モテ期とは

 最近、美人を良く見かける。私の周りに美人が寄って来ているのだ。

 このことは、私がモテ期であることを証明していることに他ならない。どこでどう聞きつけたのか、私が300kmオーバーの快挙を成し遂げた翌日から、通勤途中でも、仕事中でも、子供を連れて酒屋へビールを買いに行っている時でも、ふと見かけた女性は必ずと言っていいほど美人である。昨日なんか加藤あいのそっくりさんを見た。

 まあモテ期だからと言っても良識のあるオトナなので、声をかけたり写真を撮ったりすることはもちろん無いのだけど、もし自分の置かれている状況がヨメコドモのいない独身だったとしたら、これほど嬉しいことはなかっただろう。こんな時に合コンでもすりゃあ間違い無く“お持ち帰り”である。

 この「モテ期」とやらの正体は未だ解明されていないが、ついこの間まで無職で、彼氏無しで、色気無しの私の知り合いのとある女性が、自転車で淡路島を一周したことをキッカケにモテ期がやって来て、あれよあれよと就職が決まり、彼氏が出来て、なんと結婚してマンションまで購入してしまったという例があるということを考えると、「自転車で長距離を走る」ことがモテ期を呼ぶ一つの方法なのだろうか。余談だが、最近彼女は自転車で事故を起こし前歯を折るという怪我を負った。誰もが「アイツのモテ期も終わりやな」と思ったのだが、差し歯を入れてから歯並びが良くなり、かえって可愛らしくなった。恐るべきモテ期パワーである。

 しかし淡路島一周だろうと、300kmだろうと、本気の自転車乗りにすれば“屁”でもないことだろうし、それをやったからといってそうそう簡単にモテ期がやって来るわけでもなさそうだ。そんなことでモテ期が来るなら世の自転車乗りはみんなモテモテである。自分のことを棚に上げるが、自転車乗りは本気であればあるほどモテないものだと私は思っている。

 それではどうすればモテ期はやって来るのだろうか。

 私は思う。「モテ期とは勘違いである」と。そうなのだ。それはすべて勘違いなのである。もっと言おう。「モテ期なんて無い!」

 モテ期とは一般的に「異性や同性にチヤホヤされるある一定の期間」だと思われがちだが、それは違う。「自分のことが好きな期間」のことを「モテ期」と言うのだ。それに伴うメリット(彼氏や彼女が出来たり就職が決まったり等々)が第三者から見て目立つだけで、当の本人は何のこっちゃわかっていない場合が多い。

 「自分が好きな期間」つまり「毎日が充実している期間」というのは他人から見ていて羨ましいものである。新しいことや困難なことにチャレンジし、いろんなことに素直に感動し、日々の流れ行く時間を有効に使い、常に自分の向上に努めている・・・。そんな人間が近くにいたら、異性同性関係無く好きになってしまわないだろうか?

 自分の心の中がドドメ色だったら、周りの景色もドドメ色である。バラ色の心であるからこそ、町で見かけるブサイクさんも美人に見えてしまうのである。冷静になって思い返せば、あれは加藤あいではなかった気がする。

 「モテ期来い」と切に願っている方がいらっしゃったら、何か新しいことや困難なことにチャレンジしてみると良い。そしてそれが成功でも失敗でも結果に素直に感動し、次のチャレンジの糧となるように努力しよう。

 「果報は寝て待て」と言うが、モテ期は寝ていてもやって来ない。