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自転車との付き合い

 私が本格的に自転車に乗り始めた頃、やっぱり誰もが思うように少しでも速くなりたくて、清滝も登りまくったし、週に1回は100km以上走ってたし、他のチームの練習会にも出稽古みたいに参加させてもらったりしていた。
 
 ちょうどその頃はブログが流行り出した頃で、全国の自転車乗りのブログに書かれた練習日誌を読んで良い刺激をもらったりした。このブログに貼っている自転車仲間ブログのリンク以外にも、お気に入りに登録してちょくちょく読ませて頂いているブログもたくさんある。
 
 それから数年経ったのだけど、ここ最近、ブログの更新が全くされていなかったり、久しぶりに覗いたら自転車をやめておられたり、閉鎖されていたりすることが増えてきたような気がする。
 
 人それぞれの事情もあるだろうから他人の私がとやかく言う筋合いは全くないが、アレだけ毎日早起きして乗りまくって練習しまくっておられたのにどうしたんやろ?と思うことがある。怪我とか病気とか家庭や仕事の事情とかならまだしも、単に飽きたとかモチベーション低下とかならちょっと寂しい。あんまり根詰めてやりすぎるとガス欠になるのだろうか。
 
 かくいう私も昔に比べたらパンチの効いたレポートを書く機会が少なくなったが、それでもなんとか続けていられるのも、仕事や家庭や健康が、趣味に影響のない程度に変化なく平穏だからこそである。
 
 自転車という趣味を続ける為に何かを犠牲にするようではいけないし、かといってダラダラしてて遅くなるのも嫌だし。
 
 自転車ばっかりギンギンにイッたら他の糸が切れるので、仕事や家庭もギンギンにイッたら自転車もそれについてくるのではないだろうか、という仮定のもとに、4人目を視野に入れて頑張りたい。

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親のエゴか

 先日、私が生まれ育った生家の前を通ると知らん間に更地になっていた。知らん間にというか、空き家のまま20年もほったらかしになってたし、隣に住む大家さんも随分前に亡くなられたということで、いつかは取り壊さないといけないということは聞いていたけど、いつになるかは知らなかったのだ。
 
 1階建ての木造長屋で、ビンボーを絵に描いたような狭い家だった。狭い家は更地になっても狭いと思った。あんなとこに4人も住んでいたのだからびっくりする。両親が離婚する中3まで住んでいて、それからは私が現在「実家」と呼んでいる家へオカンと弟と共に移り住んだ。
 
 離婚してからまもなくオトンが病気で死に、それ以来は父方の親戚とは疎遠になっていたので、生家がどうなったのか知る由もなかったけど、私が結婚して子供ができたことをキッカケに付き合いが復活し、実は生家は空き家のまま家賃だけをオトンの弟さん、つまり叔父さんが払い続けてくれていたということを知った時にはとても嬉しかった。
 
 2年ほど前の正月に、ヨメコドモを連れてその生家を訪れたことがある。驚いたのは、家財道具や遺影や仏壇だけでなく、水道もガスも電気もそのままで、すぐにでもそこに住めるように管理してくれていたことだった。子供の頃に書いた壁の落書きや、柱につけた背丈の傷、当時飼っていたウサギが齧ったタンスも置いてあった。そこへ大人になった自分が子供を連れてくるなんて、タイムスリップしたみたいで不思議な気分だった覚えがある。
 
 「更地になってたで」と、そんな話しをオカンにしていたら、フト何かを思い出したように、「あれはどないしたんかなあ」と言った。
 
 聞くと、純銀製のミニカーが20台ぐらいセットになった物だそうで、当時のビンボーな家庭が買えるような代物ではないほど高価だったと愚痴をこぼし始めた。「そんなもん買えるお金はない!」と言うオカンを無視してオトンがある日突然買ってきたのだと言う。それを聞いた時、私の幼い記憶の中に、ホクホクしてるオトンの顔と、半泣きでぶつぶつ言うてるオカンの顔が蘇った。そうやそうや。そんなことあったわ。
 
 すぐに叔父さんへ電話し、あのミニカーのセットはどうなったのか聞いてみた。
 
 「おお!あれか!あれはウチにあるで!お前のお父さんが死ぬ前に形見やと言うてオレにくれたんや!あれはお前がもらうべきや!取りにおいで!」と言ってくれた。
 
 今まで家賃や公共料金まで払い続けてくれた上に、更地にする費用も出さず、家財道具整理の手伝いもしなかったので、非常に恐縮して電話したのだが、叱られるどころか「よう思い出して電話してくれたわ~」と喜んでくれたのだ。もうなんちゅうか胸が一杯になって涙がぼろぼろこぼれた。
 
 欲するがままに無理して高価な物を買い、それを息子に受け継がせようとするなど、ただの親のエゴなのかもしれないが、火の車な我が家の家計から100万以上する自転車を買って「宗一郎に受け継がせる!」とアホなことを言っている自分にすっぽりと置き換えられるので、今になってオトンの気持ちが良くわかる。無念にも死ぬ前に息子に受け継がせられなかった気持ちもわかる。ふと純銀製のミニカーのことを思い出したオカンの気持ちも少しわかる。
 
