清滝10本アタックが中止になって急遽ランアタックに変更し、ヘロヘロと走って帰宅。宗一郎を幼稚園へ送り出す準備でバタバタしていると、急に宗一郎が、「くびいたい~~」と言い出した。
ついさっきまでシンケンマルを振り回して遊んでたくせに冗談かなんかかと思ったが、見る見るうちに痛みは加速していくようで、泣きわめいて首を抑えながら倒れこんで立てなくなってしまった。
すぐに整形外科へ連れて行き診察してもらったが骨には異常はないようで、おそらく寝違えか何かではないかとのこと。しばらく安静にしときなさいと。
それからが大変。寝返りをうつこともできないから、ずっと横を向いて寝たまんま。食事も寝たまま。トイレはなんとか抱きかかえて連れて行くが、痛くて泣きながらのトイレ。夕方には痛みはだいぶ引いたようだが、少しでも動かすとぶり返すようで、風呂にも入れなれない。
そんなこんなで丸一日付きっ切りで何もできなかった。先の投稿にも書いたが「ブログに予定を書くと実現できない」というジンクスはホンモノのようだ。予定が狂うなんてことはちょっとぐらいならあるかなと思ってたけど、まさかココまで狂うとは予想だにしなかった。
宝くじが当たった時の妄想を書くなんてもってのほかである。これからは慎もうと思う。
「ひとりごと」カテゴリーアーカイブ
今日から明日にかけての予定
モチベーション下がり気味でブログ更新も滞り気味ですが皆様イカガお過ごしでしょうか。京都の屈強なアニキの皆生トライアスロンのハナシを聞いてるとちょっとだけテンション上がってきましたんで、予定をブログに書くと実現しないジンクスなど無視して書きまくってやろうと思います。
★本日21日(火)・・・・程良く仕事。帰宅途中に宝くじ10枚買う。帰宅したら頂き物の丸岡の餃子アタック。飲酒はほどほどに控えるったら控える。
★明日22日(水)・・・・休み。4時半に起床し、宝くじ10枚を持ってケルビム号で清滝方面へ。1本登るごとに宝くじ1枚を頂上のお地蔵さんにお供え。10回登って10枚全部供えて3億円祈願。いや100万円でええ。頼むったら頼む。
★昼からは宗一郎のプール引率。こんなこと書くようになったらオレも立派なパパ(?)。
★夕方からは6kmランアタック。清滝10本のアクティブリカバリー。
★皆既日食にはあんまり興味がない。
★予定は予告無く変更することがあります。
鈴鹿サーキット
ヨメコドモを連れて鈴鹿サーキットの遊園地に行って来た。メインはプール。水曜日ということもあって園内はガラ空きで乗り物も待ち時間なしで乗れるし、プールも気持ちよかったが、なんちゅうても暑い暑い!コドモも盛大に日焼けした。
今回はヨメオトンのクラウンをお借りした。ウチのライフでも行けんことはないが、やはり大きなクルマは楽だ。クラウンはイイ!オレはクラウン欲しいぞ!レジェンド買うよりクラウンだ!(←それでもホンダのヒトか)
コドモたちは喜んでくれた。はしゃぎすぎて疲れたのか帰りのクルマでは1分で寝て、帰宅するまで爆睡だった。パパも疲れたので今日はクルマ通勤。ライフで。クラウン欲しい。
鈴鹿サーキットって仕事の関係上、フツーのヒトよりも回数は行ってるほうだと思う。プラス自転車のイベントでも行くし。けどなんでか未だに行き道がよくわからん。テキトーに走ってたら着くって感じ。亀山で下りてからの道がいつも不安である。ていうかどこのサーキットもヘンピなトコにある。まああんなもんが街中にあったらうるさーてしゃーないけど。
賄賂
東の隊長から贈り物が届いた。調光レンズのサングラスとラボバンクのサイクリングキャップである。
私は以前から日光に反応して色が変わるサングラスが欲しかったので、イノウエさんから「使ってないのがあるからあげる」と言われたときにはついつい喜んで飛びついてしまい、「勝尾寺の乱ではハンデ1分あげる」と言ってしまった。
しめたと思ったイノウエさんは、頼んでもいないコルナゴグッズをオプションで付けることによって私のゴキゲンを伺い、ハンデを1分から2分へ伸ばしてもらおうとしているのではないだろうか。
いやいやいやいや。なんちゅうても東の隊長である。そんなコソクな手を使うわけがない。これはおそらく私のコルナゴ貯金のモチベーションを高い位置で保ち続けてもらおうという彼の心遣いなのだ。きっと。
たしかにこのキャップをかぶってケルビムではおかしい。コルナゴに跨ってこそ、このラボバンクのサイクリングキャップの意味があるのだ。ありがとうイノウエさん。次はラボバンクのジャージ上下でお願いします。
コドモのハナシ
宗一郎がこの8月で5歳になる。早い。もう5年である。5歳ともなれば言葉がどうとか運動能力がどうとかの、ある意味わかりやすい成長ってのは終わった。日々の成長がわかりやすくて楽しいのはせいぜい3歳ぐらいまでだ。日常の何気ない会話の中で、「えっ!?そんな単語どこで覚えてきたんや」とか「その言い回しってオレそのものやんけ」というとこらへんに、5歳の成長を感じる。
性格もはっきりしてきた。顔立ちはまだよくわからないが、性格は私に良く似ている。とにかく神経質である。例えば幼稚園の先生に「明日は体操服で来なさい」と言われれば、帰って来るなり「体操服はどこにあるの!?」と言って探し回り、ちゃんと用意しておかないと気が気でないようだ。朝起きた瞬間に「今日は体操服やで!」と言ったりする。絶対の絶対に忘れ物をしないタイプ。もし万が一忘れ物をしたら、「ありゃ~忘れちゃった(笑)」なんて笑ってごまかすなんてことは絶対できない。多分泣きわめくだろう。
