在私のバイオグラフは結構高い位置にある。いい嫁をもらい、かわいい子供に恵まれ、仕事も順調、身体も健康、趣味も楽しい、友達たくさん、いいことずくめである。これを一言でまとめて「幸せ」と言うのだろう。
しかしである。それは時には大きく、時には細かく上下する数種類のグラフがタマタマ全て高い位置に揃っただけで、この「幸せ」は私がどれだけ頑張っても、どうしようもない強大な自然のチカラで、きっといつか(まとめて全部ということは無いにしろ)下がっていくものだと思う。
だから私は時々、どうしようもない不安に襲われることがある。
幸せの終わり方なんて様々なパターンがあると思うが、例えば会社が倒産する、子供が大怪我をする、自分がガンと宣告される、友達がいなくなる・・・。そんな具体的で目に見えるものの欠如によるものだけでなく、何かの拍子にココロの芯がポキンと折れて、いままで頑張ってきた仕事が急にヤル気が出なくなってしまったり、嫁を今までのように愛することができなくなってしまうかもしれない。
きっといつか私にもそんな瞬間がやってくるんじゃないだろうか。
きっといつかこの幸せは終わってしまうんじゃないだろうか。
この考え方はホントにネガティブでマイナス思考で鬱病的だと自分でもわかる。私は基本的にポジティブでプラス思考であるが、AB型の基本性能である二重人格がそうさせるのだと思う(AB型以外でもある程度の二重人格性はあると思うが)。
こんなことを他人に話すと「大丈夫やろ」と何の根拠も無く軽く言われる(ていうかこんなこと何てアドバイスすればいいのかわからないと思う)。まあでもそんな一言でケロっと治ってしまうもんなんだけど。
何があったというわけではない。でも、でもね。子供の寝顔を見ていると、そんなことを考えてしまう時もあるのです。