ウチの店にはもうすぐ定年を迎える工場長がいるのだが、この工場長、最近のクルマの整備はな〜んも出来ない。新型車にナビやエアロを取り付けることも出来ず、エンジンECUの診断も出来ず、パソコンなんか触ったこともないから最新の診断機器も全く使えない。
ご存知のように現在のクルマはほとんどがコンピューター制御であり、エンジンもミッションも電装もなんもかんもがコンピューターで動き、コンピューターでリンクし、コンピューターで診断する。こんな時代にホントに役に立たない工場長なのだ。工場長自身も自分の技術が時代遅れになってきていることは自覚しており、「オレはもう雑用係でええよ」なんて言う。
そんな矢先、先日もう「旧車」と言ってもいいぐらいの年式のシビックが入庫し、クラッチのオーバーホールの依頼を受けたのだけど、みんながその作業を敬遠する中、工場長はいつになく積極的に部品等の手配を行い、あっと言う間に作業を終了させてしまった。その時の工場長の働きっぷりっときたら、F1のピットクルーのようにスピーディーで正確で若々しかった。
「オレが若かった頃にはこんな作業が山ほどあった」
人間の技術力は、昨今のオートメーション化に伴い低下しつつあるという話はいろんな方面で耳にする。我々の業界でもやはり、ウチの工場長のような人はもうすでに貴重な存在である。
私も一応技術職であるし、日々努力し技術者としてのレベルをもっと上げていきたいと考えているので、先日工場長がやったような作業も出来るようになりたいのだけど、なかなかそんなクルマに出会える機会は少なく、むしろ廃車にされどんどん減っていっているのが現状だ。
技術は時代を遡って行くことは出来ないのだろうか。工場長が持っているような古い技術は過去のものとなり、これからはそれがほとんど発揮されることもなく、静かに消えて行くのだろうか。
来月にはCR−Vがフルモデルチェンジされる。新機種講習の日程も決まった。テキストも手元に届いた。今回も新機構満載だ。アタマがついて行かない。
古いクルマの整備も出来ず、最新の新機構も理解に苦しむ。私のような中途半端な世代の技術者は本当に必要なのか、と真剣に悩むことがある。古い技術にも、新しい技術にも興味がある。
私の技術はどっちなんだろう。