そういえば私も子供の頃はそんな性格だったように思う。今では社会の中で適当に折り合いをつけて、角の立たないように、衝突しないように立ち回る術を知らず知らずのうちに身に付けたので、忘れ物をしても泣きわめいたりはしないけど、そんなコドモの姿を見ていると、まるでタイムスリップして自分の姿を見ているように思うこともある。人は社会の中で自分の本当の性格に蓋をしながら生きてるのだなあと感じる。
そのうち、小学生になってそろばんの授業が始まったら父親が持っていた古いそろばんを持たされて学校に行くがみんなが持っているそろばんは学校の購買で新しく買ったものだから自分のものとは微妙にカタチが異なりそれがイヤだと言って親を困らせたり、親に頼み込んでラジコンを買ってもらうがその組み立てに父親がしゃしゃり出てきておよそ小学生が組み立てたとは思えないクオリティで完成したラジコンが逆に他の同級生のラジコンのクオリティを下げてしまうことに気を遣ってわざわざバラして自分で組み立て直したり、もう6年生だというのに母親に子守唄を歌われると泣いてしまったりするのだろう。
そんなこと全部忘れてたのに。子育てって不思議である。
勝ったり負けたり
昨日は夜中の3時に起きて雨の中一軒茶屋まで走り、「頑張ったぜ!」とホクホクしておりましたが、今日は靴がまだ濡れてる(ほとんど乾いてたけど)とか、昨日頑張ったし~とか言ってクルマ通勤。自分に勝ったり負けたりしてます。
まあプロとかじゃないので別にいいのですが、やっぱり自分に勝った日ってのは気分が良いモンです。ブログの文面もスラスラ進んだりします。逆に負けると気分も落ち込む・・・・。楽な方へ流れただけなのに、実は気分は楽ではない。ヘンなもんですね。
自分に勝つのは簡単。エイヤっ!とカラダを動かすだけ。
負けるのも簡単。何もしなければいいだけ。
勝った自分を書くのは簡単。負けた自分を自虐するのも簡単。
世の中簡単なことばっかり。
難しく考えすぎ>ジブン。
OSAKA TOIN
昨日の仕事帰り、いつものように阪奈頂上のファミリーマートに寄りファミチキを買おうと入店したら、屈強な丸坊主男子が大量におる。30人以上はおる。弱小な共学校出身のワタクシでなくともビビる。みんな揃いのTシャツを着ており、背中にはデカデカと「OSAKA TOIN」と書かれている。
この時期なのかどうかは定かでないが、おそらく大阪桐蔭高校の野球部が合宿かなんかの買出しに来ているのであろう。全員の手には買い物カゴがぶらさがっており、1Lの100円ジュースだの食料だのが満載してある。当然レジも長蛇の列。ファミチキしか買わない私は手ぶらでその列に並ぶ。
特に急いでいるワケでもないのでじっくりと彼らを観察していたが、首から胸にかけての胴体の分厚さが弱小共学男子とは明らかに違う。こいつらが投げた球はきっと速いだろうし、打った打球はそら遠いとこまで飛ぶだろう。毎日毎日厳しい練習で走り回ってるんやろな。メシもごっつ一杯食うんやろな。
そんなことを考えながら並んでいると、部員の一人が私に気が付き、「どうぞ先に行って下さい!」と順番を譲ってくれた。その声を聞いた他の部員もいっせいに私の方に振り返り、バッサー!とまるでモーゼのなんとかのようにレジまでの道がひらけたのである。
「イヤ、別に急いでないからエエよ」と言うのだが、「いえっ!大丈夫です!どうぞ!」と言って譲ってくれる。あんまり断るのもアレなんでありがとうと言って先にレジに進ませてもらった。おっさんは激しく感動した。こんな小さな親切で目頭が熱くなるほど感動するなんて脳ミソのどっかがおかしいんちゃうかと思われるかもしれないがとっても感動した。この時ファミチキしか買わない自分がとてつもなく恥ずかしかったが。
しっかし、後ろから見てたら屈強な男子だったのだが、みんなこっちを見たら眉毛はきっちり揃えてあるし、意外と肌はきれいでつやつやしてるし、なんちゅうても顔がオボコい。みんななんてカワイイんや!もし大量に現金を持ってて、乗ってるクルマもライフじゃなくてマイクロバスかなんかだったら、そこにいた全員を焼肉に連れて行ってあげたいぐらいだ。
ホクホクしたイイ気分で帰宅し、このことをヨメに話そうと思ったのだが、どうせ「あんた晩ご飯前になんでコンビニなんか寄るんよ」とか「そんなんやから晩ご飯残すんやろ」とか「小遣いない言うくせに買い食いはするんやな」とか言うに決まってると思ったので黙っておいた。せっかくのイイ気分も台無しである。会話の先が想像できるので会話する気にもならん。こうやって夫婦間の会話は減っていくのである。高校生に戻りたいぜ。
好きにならなければよかった
コルナゴを愛してしまった私は不幸である。日本一不幸である。それは言いすぎか。木馬一、いやアタッカーズ一ぐらいにしとこう。とにかく手に入れられない何かを好きになってしまった者は不幸である。しかもそれが世間的にはマッタク認知されていないものだからハードルは高い。
これがロレックスとかならば、「まあ一生モンだし」とか「オトコならロレックスの1本ぐらい・・・」となる。ロレックスは強大な市民権を得ている。羨ましい。ウチのヨメでさえもコルナゴ欲しいという要望には耳も貸さないくせに、ロレックス欲しいと試しに言うと「いずれはなあ・・・」と、少しココロのバリアを緩めよる。なんで!?タダの時計やん!G-shockでええやん!
