よい事とわるい事

 仕事帰りに宝山寺へチョモ練。朝は夜中に雨が降ったのか路面が濡れていて曇り空だったけど、夜にはすっかり路面も乾いて雲も無くオリオン座がキレイに見えた。生駒の町の夜景もキレイだった。

 そうしてちょっと寄り道したもんだから帰宅が少し遅くなったけど、子供達は元気に出迎えてくれるし、ヨメはおいしいご飯を作っていてくれる。

 自転車で清滝を越えて通勤がてらに練習できるし、ちょっと寄り道したら坂なんていくらでもある。家に帰ったら家族がいるし、こうやってあったかい風呂にも入れる。

 子供2人はまだ小さいから特にお金がかかるわけでもない。今のところジブンの稼ぎだけでやっていけてる。みんな健康だし友達もたくさんいる。

 はっきり言って幸せの絶頂である。

 だからある意味怖くて仕方が無い。幸せを認めるからこそ、恐らく今後やってくるであろう大なり小なりの不幸な出来事を想像してしまうのかもしれない。

 不幸な出来事に耐える精神を充電するために幸せな期間があるとは言わないけれど、「人はみな平等である」との教えを真に受けるならば、やっぱり幸せと不幸せは交互にやってくるものなのかな、と。幸せなジブンの影には、不幸せな人もいるのかな、と。

 幸せなジブンが言うと説得力が無いのかな?でも、幸せだからこそ「悪いことばっかりじゃないさ」って言いたい。確かに不幸せなときもあったもん。

 そうやそうや。よい事とわるい事はみんなに平等にやって来るんや。今後、なんかわるい事があっても、きっとその後にやってくる幸せを信じて元気を出していきたい。で、ジブンにわるい事が起こったときに、今日のこの日記を読み返せるぐらいのココロの余裕はいつも持っておきたい。

 酔うてるとこんなことも書くのね>ジブン。