 というわけで、仕事帰りに叔父さんの家へ寄り、頂いて来た。
 
 実際にはミニカーではなく、「偉大なる自動車100種」という、立派なアタッシュケースの中に並べられた純銀製のプレート100枚だった。当時ぶつぶつ言うてたくせに、男のロマンに対する女の記憶はテキトーなもんである。
 
 自宅に置いていても子供らがぐちゃぐちゃにしてしまうと思ってオカンに預けてきた。昔を思い出して涙の一つでも流すのかと思っていたら、意外にもというかやっぱりというか、当時の腹立たしさが蘇って来たのかぶつぶつと言い出した。さらに、帰宅してからこの一件の話をヨメにしてみたら、これまた意外にもというかやっぱりというか、「ふ~ん」と一言で済まされた。
 
 形見というものは、その品物が何であれ贈る側はものすごい思い入れを込めている。しかし、受け取る側はその思い入れを正しく受信できる確率は非常に低い。特に、贈る側と贈られる側の性別が変わると、その深さを伝えるのは至難の技である。もし私が本当にコルナゴを買う時が来たらそのへんは十分に注意したい。
 
 ともあれ、正直言って純銀製のプレートなど私にとっては無用の長物ではあるが、その思い入れだけは普通に手渡されるよりも深く鮮明に伝わった。オトンの遺志は20年の時を経て、ようやく私に正しく受け継がれたのではないだろうかと考えている。
 
 叔父さんのところに引っ越したオトンの遺影にもうすぐ3人目が生まれることを報告していたら、また涙がこぼれてきて恥ずかしかった。
 
100105_2022~01

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2009年も終わり

 2008年末の日記と、2009年始めの日記を読み直してみた。毎年のことだが大したことはやっていない。健康でいられたらそれで良い。
 
 今年は年男だった。特に大きなケガや事故もなく、平穏無事に過ごせたので、それはそれで良かったと思っている。
 
 来年3月にはいよいよ3人目が産まれる。正直言って妊娠が発覚したときは少々ブルーだったが、先日の検診で「女の子」とわかったとき、なんだか「3人の親になる」ということがリアルに感じられて、テンションが上がってきた。
 
 「オトコは35から」
 
 これからは本当の本当に、オトコの真価を問われることになるだろう。コルナゴ欲しいとかオキナワ行きたいとかブツブツ言わずに(言うけど)、自分は今何をやるべきか、何が一番大事なのか、ちゃんと見極めて、遊び呆けることのないように(呆けるけど)、気を引き締めてやっていきたい。
 
 少し早いですが、今年も一年、M君の日記にお付き合い頂きましてありがとうございました。2010年も何卒宜しくお願いします。

年末ぐらい使わして

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 東の猿隊長から頂いたこのキャップ。真夏の勝尾寺バトルの賄賂として東から送ってきたのだが、このクソ暑い時期になんでこんなもん被るねん、何を送ってきとるねんと思っていた。
 
 しかし今日始めて通勤で使用してみたがコレがなかなか良い。私は今日まで、ゴワゴワして首より上を動かしにくくなるので首や顔周りの防寒グッズがどうも苦手だったのだが、これは耳までしっかり隠れて、かといって動きを制約するわけでもなく、また蒸れるわけでもなく、今朝の極寒自転車通勤は非常に快適だった。センキューベルマッチ>猿隊長。
 
 これからもっと寒くなってくると、口の周りがちべたい。
 
 スキーしてたときに使ってたウォーズマンみたいなマスクがあるけどあれはびちゃびちゃになるから非常に不快である。普段はネックウォーマーで、グイっと伸ばすと口の周りをカバーできるアレ(商品名しらん)買おかな。あんまりゴワゴワしてると前傾したときに首の後ろがうっとおしいからどうしよかな。
 
 小遣い制のワタクシでも年末はいろいろと臨時収入があって、年末ぐらいは使ってもええかなという気持ちになる。でもやっぱコルナゴ貯金かな。

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11月終わり

 言うてる間に12月も終わって1年終わりか~。早いなあ・・・・。
 
 で、気になる月間走行距離は1138km。バイク1114km、ラン24km。
 
 月間1000kmの目標は達成!しっかし月間1500kmとか2000kmとかいくヒト凄すぎ。今月は結構頑張ったつもりだったけど、言うても津まで往復がなければ1000km達成してない。自転車通勤は天気が悪いとできない(朝と晩天気が良くなければいけない)から、通勤は距離稼ぎにはあんまり向いてないのかも。乗れる時間にまとめて乗る!のがいいかもね。
 
 ともあれ今月はランが少なかった。本番まであと2ヶ月なので、そろそろランを増やしていきたい。12月は、とりあえずバイク1000kmはちょっとお休みにして、ラン100kmを目標にしたい。少ないかな?でもまあ目標は低く設定するに限る。

