久しぶりに読書感想文。この作品はいつか読みたいなと思っていた。先日本屋に行った際に映画化されるということで平積みされ私の目につきやすい場所にあったのと、思いがけず薄っぺらい(頁が少ない)本だったのですぐに読み切れるだろうということから手に取った次第。
北町貫多という19歳の青年が主人公。日雇いで稼いだ金はすぐに酒と風俗につぎ込み、安普請のアパートの家賃を滞納し追い出され、食うや食わずの自堕落な生活を送るという最低最悪なヤツである。やがて日雇いの仕事で知り合った日下部という青年と仲良くなるのだが、これもまた元来のヒネクレ精神により仲違いしてしまう有様。
私小説とのことなのでこの貫多が著者であると考えてよいのだと思うが、私ならこんなやつとは決して友達にはならないだろうなと思いながらも、自分のことだけに貫多の心情や描写がやけにリアルで、軽い嫌悪感と同時にちょっとした共感もあったりする。
決して貫多には同意も肯定もしないのだが、なんだか不思議な魅力があって、そこはやはり誰もが他人に対して持っている劣等感であったり、他人より優位に立っていたいという浅ましさであったりが共通するするからであろう。日々の社会生活の中でフタをしている自分のダークな部分があからさまに書き出されているようで気持ち悪くもあり清々しくもある奇妙な感じだ。
同じ19歳でも『ノルウェイの森』のワタナベ君とはドエライ違いである。ええとこの子供で衣食住と学業とセックスには困らない19歳と、片や性犯罪者の息子で風呂にも入らず毛布一枚で寝起きする風俗通いの19歳。見かけは全く異なるが、しかし根底に流れる原動力みたいなものは実はおんなじで、今この歳になって思い返してみる自分の19歳の頃にも似ているのではないかと思う。
ちなみにこの文庫本には、『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』という短編も併録されているがこちらも私小説で、貫多が40歳を越えて売れない小説家となった自分自身を描いている。小説家という稼業とそれを取り巻く編集者や読者を、自分の気分の落ち込みや盛り上がりにまかせて揶揄するなど、私個人的にはこちらのほうが好きだった。
巻末の石原慎太郎の解説にもあるが、芥川賞を獲り、映画化も決まり、かなりの大きな金と名声を手に入れた“貫多”に、今後この手の小説が書けるのかどうか他人事ながら心配になる。それらを手に入れた上でまた以前と変わらぬ貫多が登場すればこの作家の実力は本物である。おそらく元来のヒネクレ精神により、貫多は一生満たされることはないのだろうと思う。だから安心して次の貫多を待ちたい。
映画版の予告をチラ見してみたが、主人公の貫多を演じるのは『モテキ』でモテにモテた森山未來である。しかもヒロインには前田敦子である。原作には貫多が片思いするような女性は出てこない。何が言いたいのかと言うとキレイすぎるのである。『苦役列車』はこんなもんじゃないと、映画を観るつもりもないのにエラソーなこと言ってみる。
“『苦役列車』 西村賢太 新潮社” への2件のフィードバック
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苦役列車おもしろいですよね。
あれがバブル絶頂の頃のお話というのに驚きました。
うちの妻は「ちゃんと生きていけるかどうか心配な人」
が好きなので(江頭等)、西村さんのことも気になって
いたようですが、クイズ番組等に出ているのを見て
「よし、こいつはやっていける。」ということで興味が
うすれたようです。
●かなたにさん
うん、苦役列車おもしろかったです。文体も昭和の作品のようでリズムがよくて一気読みでした。確かに最近の西村賢太はバブル絶頂期でしょう。時代が20年ほど遅く流れてるんでしょうね(笑)。