しかしコルナゴに興味の無い者にすれば、それこそタダの自転車である。チャリンコである。そんな固定概念がある以上、庶民の私がコルナゴを家計から買うなんてことは絶対に不可能である。つまり私がコルナゴを手に入れるためには、家計からは完全に独立した収入を得、それを確実に貯蓄する必要がある。
ヨメは「ホストでもやってこいや」と言う。そんなもん呑み過ぎでカラダ壊すわと反論すると、「とりあえず100万貯まるまでの辛抱や。もしかしたらアホなオンナが買うてくれるかもよ」と。まあヨメは“ホスト”というものをテレビでしか知らなくってそう思っているようだから現実的にそんなことがすぐにうまいこといくなんて思えないけれど、欲しい欲しいと地団駄踏んでいるダケの私よりはまだポジティブな考え方やなあと思う。
バットも降らないとヒットも出ない。宝くじも買わないと当たらない。何かしないとコルナゴは一生カタログで眺めるだけのもので終わってしまうのだ。
100万円
「コルナゴは100万円する」と思い込んでいたが、フレームだけ買って、部品は今のケルビム号から外して、いるモンだけ新しく買って、組み立てたら100万円もいらんやん!ということに気付いた(←いまさら!?)。
カラダは一つなんだから、別にケルビムとコルナゴ2台態勢にせんでもええわけだ。ケルビムは息子がロードバイクに乗れるようになったらその時組み立てたらええやん。
マックアニキはじめいろんな方々の協力もあり、我がケルビム号はソコソコええパーツがついている。これらをコルナゴフレームにインストールすれば、ソコソコどころかごっつええ感じのコルナゴに仕上がるだろう。フレームだけを入れ替えるとなるとそのフレームの良さもわかりやすいだろうし。
ああ、なんか目の前の霧が晴れて遠かったコルナゴが近付いたようなカンジ・・・・。
でもまだ遥かに遠いけど。
清滝最多
夜中に扇風機にあたりすぎてカラダがダルビッシュ(パクリ)で、クルマ通勤しちゃってる私が言うのもナンですが、数年前までは私が「清滝最速」だった。誰がなんと言おうと最速だった。アノ頃は良かった。清滝峠にローディーなんかいなかった。いても釣竿を背負った中学生しかいなかった。だから私が最速だった。
しかし今ではローディー人口が増え、通勤途中に出会う見知らぬローディー多数。そのほとんどが私よりも速いときたもんだ。しかし私は最速の名を取り戻そうなんて思っていない。時代の流れだ。「最速の時代」は終わったのだ。ただそれだけのこと。もっと違う方面を目指して進んでいかなければならない。
ということで、「清滝最速」改め、「清滝最多」を目指して頑張ろうと思う。
しかし、献血とか道の駅とか登山のように一度訪れたらスタンプを貰えるなどというシステムは清滝ヒルクライムにはない。自分のスタンプカードにスタンプが溜まっていくことによるRPGゲーム的満足感というか充実感がリピーターにさせると思うのだが、清滝スタンプカードを発行して頂上の民家のオジイに頼んでハンコ押してもらうとかしてもらわない限り、誰が何回登ったかということは証明できない。四條畷市役所の職員に頼んでみようかなウソ。
とにかく、自己申告というあやふやなシステムのうちに「清滝最多」の記録を樹立しておかないと、いつ何時、RPGオタクが自身のRPG欲求を満たす為にクライミングリピートをやりだすかわかったもんじゃない。ヒマな中学生なんか要注意である。
近いうちにヤル。10回連続清滝アタックする。連続記録作ったる。