過保護と無保護のあいだ

 息子がテーブルの縁を持って立ち上がったり、目にしたモノをとにかく手に取って口に入れたりするようになった。ハイハイの速度も上がり、少しでも目を離すと「うおっ!そんなトコにおったんかい!」と、踏ん付けそうになることもある。しかしまだバランスが悪く、立ち上がってもそのまま後ろに倒れて後頭部を打ったり、ヒザのチカラが急に抜けてテーブルの縁でアゴを打ち付けたりしている。

 始めの頃は、ひっくり返って子供が大声で泣いたりすると、親はあわてふためきオロオロしていたが、最近はもうそんなことにも慣れてしまった。子供の行動範囲には一応クッションとなるようなモノを敷いてあるし、大声で泣いていても抱き上げるとすぐに泣き止んだりする。いちいちアタフタしていてはこっちの神経がもたない。

 今日もこんなことがあった。ペットボトルが好きなので、カラになったもので遊ばせていた。しばらく子供は機嫌良く座りながら手に取って眺めたり振ったりしていたのだが、そのうちフタの部分を口でくわえ始めた。「あ〜これはもしかしたら・・・」と思った途端に、ペットボトルのフタ部分が子供の口に「カポッ」とハマり、取れなくなってしまったのだ。

 「アウアウ」とも「オエオエ」ともつかない声を出しながら涙を流している子供を見て、私はその光景が面白くて、すぐに助けずに少し見入ってしまった。ペットボトルを取ってあげると、下の歯茎から少し血が出ていた。

 かわいそうなことをしたなあ、という気持ちはある。だけどあぶないからと言って今後ペットボトルで遊ばせない、というのは違うと思う。

 確かに親は子供の命を預かっている。親の不注意で子供をケガさせた、場合によっては殺した、といったようなハナシは後を絶たない。しかしそれは最低限のことを管理していないからで、親の怠慢以外の何者でもない。子供をクルマに残して買い物をする、なんてことはもってのほかである。

 子供は成長するにしたがって、行動範囲や視界や興味が広がるのは当然のことだ。それに伴うケガや事故はある意味仕方が無い。親が子供にしてあげられることは「命を守ってやる」ということではなく、「命が長く続くように工夫してやる」ということではないだろうか。

 ペットボトルを取り上げて遊びの数を限定するのではなく、広口ペットボトルを与えて口にハマらないようにしてあげるのが正しいやり方だと思うが、みなさんはどうでしょうか?