スプラトゥーンに学ぶ

 「スプラトゥーン」というものをご存知だろうか。スプラトゥーンとは任天堂Wii-Uのゲームソフトで、武器を使ってインクを塗りたくり、自陣のエリアを多く塗ったほうの勝ちというシンプルなルールのアクションゲーム。インターネットで他のプレイヤーと対戦したり、武器や装備を色々と変更して性能の違いを楽しんだりすることができる。任天堂にとっては久しぶりのスマッシュヒット作である。
 
 実は私はこのゲームが大嫌いである。何故かと言うと、半年ほど前に息子がこのゲームを買ってもらってからというもの、週に2回それぞれ2時間までと決めていたゲーム時間のルールを破るようになったからである。ゲームをする時間を捻出するために、頭が痛いだのお腹が痛いだのと親に嘘をついてまで学校を休んだり、あれだけ尽力して応援していた少年野球を辞めてしまったりと、小5にして早くもグレ始めた要因となったゲームであり、このゲームさえなければ何事にも一生懸命で真面目な息子だったのである。
 
 そんな息子の行動に憤慨した私はきつく息子を叱りつけ、ゲーム本体を隠したり、それでも見つけ出してこそこそとやっていたのを発見したときはゲームの配線を鋏で切ってしまったこともある。
 
 しかし少し落ち着いて考えてみると、本当にグレる原因はゲームにあるのだろうか。同じようにゲームをやっている子どもはたくさんいる。不登校にもならず、少年野球も辞めず、それでもスプラトゥーンを楽しんでいる子どもたちはたくさんいるのである。果たして、親の感情の赴くままに「スプラトゥーンは悪」と決め付けて良いものだろうか。
 
 だから私は、その悪と思われるゲームが本当に悪なのか、難しい年頃の息子を育てる親として、その悪にしっかりと対峙するべきではないかと思い、水・木と平日に連休を取って、合計約12時間ほど必死でやってみたのである。
 
 最近のゲームは操作が鬼のように難しい。単純なボタンのみだったファミコン世代である私は、コントローラーのボタンがどれがどれなのかを覚えるだけでも大仕事である。今までは親指だけでよかったのに、今や人差し指や中指まで動員しなければいけない。ましてやそれを反射的に押してキャラクターを思いのままに操作し、ちょこまかと動き回る敵を撃つなど至難の業である。
 
 何度も諦めようと思った。
 
 しかししかし、これを乗り越えなければ、もう一度あの頃のようにキラキラした笑顔の息子と向き合える日々は来ないのではないかと思うと、攻略本を買いに本屋まで走ったり、youtubeで勉強したりするのである。なんとかかんとかランク15(最高は50)まで上げることができた。
 
 このゲームは面白い。私から息子を奪った憎きこのゲームは本当に面白い。10年かけて築いた親と息子の関係を、このゲームはいとも簡単に超えていったのもうなずける。何故にこのゲームは面白いのか。これを考えることが大事である。このままでは私もゲームおたくになって会社をズル休みするようになってしまう。
 
 とにかくこのゲームはスリリングでエキサイティングである。そして頑張った分だけそれに見合った見返り(アイテムやランクなど)が魅力的で、よしまた次も頑張ろうとなる。さらに大変褒め上手である。何度失敗しても何度でもやり直しさせてくれる。少しのペナルティは発生するがたいしたものではない。
 
 報酬とペナルティーのバランスが絶妙で、失敗しても怒られず、クリアすれば褒められて、他プレイヤーとの競争もあり、そりゃ子どもは親よりもこっちに心を奪われるだろうなと思った。理不尽な制約、強制的なしつけ、自分の時間を奪う数々の弊害。子どもを取り巻く環境は、親が思う以上に各方面からスプラッシュを受け、どのインクの色に染まろうかと悩み続けている。
 
 私がこのゲームを理解してからは息子との共通の会話も増えたし、心なしか笑顔も増えたように思う。ただただ頭ごなしで強制的に支配しようとしていた自分を猛省するとともに、子どもが置かれている環境と自我の目覚めをしっかりと見極めていかなければならないと、スプラトゥーンに教えてもらったような気がする。
 
 今夜もイカしたコーデとブキで塗りまくりたい。