我々自動車整備業界だけではないような気もするが、年配のベテラン整備士は、ECUやコントロールユニット等、非分解の四角い箱の部品のことを総称して「弁当箱」と言う。
先日ウチの工場長(50代後半)が電話で取引先のベテラン整備士(これもまた50代後半)に技術説明をしていた。それを私は横で別の作業をしながら聞いていた。
「おう、おう。助手席の足元に弁当箱(おそらくECU)あるやろ。それの横にもひとつ弁当箱(おそらくパワステECU)あるやろ。ちゃうちゃう。小さいヤツや。そうそう、はすかい(斜め)についてるヤツや。そうそう。それの中に弁当箱(おそらくリレー)が入ってるねんけどな、それが悪さしてるんや。そやけどそれだけで部品出てないからアッセン(アッセンブリー交換)で10万近くすんぞー」
もうクルマの中は弁当箱だらけである。年輩整備士はこれで全てがわかりあえるのだからスゴイ。彼らにとって「弁当箱」がどれだけの大きさのことを言うのかは定かではないが、一般的に弁当箱というと辞書を横にしたぐらいの大きさだと思う。若いOLさんのかわいいランチボックスと某自転車屋店長の大型タッパとを同じ弁当箱のくくりに入れてよいかどうかはさて置くが、どうやら彼らベテラン整備士にとっては弁当箱の大きさはかなりアバウトのようだ。だって実際のリレーの大きさはマッチ箱クラスだもん。
実は私はこういった独特な業界用語というものが嫌いで、ましてや自動車整備界の一線で活躍するディーラーのメカニックが、ECUやコントロールユニットのことを「弁当箱」だなんて、正直バカにしている自分がいる。
なのにどうして「弁当箱」と言うのか。妄想してみた。
きっと彼らが小学生のころは日の丸弁当だったのだろう。裕福な家庭も少なかった時代である。玉子焼きすら入っていない弁当箱を見られるのがイヤで、弁当箱のフタや教科書をついたてにして隠して食べていたのだと思う。昼休みにはそんな子供たちで教室は一杯だったのではないだろうか。
「自分の弁当を隠す」ということは「他人の弁当を見てはいけない」ということに繋がる。古き良き時代に生まれた子供たちである。「自分がされてイヤなことは他人にもしない」という教育が身に染み付いている。きっとオカンからも「他人の弁当覗いたらアカンで!日の丸弁当なんがバレるからな!」と厳しく言われていたに違いない。
きっとそういう潜在的な記憶が大人になった今、無意識のうちに呼び起こされ、「中身を見てはいけない箱」イコール「弁当箱」となったのではないだろうか。
と、ここまで妄想して、自分も昼食にしようと愛妻弁当を開いたら、なんとも見事な日の丸だった。
この瞬間、私はこの「日の丸弁当説」が正しいことを確信した。私もこれからは「弁当箱」を乱発しそうだ。