ピスト通勤その後

 昔はもっとスイスイ上ってたように思うのだけど、もうホント止まりそうなぐらいにしかペダリング出来ず、腕や肩、腰までもが痛くなってくる。

 だけどこんな心の折れやすい私でも、幸い「足ついたら死ぬ」の法則は厳守出来るようで、今のところなんとか上り切っている。このまま続けていれば昔のようになれるだろう。それこそ背中に羽根が生えたみたいに、機材とかそんなん関係無く、乗れることだけが楽しいみたいな、そんな状態。

 で、昨日から足だけでなく体中が痛くて、「これも昔のパフォーマンスに戻るための通過儀礼だ」なんて一人でホクホクしていたのだけど、夕方ぐらいからどうやらそういうタグイの痛さではなく、発熱する前の関節痛だということに気が付いた。

 時既に遅し。

 入院生活からやっと帰って来た娘や、カゼのバイキンがお腹に入ってゲーゲーしてた息子の調子がようやく良くなって来たというのに、今度は私がダウンしてしまった。

 教訓:ピスト通勤するな!熱出るぞ!

ピストde出勤

 久しぶりピスト出勤。コレで清滝を上るのは何年ぶりだろうか。少なくとも結婚してからは1回も上ってないから3年ぶり?4年ぶり?ていうか結婚して何年?

 しんどかったー。降りて押そかなと思った。だけど根性で上った。清滝アタッカーズの隊長が清滝で自転車を押して歩いているなんてところを見られたら、集団からチギれて独りでケイハンナのコースをぐるぐるしてるより恥ずかしいわ。

 コレで通勤したらトレーニングになるやろか?速くなるやろか?

 速くなると言ってくれ。>ALL

これもオカンアート?



 体調が悪くてグズる宗一郎をアヤすために描いたと思われるアート(?)。

 私はオカンが絵を描いてるところを見たことがない。すなわち作品だって見たことがない。毎日毎日家と仕事場の往復で、何十年もミシンと布しか見ていないオカンが、絵を描くなんてことが私には想像出来なかった。

 そんなオカンが孫をアヤすために、何十年かぶりにペンを取り、端が少し黄ばんだノートに描いた絵がコレだ。上手い下手、そして宗一郎の機嫌が良くなったかどうかはさて置くが、ずっと昔に誰かに教わり、すっかり動きの渋くなった記憶の引き出しから今になって引っ張り出され、少々頼りない筆圧で描かれたこの絵は、オカンの過去と宗一郎の未来とを結ぶ架け橋なのではないだろうか。大袈裟か。大袈裟や。

 オカンアートはカネにはならんが、ネタにはなる。

ナイフの上を歩くような

 こころが入院してるし、宗一郎も今朝から調子が悪いし、そして友達が大きな病気にかかってしまった。

 身近で大切な人々がいろんな場所で苦しんでいる。

 私の今ある健康は決して当たり前のことではなく、奇跡と奇跡の積み重ねによって成り立っているんだなあと、本当に心の底から思う。

 病気することが稀なのではない。健康でいることが稀なんだな。

 健康なクセに、ケンカしたり怒鳴ったり壊したりポイ捨てしたり信号無視したり戦争したり談合したり泥棒したり自殺したりするヤツがいるんだ。健康なクセに!

 ああ・・・。最近そんなことばっかり考えるよ。

 とにかく早くみんな良くなれ!

女は強い

 嫁が娘の面会に行くと、必ず帰る時に泣かれるそうだ。いつも後ろ髪を引っ張られる思いで逃げるように病室を出てくるという。

 私も先日、仕事帰りにとりあえず顔だけでも見ようと思って面会時間ギリギリに行き、10分ほどダッコしてたのだけど、やはり私が帰ろうとした時に泣き付かれた。

 あれはかなりツライ・・・。

 私は仕事がある日は面会時間に病院に到着することが難しいのでなかなか面会にも行けない。でも帰りぎわにあれだけ泣かれることを考えると、逆に面会に行かない方がいいのではないかな、なんて思ったりするのだ。

 しかしそれは明らかに「娘に寂しい思いをさせないため」なんていう“カッコエエ”ものではなく、「自分がツライ思いをしないため」という“カッコワルイ”ものである。

 娘や嫁は毎日そんな寂しさを乗り越えているというのに、私はその理由が仕事であるとはいえ、寂しさから逃れるために面会に行くことを恐れている。

 約1週間から10日間ほどの入院とのことなので、順調に行けば今週中には退院出来ると思う。きっと退院したこころと嫁は、以前よりも強くなっているんだろうなって思う。



 泣き過ぎて目元が腫れぼったいこころと、後ろでおちゃらける宗一郎。

 宗一郎よ、妹に泣かされる日は近いぞ。