思い出のクルマ

 私は以前、ミニクーパーに乗っていた。私が社会人になって初めて新車で買ったクルマである。今日は、若かりし頃の私とミニとの思い出話をしようと思います。

 ホンダに勤めて2年目に買った。「ホンダ車に乗らなければいけない」という規則は当時なかったが、やはり暗黙のルールみたいのがある。そんなことおかまいなしに即決した。頭金も無い3年フルローンである。

 母親には内緒で買ったので、私がいきなりミニに乗って帰ったら、何か小言の一つでも言われるだろうなと思っていた。すると意外にも母は、驚いた様子こそ見せたものの、にこやかに「乗せて」と言った。後で聞いたら、父と母が若い頃、私や弟が産まれる前に、買おうと思っていたらしい。結局お金が無くて断念したが、私がミニに乗って帰ったときは、死んだ父が帰って来たと思ったそうだ。

 その後、クルマ好きが高じて仕事にしてしまうぐらいの私が乗っていたのだ。手間ヒマかけてチューンナップし、ドレスアップし、大切に大切にした。宝物なんて言うと子供じみているが、ホントに私の宝物だった。

 何年乗ったか思い出せない。いや、思い出そうとすれば出来るんだろうけど、月日を指折り数えるのは好きではない。私とミニの思い出は、両手の指では数え切れないぐらいにたくさんある。

 仕事は2回変わった。彼女は3回変わった。季節は何度も変わった。私も少しオトナになった。変わらないのはミニだけだった。

 ある日、お客さんの家へクルマを引き取りに行くことになった。夜も遅かったので、私のミニをお客さんの家に置き、入れ替えでお客さんのクルマに乗って帰るという段取り。その帰り道、お客さんのクルマが走行中パンクした。「めんどくせー」と思いながらスペアに交換し、次の日お客さんに電話をした。不可抗力とは言え、私が乗っているときにパンクしたのだ。一言謝っておこうと。

 すると電話の向こうのお客さんが私に、とてつもない勢いで謝ってきた。「謝るのはこっちの方です」と言ったのに、向こうは平謝りしている。ワケを聞くと、そのお客さんが昨日の夜に私のミニを乗り回し、交差点で出会い頭の事故をしたということだった。

 マンガみたいなハナシである。ヘナヘナと力無くへたり込み、怒鳴ることも、状況を詳しく聞くこともできず、信じられないようなその内容を自分なりにゆっくり噛み砕き、飲み込んだ。

 レッカーで現場に着くと、私のミニは前半分がグシャグシャに潰れ、タイヤは4輪ともあさっての方向を向き、車内のものはぶちまかれ、気に入っていたバックスキンのナルディのステアリングは血だらけだった。包帯を顔にグルグル巻きにしたお客さんと、その親とお兄さんが土下座をして謝っていた。私は何も言うことができず、変わり果てたミニを黙々とレッカーに積み込んでいた。

 事故の時間を聞くと、お客さんのクルマがパンクしたちょうど1時間後だった。私がパンクした直後にお客さんに電話をしていれば、何か変わっていたかもしれない。私はこのクルマに、いろんなところに連れて行ってもらい、いろんな経験をさせてもらい、いろんなものを変えてもらったのに、私はミニに何もしてあげられなかった。こんな姿になる前にきっと何かが出来た筈なのに、私はミニのかわいそうな運命を変えることができなかったのだ。

 帰り道、レッカー車のルームミラーに写るグシャグシャのミニを見ると涙があふれてきた。

 私はこれ以降、自分のクルマを所有していない。いや、所有できないと言った方が正しいかもしれない。今でこそS2000が欲しいとかオデッセイが欲しいとか言っているが、ホントはミニが欲しい。あの頃乗っていた赤と白のミニが欲しい。そして私の勝手な要望ではあるが、息子に受け継がせたい。

 ミニはただの「かわいいクルマ」ではない。少なくとも私の人生において、とてもとても大きなクルマである。