運動バカ

 仕事や家庭の都合で3日ほど通勤を含む運動らしい運動をしてません。まあいうても3日なんですが、それでもなんかカラダ中の血液が滞留してる感じでどうも気持ち悪いです。今日は仕事終わってからランニングでもしようかなと思ってます。
 
 昨日は日曜日にもかかわらずお休みを取り、子供たちの七五三のお参りに出かけました。一人5000円なんですが、ウチは5歳と3歳なので二人いっぺんにするということで、兄弟割引で8000円になりました!ヨメがえらい喜んでました。浮いた2000円はコルナゴ貯金へ・・・・ということはもちろんなく、家計の足しになりました。
 
 あーコルナゴ欲しい。超ひとりごとでした。

めんどくさ美学

 やっすいチューブラーにしてから数日が経って一番喜んでいることは、毎朝エアを補充しなくてもいいこと。前に使ってたやつはチューブが薄いのか一晩でエアが抜けてしまうから、毎朝子供たちが寝てるのに「パシュッ!」と大きな音を立ててエア調整しないといけない。
 
 しかも朝と晩でも当然空気圧が変わるから、帰宅時は少々頼りないタイヤで清滝を下ることになる。まあ低圧は低圧で乗り心地が良かったり安心感があったり良い部分も一杯あるのだが。
 
 しかしよく考えたらフツーの自転車って毎朝タイヤに空気を入れる必要なんてなく、私は毎朝当然のことのようにやっていたけど、今こういう状態になって「ああこれがフツーやんな・・・・」と思う。
 
 「使いにくいもの」とか「めんどくさいもの」をガマンして普段使いすることにはちょっとカッコ良さなんかが含まれていて、クルマなんかでもATの方が断然使いやすいし速いし燃費もいいのに、わざわざMTを使い続ける人がいる。その気持ちはワカランでもないので別にいいのだが、そんなコダワリを持ってる人でもタマにATに乗ったら、口には出さずとも「やっぱATはラクやなあ」と思うハズである。
 
 ロードバイクばっかり乗ってる我々なんか良い例で、タマにママチャリに乗ったりするとその使い勝手の良さにカルク感動したりする。安定してるし荷物乗るしスタンド付いてるし!
 
 そう考えると、普段「思い通りにいかんの~」とブツブツ言いながらもヨメとして認めて共同生活を続けていくということは、それはそれで「めんどくさ美学」の中に含まれるのであろうか。ママチャリみたいな便利なヨメはツマランのか。コルナゴみたいにトンがってるヨメもカナワンけど。

健康診断

 会社の健康診断があった。バリウムが大嫌いなので(まあ好きってヒトもあんまりおらんが)毎年この時期になると憂鬱になる。今年はゲップがガマンできずに発泡剤を2発も飲まされるハメに。タマラン。ていうかバリウム入ってる紙コップってなんであんなに重いねん。持った瞬間飲める気がしない。
 
 とにかくなんとか健診を終え、バリウム排出の方も滞り無く行われたのだが、排出された白い物体を見ていると、やっぱり人間の体は上の穴から下の穴まで確実に繋がっているんだなあと感じる。バリウムが腸の中を巡り巡ってすっきりキレイに掃除してくれたかのようで、にっくきバリウムもこの時ばかりはちょっとエライと思ってしまう。
 
 昔の胃の検診バリウムはもっと飲みにくかったそうな。今でこそ少しストロベリーフレーバーではあるが、当時は味なんて何も無く、もっと大量に飲まされたそうである。未来の健康診断はバリウムなんて飲まずに胃カメラになるのかな。それもイヤやな。
 
 別にオチもなんもないけど、健康がイチバンですなあ、というハナシです。

プロフェッショナル

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 マイケルジャクソンの『THIS IS IT』を観てきた。前日に下の子も熱を出したので結局独りで。でも独りで大正解。集中して観ることができた。
 
 

 で、感想なんですが。。。。

 

 いろいろと書いてはボツにして、感情の赴くままに書き出したのを組み合わせて・・・という作業をしてたけど、なんかうまいこといかないので、やめました(笑)。やっぱり感想文って書くの苦手。

 

 近年観た映画の中で一番感動しました。冒頭からイキナリ泣かせてくれます。

 

 私も人を感動させることができるぐらいのプロフェッショナルになろうと思いました。

月間走行距離

 最近いろんなトコで「月間走行距離○○km走りました」というのを見かけるので、ジブンもちょっと計算してみた。
 
 10月・・・・RUN:66km、BIKE:579km 
 少な!月間2000km走る屈強なアニキもいてるのに。
 
 ちなみに9月・・・・RUN:なし、BIKE:826km
 富士山1周とヤビツの乱含む。通勤13日しかしてへんし。これでは遅なるわな。
 
 11月はRUNとBIKE合わせて1000kmぐらいはイクつもり。相変わらず目標低い。