ダイエット大作戦

 私がメッセンジャーをしていた頃、つまり「最速」の名を欲しいままにしていた頃、体重は63キロであった。177センチの身長にその体重だから、少しヤセ気味だったかもしれない。

 その後結婚し、会社の近くに引越し、出産だの何だので自転車に乗る機会が減った。帰宅してからは毎日缶ビールを2本程飲み、食事は3食共、規則正しく食べる。あれよあれよという間に太り、70キロ近くになってしまった。

 それからである。私が「遅く」なってしまったのは・・・。

 今までスイスイと上っていた清滝峠も中腹あたりで息が上がり、ハンドルを引いていた腕にチカラがなくなり自転車がフラフラする。ダウンチューブのボトルに手を伸ばすことさえ困難になり、乾いたカラダがますます体力を奪っていく。全然気にならなかったヘルメットのストラップが、まるで私の首を締め付けているような感覚になる。

 それだけならまだ良い。「最速」の者が「最速」でなくなる時、とてつもない精神的苦痛を伴う。以前は私の前など走ったことのない人が、私に背中を見せ付けている。「ああ(ハアハア)、この人のウェア(ハアハア)、後ろはこんな(ハアハア)、デザインだったのか〜」などと感心している場合ではない。

 「今日は体調悪いの?」
 「もしかして体力落ちた?」
 「あれっ。27Tついてるやん」
 「M君、遅なったなあ・・・」

 常に日本のロック界をリードする「最高」の存在といえばやはりB’zである。彼らは「最高」の名に相応しい態度や身なりや発言をし、「最高」の名に恥じないパフォーマンスを我々に提供してくれる。しかし影では、常に「最高」を維持し続ける為に「最高」の努力をしている筈である。それは言い換えれば、「最高」から転落することを誰よりも恐れている、ということにならないだろうか。

 私が「最速」から転げ落ちた時、相当のショックを受けた。あまりのショックに白髪が増えた。これを読んでいただいている私の自転車仲間のみなさん、そんな私の精神状態を理解してくれてますか!?好き勝手言っちゃってくれて!

 いやいや、そんな八つ当たりをしている場合ではない。私は「最速」であり続ける為の努力を怠っていた。私はB’zのようにならなければいけない。B’zに憧れて楽器を始める若者がいるように、私に憧れて自転車に乗り始める若者もいる筈だ。体力の低下と共に、「最速」への執着心までも失ってしまったようである。速く走るだけが自転車の乗り方ではない、と自分に言い訳していた。

 今更、「清滝最速になります」とか「勝負したいヤツはいつでもかかって来い」とか「オレの前を走るヤツはみんなパンクさしたる」とかコドモみたいなことは言わない。私もいいオトナである。だがしかし、もう少しの間、「速く走る」ということにこだわってみたい。

 「速く走る」。それが私と自転車とを結びつけるキーワードなんだ。それがあったからこそメッセンジャーをやっていけたんだろうと思うし、ある意味その気持ちがなかったら、今の自転車友達との出会いはなかったかもしれないのだ。

 とりあえず、63キロに戻します。