年の功

 今日、スズキの軽に乗ったおじいちゃんが来店して、「バンパーを当ててしまって外れかけているのでなんとかなりませんかいな」と言う。ホンダにスズキを持って来るぐらいなので、よほど切羽詰っているのか、トヨタ以外はみんな一緒という「昔の人間」の考え方なのか、どちらかだと思うがまあそんなことはどうでも良い。

 「どんな方法でもいいから」と言うので、私は適当に穴を開けて、適当にネジをつけて、適当にバンパーが外れないように処置。(注・・・ここで言う「適当」は「いいかげんに」という意味ではなく「適に当たる」という意味ですよ〜)

 するとおじいちゃんはエライ喜んでくれて、
 「やっぱり若い人はすごいなあ。われわれ歳よりは何やってももうアカンわ」と言う。私は、
 「いえいえいえ・・・」とか言いながらそのおじいちゃんを帰した。(注・・・「追い返した」ということではないですよ〜)

 その後少し考えた。

 われわれのような技術系の職業はどれだけ頑張って勉強しても、経験に勝るものはないと思う。やはり年数を重ねて得た経験が何事にも勝る技術なのだと。それは技術職だけではなく、人生の経験年数にも当てはまると思う。それを踏まえると、そのへんのおっさんが「若造のくせに」と言うのも、まあわからないでもない。

 今日のおじいちゃんは80歳ぐらいだと思うが、キッチリした身なりをしていて、言葉も特におかしくもない。きっと全盛期は仕事などでバリバリやっていた人だと思う。そんな人が私のような「若造」に向かって「すごいなあ」とか「年よりはもうアカンわ」と言えることは、実はスゴイことで、アカンことなんて何もないんじゃないかと思ったりする。

 私のような性格の人間は、きっと年をとったら「この若造が!」って言うジジイになると思う。自分が今までやって来たこととか、積み重ねて来たことなんかが「ワシは長生きしてきたんじゃい。いろんなことやってきたんじゃい。ワシはエライんじゃい」と言わせてしまうと思う。きっと若者に嫌われるガンコジジイになるだろう。

 今日のおじいちゃんは、おそらく私が経験したことの何倍もの出来事を経験し、いろんな出来事に揉まれて来たはずなのに、自分よりずっと年下の者に向かって「すごいなあ」と言った。なんて謙虚で腰が低くていい人なんだろう。

 私は少なからず「自分が一番エライ」と考えてしまう時がある。それ自体は嫌いではなんだけれども、そういう気持ちが時に他人に対してキツく当たってしまったり、短気になってしまったりすることがあり、そんな自分は大嫌いだ。だから、今日のような人に出会うと、「あんな人になりたいなあ、なれるかなあ」と思ってしまうのである。

 「若者」と「おっさん」の間にいる微妙な世代だからこそ思うことなんだろうか。(注・・・私はまだおっさんではありませんよ〜)