キャラ弁の資格


 
 真ん中の娘が幼稚園の遠足ということで、先週からキャラ弁を作ってくれと頼まれていた。サンリオに勤めるヨメの友達が買って来てくれた『キティちゃんのおにぎり型』と、『キティちゃんの顔のパーツ焼海苔』が新投入されたので、今回のキャラ弁制作はブログのネタにもならんわと少々ナメてかかっていた。
 
 そういう心のスキマを神様は見逃さなかった。
 
 いつもより早起きして食洗機を開き、しゃもじを取り出して炊き上がったばかりの炊飯器に差し込む。ある程度グリグリとかき混ぜて、キティちゃんおにぎりに必要な分を取る。さすがに型のお陰で順調である。かなりスピーディーにキティちゃんの顔が作れる。予め切り分けてある海苔のパーツを貼り付ければあっという間に完成である。
 
 ここまで順調に来たところでアクシデント発生。洗い終わっていたと思っていた食洗機が何かの手違いで作動していなかったことに気付かず、洗剤が洗い流されていない食器を使用してキティちゃんを作ってしまったのだ。当然そんなご飯はたべられない。しかもグリグリとかき混ぜた炊飯器の炊きたてご飯もすべてパーである。慌てて炊き直すも出勤タイムリミットで結局キャラ弁は作ってやれなかった。
 
 朝からそんなこんなでバタバタイライラし、ちゃんと食洗機セットしとけやとヨメに当たったり、いやいや使う前にちゃんと確認してなかったオレがアカンやろと思い直したり、そんなことより目を覚ました娘がキャラ弁がないことに気付いたら多分泣くだろうなと想像したり、もうなんか自己嫌悪で一杯の一日の始まりであった。
 
 
 キャラ弁というものは本来、食べてくれる者の笑顔を想像して作らなければならない。本当に食べてくれる者のことを考えれば、もっと前夜から仕込みをしたり練習をしたり、色々と準備をするものである。私は今回新投入された「キャラ弁道具」を否定するつもりはないが、これがあることによって図らずも手抜きやミスを誘発し、ひいては食べる者の喜びすらも忘れてしまうのではないか。
 
 今回は確実に娘の笑顔のことは頭に無かった。楽に作れるわということだけ。そこには食べる者の喜びも無ければ作った者の喜びも無い。当然家庭内の幸せも無い。今回の私はキャラ弁制作の資格無しである。キャラ弁の神様がそう教えてくれたのだろう。次回があれば、心を入れ替えて取り組みたい。