若気

 学校を卒業してから6年ほど務めたディーラーを退職し、とあるプロショップへ転職した経験がある。整備士免許も持ってるし、6年もの整備経験と接客経験をもってすれば出来んことはないやろと、当時は随分と慢心していたなあと今になって思い返すことがある。自分の中ではどれだけ経験を積んだつもりであっても、別の会社に来ればそれは新人であり、もう少し謙虚な気持ちがあればもっと別の経験が出来たのではないかと思う。
 
 そのプロショップには勤続20年近くにもなる大先輩がいて、とにかく整備技術がすごかった。プロショップなのでディーラーではあまりやらない整備(エンジンオーバーホールやレストアなど)が多く、そういった仕事を手抜きなく、素早く、とても丁寧に仕上げ、その技術目当てで来られるお客さんが多かった。私はメカニックとしてその先輩を尊敬していたが、そこは自分の経験にも自身を持っている若造である。素直になって技術を盗めばいいものを、「自分ならこうする」「もっとこうやったら良くなるはず」などと、自分なりのアレンジを加えてやろうとするものだから失敗ばっかりであった。
 
 で、それを注意されるとなんだか自分の経験や人格までをも否定されたように勘違いして腐ってしまう。そんなことの繰り返しで、入社当初は楽しかったがしばらくして雰囲気にも慣れてくると、認めてもらえない歯がゆさに耐えられず、2年ほどで辞めてしまった。
 
 我々の職種はよく、「手に職が付いているからいいね」なんて言われることがある。確かに資格や経験が必要な職種であるから、それらが何もない場合よりは独立も再就職もしやすかろう。しかし、資格や経験が直接金を生むわけではない。本当に必要なのは順応性であると思う。順応性が無ければ本来自分を助けるはずの資格や経験が、逆に抵抗になったりする。武器が重すぎて身動きが取れない兵士のようだ。そして厄介なのは、手に職を持った技術者にはそういう人間が多いということだ。離職率の高さが証明している。
 
 我が社にもある程度経験を積んだ新人整備士がやってきた。即戦力になるので喜んでいたが、しばらくするとその順応性の無さに閉口する場面がちょくちょくと出てきた。と同時に彼もまた、私が経験した歯がゆさを感じ始めている時期なのかもしれない。昔の自分の姿と照らし合わせながら、その武器を一番良いほうへ向けてあげたい。